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フリーライティングについてのフリーライティング(生)と成果 [Thoughts]

頭を使うな。体を動かせ。心を動かせ。指を動かせ。何をするべきかは体が知っている。だから体を動かせ。なぜなのか考えてはいけない。答えてくれという言葉は人には届かない。答えてほしくても誰も答えてはくれない。本当に答えがほしいときには誰も答えてくれない。そもそもそこには誰もいないはずだ。答えが欲しいときどうすればいいか考えろ。考えれば何か頭には浮かぶ。答えかどうかはわからないけれど。頭に何か浮かべば動くことができる。そこから何かが動き出す。動き出せば何かが変わる。変われば少なくとも今ある状態ではなくなる。それを求めているだろう。今ある状態ではなくなればどうなる。答えを探すことが必要だ。探すとどうなるということではない。探すその行為が重要だ。意図しなくても動いていれば何かが見つかる。今があるのはそうやって見つけてきたからだ。見つけようとして見つかったものがどれだけある。

成果:
見つけようとして見つかったものがどれだけある?

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思考のアウトラインと語りのアウトライン [アウトライナー]

自分も含めて、人はアウトライナーを使う(つまりアウトラインをつくる)ときに、ついつい「構造化」に向かいがちだ。

ここでいう「構造化」は、そんなに厳密な概念ではなくて、階層化しながら考えを整理すること、ぐらいの意味。

アウトライナーは確かに「構造化」を助けてくれる。でも、それが落とし穴になる場合がある。特にアウトライナーを使って作ろうとしているのが、リニアな(初めから終わりまで順番に流れていく線的な)語りである場合。

リニアな語りには「順序」がある。

文章であれば、どうはじまって、どう進んで、どう終わるか。そこには流れがあり、起伏がある。これが必ずしも考えを整理した結果としての「構造」とは一致しない。

だから、内容を自分で理解するために「構造化」することが必要だとしても、その「構造」に沿って語りを作ろうとすると行き詰まる。

プレゼンでしゃべる内容をアウトラインとして整理したのに、スライドに展開しようとしたらうまくいかない、というのもこれと同じ現象(アウトライナー使いの多くが経験してると思う)。プレゼンとはまさにリニアな語りだからだ。

思考の「構造」と語りの「構造」は違う。思考のアウトラインと語りのアウトラインは別にある、と言いかえてもいいかもしれない。それは場合によっては並行して存在し、場合によっては前者から後者へと変化する。

例えていうなら、考えを整理したアウトラインの「構造」を串刺しにして、つまみ出したパーツをリニアに配列したものが語りだ。



そしてこれは、「アウトライン=目次ではない」というあの話とも、たぶん微妙につながっている、気がする。

関連記事:
『Piece shake Love』について2(配列と創作と構造)

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before [Thoughts]

さみしさがあなたを(  )する前に。
むなしさがあなたを(  )する前に。
うたがいがあなたを(  )する前に。
あきらめがあなたを(  )する前に。
やさしさがあなたを(  )する前に。
あなたがわたしを(  )する前に。



「こんげんてきなのぞみをだいじに」(妻)

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隣の芝生2017 [Diary]

以前の職場の後輩から「転職経験が豊富だから」という理由で転職に関する相談を受けた。

でもぼくは、みんなの想像しているような、いわゆる「転職」をしたことは今まで一度もない(イメージに反して)。残念ながら、具体的にアドバイスできることは何もない。



「やっぱり隣の芝生って青く見えるんですかね?」と彼は言う。



自分の経験からも、職場の上司や同僚と「離職」「転職」について会話を交わすシチュエーションがあれば、必ずと言っていいほど出てくるフレーズが「隣の芝生は青く見える」というものだ。主に、転職を止める/阻止する立場の人によって口にされる。

「隣の芝生」の話だったら、ちょっとできる。



隣の芝生というのは、確かに青く見える。これは比喩ではなく、実際の芝生の話だ。

昔も書いたことがあるけど、子どもの頃住んでいた家の前庭は芝生だった。芝生に水をやるのはぼくの仕事だった。子どもの手に余る太くて固いホースに四苦八苦しながら、ぼくは両隣の家の芝生と自分の家の芝生をいつも見比べていた。

隣の芝生

隣の家の芝生は、いつも不思議なほど青く見える。

でもそれは当たり前の話で、隣の芝生は横から見ているせいで青い部分だけが見えるのに対して、自分の家の芝生は庭は真上から見下ろすために土が見えるのだ。

だから、隣の家から自分の家の芝生を見てみれば、やはり青く見える。



隣の芝生というのは、確かに青く見える。

でも、もしそうしたことがないのなら、実際に隣の家に行って自分の目でそれを確認してみることも、意外に重要なんじゃないかと思う。

常套句のように「隣の芝生は青く見えるものだ」と唱えて済ませていると、いつの間にか足下の芝生が枯れてきていることに気づかないことがある。

浅はかな子どもだったぼくは、水やりをごまかして(芝生の周辺の地面だけ濡らして水をやったふりをして)芝生を枯らしてしまった。

芝生が枯れてきていることにぼくはずいぶん長い間気づかなかった。

隣の芝生は、常にうちの芝生より青く見えていたから。

隣の芝生(2)



足下の芝生が枯れ始めていることに気づかないまま「隣の芝生は青く見える」と言いつづける人を見るのは、なかなかに切ないものだ。

これは、比喩だ。

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考え抜いたシンプルな言葉に関する実用上の真実 [Thoughts]

あなたは大切な人に言葉で大切なことを伝えようと思う。

いろんな言葉をさまざまに組み立ててみるけれど、うまく伝わる気がしない。

結局、最低限の言葉だけが残る。飾りのない現実的でシンプルな言葉。

受け取りようによっては素っ気なく、乾いていて、冷たい。

でも、その考え抜いた結果としてのシンプルな言葉が、もしも誤解を生んだり冷たく受け取られたりするとしたら、どれだけ言葉を重ねてみたところで結果はおそらく同じだろう。

これは実用上の真実だ。

だから、封をしたならもうそのことを気に病む必要はない。

(魂のプラグマティスト)

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ひさしぶりのひとびと [Diary]

ひさしぶりに会う人。



元気になってる人。
大胆になってる人。
活躍してる人。
意外性の人。
相変わらず声が大きい人。
恨んでる人。
後悔してる人。
笑ってる人。
健康になってる人。
もう太ってない人。
変わってる人。
今さらあの話をする人。
恥ずかしそうな人。
踏みとどまってる人。
仕方ない人。
言い訳する人。
諦めた人。
まだ待ってる人。
先に進んだ人。
失った人。
偉そうになってる人。
空白の人。
成長してる人。
筋トレしてる人。
目をそらす人。
孫ができてる人。
なんかグローバル化した人。
自慢する人。
今でも時間を守れない人。
今でも人の話を聞かない人。
人のせいにする人。
バンダナ?
噂話をする人。
角が取れてる人。
最初から酒臭い人。



もう会わない人。
もう会えない人。

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