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平凡でめずらしくもない知らない生活 [Diary]

いつもの散歩コースの終点から、乗ったことのないバスに乗って、知らない道を通って、降りたことのない終点で降りる。

すごく遠くというわけではない。その気になれば歩いて家に帰れない距離ではない(たぶん2時間くらい)。

それほど大きくないJRの駅があり、河川敷のある川が流れていて、その向こうには大きなショッピングセンターと工業団地がある。

特にめずらしくもないけど、うちの近くにはないものばかりだ。普通に生活していれば、自分がまず触れることのないものだ。

チェーン店ぱかりの商店街にある、チェーンのカフェに入る。

メニューも内装も特にめずらしくもないけれど、ここには平凡でめずらしくもない知らない人たちが送る、平凡でめずらしくもない知らない生活がある。

JRと河川敷とショッピングセンターと工業団地がある場所で生活する、知らない大学生が平凡でめずらしくもない勉強をしていたり、知らない老夫婦が平凡でめずらしくもない会話をしていたりする。

ときどき、平凡でめずらしくもない知らないものを補充する必要がある。

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猫の神様2 [Diary]

生き方をこれまでとは違う形であらためて真剣に考えなくてはならないフェイズに入ってきたことを痛感する出来事が、ここのところ続いていた。

仕事が変わったことも合わせ、過渡期にまつわるストレスフルな状況がいろいろ続いていたし、そんなときは夫婦間でもこれまでうまくいっていたやり方がうまくいかなかったりする。

そういうときは、とりあえず歩くのがいい。それさえできないこともあるけれど、歩けるときには歩く。特別な場所ではなく、近所のなんでもない普通の道をふたりで散歩すること。

(これは何かの秘訣だと思う)



去年の10月頃を境に、散歩コースのトモダチだった三毛猫を見かけなくなった。

コースの途中にある一軒家でエサをもらっていたノラ猫。ノラといっても、玄関の横に専用の水飲み場だって用意してもらっている。

世の中には二種類の猫がいる。
遊ぶ猫と遊ばない猫だ。
それは遊ぶ方の猫だった。

いつ行っても、ぼくらの姿を見かけると、いつものお気に入りの場所(エアコンの室外機の上)で一回伸びをしてから、飛び降りてこちらにやってくる。そして足の周りを回ったり触らせてくれたりちょっと会話したりする。

だから、その方角に用事があるときには遠回りをしてでもその家の前を通るくらいには、ぼくらはその猫に会うのを楽しみにしていた。

その猫を、もう数ヶ月見かけていない。

まあ、ノラだから別にいなくなったって不思議はないのだが、今日もいないな、今日もいないなと思いながらなんとなくその家の前を通りすぎることを続けていた。

今日もきっといないんだろうなと思いつつ、いつもと同じようにその家の前を通った。

思った通り今日も猫はいなかった。そしてもうひとつ気づいたのは、専用の水飲み場とお気に入りの室外機がなくなっていたことだった。

だからと言ってなんらかの結論を出す必要はない。もしかすると、その家の正式な飼い猫にグレードアップしたのかもしれない。

でもとにかく、あのフレンドリーな猫は(少なくともこの場所には)もういないんだな、と思った。



それもまた、変化の一部だ。



そのまま近所のデニーズに晩ごはんを食べに行くことにした。

そのデニーズは店の作りが意外に居心地いいし、長居できるし、コーヒーだっておかわりできる。そして平和だ。

変化の渦中では、心は平和と凡庸を求める。



散歩コースからデニーズのある街道筋に抜ける近道を、散歩の延長でぶらぷらと歩く。近所だけど、普段はあまり歩かない道。

途中、見覚えのない駐車場があった。最近駐車場になったのかもしれないし、以前からここにあった(けど印象に残っていない)のかもしれない。なんの変哲もない、おそらく近所の人が利用する月極の駐車場。

その駐車場の前で、妻が唐突に立ち止まった。何かと思って顔を上げると(うつむいて歩いてたのだ)、いちばん手前に駐まっている白いアクアのボンネットの上に、美しい白猫がきちっと座り、街灯の光の中の下、まるでスポットライトを浴びたように浮かび上がっていた。

幻かと思った。



幻じゃなかった。



世の中には二種類の猫がいる。
遊ぶ猫と遊ばない猫だ。

その美しい白猫は、遊ぶ方の猫だった。
それも、ものすごく遊ぶ方の猫だった。
足に顔をこすりつけた勢いで前方に一回転するくらい。

近くでよく見ると、それは最初に思ったような白く美しい猫ではなかった。白いことは白いけれど、まあなんというか、そんなにきれいじゃない。

でも、すごくよく遊ぶ、白くて気のいいおっさん猫だった。

きっと次もそのまた次も、
この駐車場の前を通ったらそこにいて、
きっとこんなふうに遊んでくれることを
確信させてくれるような、
白くて気のいいおっさん猫。



(猫の神様。)

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少しずつ読む本、著者と読者の経験が不思議に絡み合う場所 [Diary]


わかるなあと思う(そしてそう思えるのがうれしい)。私見では、村上春樹『遠い太鼓』ほどちょっとずつ読み進めるのに適した本はない。



『遠い太鼓』を最初に読んだときのことはよく覚えている。大学生の頃、発売直後に平積みになっていたのを伊勢佐木町の有隣堂本店で買った。そして馬車道交差点の角にあった「珈琲屋」でハンバーガーをかじりながら出だしのところを読んだ(今はなき「珈琲屋」は日本で最初にハンバーガーを出した_と言われている_店だ)。

それから二週間くらいかけていろんなところで少しずつ読んだ。

ぼくはふだん「時間をかけて読む」ことはまずなくて、特に学生の頃は最小限の中断(バイト、授業、食事、睡眠、ある種のワルイコト)を除けば終わるまでひたすら読み続けるタイプだった。そこまでの駆動力を感じない本は途中で読むのを止めた。

でも不思議なことに『遠い太鼓』だけは、とても時間をかけて、いろんなところで少しずつ読んだ記憶がある。

「珈琲屋」のカウンターに始まって、公園のベンチ、電車の中、大学の教室、バイト先休憩時間、電車の中、喫茶店、自分の部屋、彼女の部屋。

時間を惜しんでよんだというわけではなく、思い出したように本を開いてひとかたまりずつ。急いで読み進めようという気持ちでもなくて、でも毎回しおりを挟んだページを開くのが楽しみだった。

そしてまた不思議なことに、『遠い太鼓』は読み終わった後もずっと「思い出したように開いては、ひとかたまりずつ読む本」であり続けた。分厚くて持ち歩くのに不便だったので、文庫が出るとすぐに買い換えた。

就職しても大学院に入っても再就職しても結婚してもフリーになっても再々就職しても、いちばん長い間鞄に入っていた本だと思う。

2013年に完全に分解してしまったので買い換えた。でも分解した方も捨てられず、今でも本棚に入っている。



『遠い太鼓』は読んでいるととても楽しい本だけど、著者本人としては決して無条件で楽しい気持ちで書いたわけではないようだ。

なにしろ「疲弊」がテーマの文章で始まり、途中スランプのように書けなくなった空白期間もある。

去年出た『ラオスにいったい何があるというんですか?』では、『遠い太鼓』が長編小説の印税のアドバンス(前渡し金)を受け取る条件として約束し、書かれたものだということが明かされている。

そういうことを知っても、ときどき適当に開いて何ページか読むときの楽しさが色あせることはない。

いや「楽しさ」というのとはちょっと違う。例えていうならそれは、旅行が道中うんざりすることばかりだったはずなのに、後から思い出すとそのうんざりする感覚も含めてまた味わいたくなる、あの感じに似ている。

著者自身の経験と、それを読んでいた当時の自分自身の経験が不思議に絡み合う場所への郷愁みたいなもの。

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物を書く仕事をめぐる会話 [Diary]

「お前は今、何か物を書く仕事をしているのか」
「書くことがメインではあるけど、いわゆる物を書くというのでは」
「お前の祖父さんも曾祖父さんも物を書く仕事をしていた」
「知ってる」
「俺は、物を書く仕事をしなかった」
「知ってる」
「でも、お前は物を書く仕事をしている」
「いや、物を書くとは言っても」
「がんばれ」
「わかった」

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はやくなるのがはやい [Diary]

電車の中で見かけたお母さんと男の子(おそらく5〜6歳くらい)の会話。

子「この電車、はやくなるのがはやいね」
母「はやくなるのがはやい?」
子「うん、はやくなるのがはやい」
母「日本語変でしょう。はやい、だけでいいのよ」
子「はやくなるのがはやいよ」
母「それじゃ同じことを二度言ってるでしょう。はやいだけでいいの」
子「はやいんじゃなくて」
母「それにこれは普通だからはやくないでしょう。はやいのは急行や特急」

思わず声をかけようかと思ったけど、オトナなのでやめておいた。でも、ちょっとだけ悲しい気持ちになった。

このお母さんは、おそらく男の子の言ったことの意味を誤解している。あるいはまったく理解できていない。

この子はおそらく電車の「速度」の話ではなく「加速力」の話をしていたのだ。



「鉄」系の人ならご承知の通り、一口に「電車」と言っても、実ははかなり性能差がある。

そのときの車両は東急の5050系というやつなのだが、この車両は、たとえば同じ横浜駅を発着するJR線、あるいは相鉄線の車両と比較するとかなり加速性能が良い(逆に京急の車両と比較すると劣る)。

おそらくこの男の子は電車が好きで、ふだんから電車の走りに注意を向けているので、加速性能の差に気がつき、それを「はやくなるのがはやい」と表現したのだ。そう考えれば、語彙の範囲内で実に的確な表現をしていると思う。

しかしお母さんの方は、ふだん乗る電車に性能差があるとは想像せず、それを「変な日本語」としか受け取らなかった。その上「はやい」のは急行や特急だという強固な先入観があった。

だから、自分の子どもが注意深く世界を観察し、違いに気づき、それを自分の言葉にした(すばらしいことだ)ことに、気づくことができなかったのだ。

どんな人でも先入観を持っているし、自分の認識の外に出ることは簡単にはできないので、このお母さんを責めることはできないけれど、やっぱり少し悲しい気がする。



ぼく自身も、子どもの頃同じような経験をしたことがある。

塾に通うのに、最寄り駅から当時の国鉄京浜東北線に乗るのではなく、ちょっと余分に歩いて京急に乗っていくことを主張した(回数券を買ってもらうので主張する必要があった)。

その理由として、京急の方が高性能であり、乗っていて気分がいいからと説明したところ、「電車なんかみんな同じだ」「めずらしいから(子どもは)そう感じるんだろう」で片付けられてしまい、(子どもだから)ムキになって説明したけれど最後まで理解されなかった。

当時は国鉄より京急の方が安かったので文句はないはずなのだが(実際に京急の回数券を買ってもらった。最初からそう言えばよかったのだ)、ぼくからすれば言っていることが理解されないのがどうにも納得いかなかった。

いや、理解されないことそのものよりも、「電車なんかみんな同じ」であり、それに違いを見出すのは「子どもだから」という発想の内側からしか自分を見てくれないことが。

もちろん些細なことであり、責める気なんかぜんぜんないけれど、こういうことは不思議とよく覚えている。



でね、国鉄103系と京急800型の低速域での加速は雲泥の差だったんですよ。

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かいま見た何かの素敵サイド [Diary]

中学生になったばかり80年代初め、近所の本屋さんでは子どもの手の届く棚に普通にエロ本が売られていて、店主と他のお客さんの目を盗みながら(実際はバレバレだったと思うけど)、ビニールの切れ目や袋とじの間から何かをかいま見るというのが、男の子の通過儀礼のようなところがあった。

通学路沿いの電柱には、駅裏の映画館で上映されるポルノ映画のポスターが貼られていて、その毒々しい写真とフォント(なぜか筆文字っぽい)から横目で凝視しつつかいま見る何かもまたそうだった。

じゃあその何かが素敵だったかというとそんなことはなく、多くの場合歪んでいて偏っていて、おじさんたちのヤニ臭い不健康な欲望の匂いしかしなかった。



その年齢のときは、いろんなところからそれをかいま見る。そういうものが子どもの目に簡単に触れるのが良いことだとは思わないし、世界に自慢できたことでもないけれど、それでもいろんなところからかいま見る。

そのひとつひとつではなく、そこに含まれる不健全なものや健全なものや素敵なものやロクでもないものの総合的なあり方を少しずつ。



本屋さんや通学路でいろいろかいま見ていたのとちょうど同じ頃。

友人のKにはきれいなお姉さんがいた。誰もが密かにお姉さんに会えることを期待してKの家に遊びに行っていた。ぼくもそうだった。

お姉さんは当時大学二年生だった。

今思うと、共働きでいつもいなかった両親にかわって、Kの親代わりを果たしていたのだと思う。でもとっつきにくいところはどこにもなく、遊びに行けばまるで友だちのように話したり、お茶やお菓子を出してくれたり、ときにはゲームに付き合ってくれたりした。

ある日曜日、いつものように友人たちとKの家に行くと、お姉さんの彼氏という人が来ていた。彼氏さんもとても気さくでやさしい人で、みんなでコタツに入ってやっぱりいっしょにお菓子を食べたりテレビを見たりゲームをしたりして過ごした。

お姉さんと彼氏さんはこたつに並んで座っていた。二人とも楽しそうにしていたけれど、ふとしたときに彼氏さんと視線を交わすのお姉さんの表情に、見たことのない何かが含まれていることにぼくは気づいていた。

夕方になって、Kとぼくらはゲームセンター(だったか模型屋さんだったか)に行くためにKの家を出た。お姉さんと彼氏さんは、わざわざ玄関まで出てきて見送ってくれた。

自転車をちょっと走らせてふと振り返ると、ちょうどお姉さんと彼氏さんが玄関に入っていくところだった。

二人はちょっと目を合わせ、それから軽く手を取り合って玄関の中に消えた。



たとえばそれが、かいま見た総合的な何かの素敵サイドの一例だ。

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意思を持った変化 [Diary]

ひさしぶりに、ふたりで散歩する。

住宅街を越えて猫を探し
途中の神社で初詣して
おみくじ引いて
山を越えて
向かい合ってごはんを食べて
お茶を飲む。

1年前に前職を離れたときには、もう少し頻繁にこういうことができるようになるような気がしていたけど、もちろんそれは甘い考えで。

期待なんてたいてい甘い考えだ。でもとにかく穏やかに晴れた冬の日に散歩した。それはやっぱり貴重なことだ。

(つまり普通の一日)



去年はいくつかの良いことといくつかの悪いことがあり、そしてそれらのうちのいくつかが今年も継続中だ。

自分なりに変化を起こせたと感じたこともあるし、自分のあまりの変わらなさにうんざりしたこともあるし、変化を先送りしたまま長い年月が経つことの悲しさを実感したこともある。

(つまり普通の年)



去年いちばん強く自覚したのは、生きていればものごとは変化していくということだ。そして変化には意思を持った変化と意思を持たない変化がある、ということだ。

当たり前だけど、人生に起こる変化の多くは選ぶことができない。選ぶことができない変化の中には、残酷だったり無慈悲だったりするものがある。

(変化の多くを選べると思っていることを若いという)

でも、変化の中には確かに自分の意思で選べるものがある。完全には選べなくても、その一部を選べるものがある。選べなくても、少なくともそこに意思を持てるものがある

できることなら、自分に起こる変化は意思を持った変化でありたい。それが可能であるかぎり。



これは「自ら変化を起こす」なんていうこととは少し違う次元のものごとだ。

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ある種の誤算 [Diary]

計画は実現しなかった。
考えたことはその通りにならなかった。
予測は違っていた。
目標は見当違いだった。
宣言すれば翌日に気が変わった。
意気込んで始めた習慣は続かなかった。
学んだ手法は身につかなかった。
変化はいつの間にか起きていた。
知らずに達成していた。
ポジティブなこともネガティブなことも予想外だった。
あらゆることは無駄ではなかった。
それは愛と生活だった。

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普通のカツ丼のポジティブな何か [Diary]

少し前、妻と某所の霊園にお墓参りに行ったとき。

その墓参にまつわるもろもろにはけっこう気の重いことが多いんだけど、ポジティブな要素もいくつかあって、そのひとつがカツ丼だった。



去年、その霊園にはじめて二人で行ったとき、まずお昼を食べようと駅前をいろいろ探し回って、こじゃれた店もファーストフードもどこもピンと来ない上に、歩いてるうちに身体が冷えてしまった。

そんなときどちらからともなく「カツ丼が食べたい」という話になり、カツ丼が食べられそうな店を探した。共通のイメージは「特に立派ではない普通のカツ丼」。

でも、今の時代にカツ丼に限らず「特に立派ではない普通の外食」ができる場所を見つけることは簡単ではない。

昔、そういう店は駅ビルやデパートのレストランフロア(というか「食堂街」)にあったのだが、ここ十五年くらいでほとんどは「立派でおいしいんだろうけどむやみに高い店」か「立派でもおいしくもないくせにむやみに高い店」に変わってしまった。

「安くておいしい店」や「適正価格のリーズナブルな店」は今でもちゃんとあるけど、そういうものは地上を時間をかけて足で探して、その上失敗を繰り返さないと見つからない。

霊園に行くために訪れた埼玉某所でそれをする時間も根性もぼくらにはなかった。

と思っていたら、駅前にいかにも昭和の雰囲気を醸し出しているデパートがあった。自分たちの生活圏ではもう絶滅してしまった、古き良き時代のデパート。

直感があり、そのデパートに入ってみたところ、案の定八階レストランフロアの特に立派ではない普通の蕎麦屋に、特に立派ではない普通のカツ丼があった。

それなりに景色のいい窓際の席で食べたカツ丼はなんというか、鮮烈さなどどこにもない、いかにもカツ丼という見た目通りの味なんだけど、甘くて香ばしくて冷えた身体も冷えた心も温まる、普通のカツ丼だった。たくあんだってついている。

(井之頭五郎なら「うん、こういうのでいいんだよ」とつぶやくだろう)

来年もお墓参りに来たらまたここでお昼を食べよう。そう二人で決めて、墓参にともなうもろもろの気の重さは少し軽くなった。



今年もその特に立派ではない普通の蕎麦屋の、特に立派ではない普通のカツ丼は去年と同じように存在していた。

そして自分たちも去年と同じように存在していて、去年決めた通りやってきて、去年決めた通り窓際の席で今年もカツ丼を食べた。

それはちょっと思うほど簡単なことじゃないということを、今では二人とも知っている。

でも、それを実感できる(そして共有できる)ということも、きっとポジティブな何かなのだ。


あ、それから「なんてことない普通の味」というのは実はかなりおいしいという意味なのだと知ったことも。

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スキップ [Diary]

父の転勤で家族でサンフランシスコに引っ越したのは、小学校に入学直前の三月だった。帰国して日本の小学校に編入したのは五年生の二学期。

だからサンフランシスコに住んでいたのは小学校時代なのだが、実は数ヶ月間だけアメリカの中学校(ジュニアハイスクール)に通ったことがある。

何のマジックかというと、五年生までが初等教育(エレメンタリースクール)、六年生から八年生までが中等教育(ジュニアハイスクール)だったから。つまり小学校が一年短い。加えて学期の境目が九月ということで、数ヶ月間だけぼくは「中学生」だったのだ。

(ちなみに初等教育の年数は州や学区によって異なり、六年生まであるところもある)



近所を歩いている中学生はものすごくかっこよく見えて、憧れの的だった。

中学生は、授業でボールペンを使うのが素敵だった。中学生になったら(場合によっては小学校の高学年、四年生から五年生くらいになったら)ペンを使うようにと教えられるからだ。鉛筆は子どもが使うものという感覚があった。

中学生は、紙製のフォルダーを小脇に抱えて歩いているのが素敵だった。学校のエンブレムが印刷されたオリジナルのものだ。

フォルダー全体がスクールカラーのネイビーブルー、そしてエンブレムは黄色。ビニールでコーティングしたような厚紙でできていた。紙だからすぐしわしわになるけど意外に丈夫で、よれよれになったのも味がある。

(日本の学校で校章入りのノートを使えなんて言われたら確実に拒絶反応を起こすのに、実に不思議だ)

ボールペンやノートパッドやバインダーやフォルダーが大好きだったので(今と同じだ)、学校でそれが使える中学生がとてもうらやましかった。

小学生は手ぶらで学校に行くのがかっこ悪いと思っていた。ぼくの通っていた公立の小学校では、教科書や問題集の類を家に持って帰るということはなかった。ぜんぶ学校に置きっぱなし。宿題だってなかった。だから、手ぶら。

しかも、ぼくはクラスメートたちよりも中学生から一年遠い場所にいた。入学したとき英語がまったくできなかったために、本来の学年よりも一つ下、つまり幼稚園(キンダーガーデン)に編入されたためだ。だから、学校の友だちはみんな一歳年下だった。



と思っていた四年生の夏のある日、授業中に呼び出されて学校のオフィス(事務室)に行くと、事務のデボラさんに「あなたは今日から五年生よ」と言われた。

意味がわからず呆然としているうちに別の校舎の五年生の教室に連れていかれた。

五年生は授業中だった。デボラさんは太った白人の女の先生と二言三言話をした。先生はうなずき、ぼくに向かって窓際の開いた席に座るようにと言った。

ぼくはその日から五年生になった。何の予告も説明もなかった。

後から聞いたところでは、これは「スキップ(飛び級)」というもので、成績優秀者が上の学年に移る(ことによってより高い教育を早期に受けつつ、学費を節約する)という制度だそうだけど、ぼくの場合は英語が問題なくなったので本来の学年に戻したということですね。

四年生の夏から、五年生の夏にスキップ。ということは数ヶ月後から六年生。つまりジュニアハイスクール。ぼくは突然、中学生になることになった。



もちろん喜々として。

中学校は、土曜日だけ開催される地域の日本語学校が間借りしていたので、校舎に出入りしたことはあった。でももちろん気分はぜんぜん違う。

あのオリジナルフォルダーは校内の売店に売っていたので、さっそく買った。それからボールペンと、黄色いリーガルパッドも。それを小脇に抱えて学校に通った。

カフェテリアがあるのも素敵だった。ちょっとしたフードコート風になっていて、ハンバーガーとかホットドッグとかピザとかコーラとかコーンブレッドとかマカロニアンドチーズとかカップケーキとか、そういうアメリカ的な食べ物を売っている。

あんまり健康面に配慮してあるようには見えない(70年代末の話だから、今は違うのかもしれない)。

ランチは食堂のテーブルで食べてもいいし、校庭のベンチで食べてもいい。

ベンチに座ってハンバーガーを頬張りながらフォルダーを開いて課題に目を通し、ボールペンでメモを書き込んでみたりもする。ちょっといい感じに仲のいい女の子とかと課題について情報交換したりも。



「ねえ、キスってしたことある?」
「へっ?」



そのまた数ヶ月後の十二月、父の駐在期間は終わり、一家で日本に戻った。編入した小学校五年生は、ランドセルと半ズボンの世界だった。

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