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iMandalArtの発売中止と後継アプリについて [マンダラート]

このブログのマンダラート関連記事の画面ショットでも使用しているiOS上のマンダラート公式アプリ「iMandalArt」は、提供元の事情により2013年8月で販売が終了しています。

先日、後継となる公式アプリの開発を行っていることがあらためてアナウンスされました。
http://www.mandal-art.com/

続報があったら、こちらでも紹介していきます。
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Living Mandal-Art「LIFEマンダラ」 [マンダラート]

「生活の中で考えること・行動することをサポートする道具」としてのマンダラートの使い方をユーザー視点で紹介するLiving Mandal-Artのコーナーに「LIFEマンダラ」を公開しました。
「生活の中で考えること・行動することをサポートする道具」としてのマンダラートの使い方として、最も基本となる1日のマンダラ(=DAYマンダラ)に始まり、MONTHマンダラ、YEARマンダラと時間のスケールを拡大しながらみてきた。

その最後を飾るのが「LIFEマンダラ」だ。

LIFEとは文字通り人生。生活を構成する時間スケールの最大のものがLIFE=人生。今から死ぬまでの間の時間。DAY、MONTH、YEARときた「時間」のマンダラの文字通り最上位になる。

1年の単位で物ごとを考えることはよくあるけど「人生」の単位で考えることはそんなにないかもしれない。

そんな長期スパンで「やりたいこと」を考える意味があるのか。まあ、いわゆるライフワークを明白な形で持っているという幸福な人はあるかもしれない。しかし、普通の人がどれだけ「人生でやりたいこと」を持ってるだろうか。ちなみに、ぼくは持ってません。

……というと話が終わってしまうのだけど。

何度も繰り返すけど、ここでつくるマンダラをTo-Doリスト的な、あるいは目標管理的な発想で捉えてしまうと、おそらくその通りだ。でもTo-DoではなくTo-Beリストだと考えると、話は変わってくる。
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Living Mandal-Art「YEARマンダラとMONTHマンダラ」 [マンダラート]

Living Mandal-Artに「YEARマンダラとMONTHマンダラ」を公開しました。
「生活の中のマンダラート」の基本は「今日一日のマンダラ=DAYマンダラ」だけど、DAYマンダラに慣れてきたら、同じように「今年のマンダラ(YEARマンダラ)」と「今月のマンダラ(MONTHマンダラ)」も作ってみよう。

YEARマンダラもMONTHマンダラも、基本的な開き方はDAYマンダラと同じだ。WEEK/DAYマンダラと同様に、Manda画面の該当セルをタップし、さらに目的の年/月をタップする。

ここに「この一年にやること」をそれぞれ8つずつ書けばいい。8つに限定するというところも、必要に応じてセルを展開することで無限の情報を入れ込めることも、考え方はDAYマンダラと同じ。MONTHマンダラであれば、Manda画面の「MONTH」セルから同様に開いていけばいい。

ただ、DAYマンダラと少し違うのは、当然ながら時間のスケールが違うこと。DAYマンダラでさえ「やること」をただ書いていけば8つに収まらないのが普通なのに、MONTHやましてYEARとなったらとても書ききれない。それに今の時代、ひと月も経てば状況がぜんぜん変わってる方が普通だ。

だから単純に「今年やること」「今月やること」をTo-Doリスト的に書いていくとあんまりうまくいかない。むしろより抽象的に考えた方がいい(少なくともぼくはそうだ)。
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Living Mandal-Art「セルの展開が生み出すリッチな環境」 [マンダラート]

Living Mandal-Artに「セルの展開が生み出すリッチな環境」を追加しました。
1つのマンダラにはセルが8つしかない。だから「今日一日のマンダラ」に今日できることは8つしか書けない。けれど、実は8つに制限することに大きな意味がある、というのが「『今日一日』のマンダラ」をつくる」での話だった。

でも、制限ばかりがマンダラートの魅力ではない。確かに1つのマンダラにセルは8個しかないけど、個々のセルはそれぞれを中心とした新たなマンダラになる。この特性が、リスト形式のTo-Doリストやタスク管理には真似できない、非常にリッチな環境を生み出す。
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ちなみにトップページからのリンクに不具合がありましたが、今は修正されてます。スイマセン。
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Living Mandal-Art——生活の中でマンダラートを使う [マンダラート]

まだ暫定版だけど、本館サイト「Renji Talk」の中に「Living Mandal-Art」というコーナーを追加しました。「生活の中でマンダラートを使う」ためのガイド(みたいなもの)。



マンダラート一般については、開発者の今泉さんご自身が長年著書やメールマガジン、ウェブ上で様々な技法や応用を公開されてきたけど、最近では今泉さんの著書は入手しにくくなっており、マンダラートのサイトはメルマガの膨大なバックナンバーなんかもあって宝の山なんだけど、知らない人が掘り起こして読んでいくのはかなり難しい。

ネット上には様々な情報があるけど玉石混合で、「玉」の方もどちらかというとマンダラートを発想法として捉えているものが多く、マンダラートの大きな魅力である「生活哲学」としての側面がわかりにくくなっている気がする。

そういう自分も、マンダラートについてはこのブログで何度も取り上げきて、検索ワードでも常に上位なんだけど、情報としてまとまっているとは言えなかったし。

iOSアプリである「iMandalArt」が出て、マンダラートの「公式ツール」が今までになく入手しやすくなってるのに、これはちょっと残念だ。

そんなわけで、「生活の中で考えること・行動することをサポートする道具」としてのマンダラートの使い方を、ユーザー視点で紹介するようなものができれば、とずっと思っていた。

なんで「生活の中で」に限定するかというと、「生活」に密着するほどマンダラートは威力を発揮するし、その目的ではマンダラート以上のものはおそらく存在しないから。

「生活」っていうとなんか限定された感じがするかもしれないけど、生活とは「生きるための活動」のことだからね。

「目標は立てない」ので、結果的にどこまで膨らむか(膨らまないか)わからないけど。;-)
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中心セル=明日死んでもいいように [マンダラート]

日頃から、その切り替えと割り切りの大胆さを密かにスゴイと思ってる同僚のZ子は「やるべきことの優先順位に迷ったことがない」という。

なぜなら「明日死んでも後悔しないようにと思って生きてるから」。

そんな台詞はいくらでも聞いたことがあるけど、彼女のその言葉は「だから会社を休んで嵐のコンサートに行く」という文脈で出てきたあたりがなかなかにリアルで(笑)、そしてそれは彼女はが小さい頃母親を亡くしていることと無関係じゃなく、正直に言ってちょっとだけ心が震えた。

これほどシンプルでパワフルでクリアな基準はない。

本当に毎日をそんなふうに生きられたら、To-Doリストなんかもちろんいらない。GTDもその他の小賢しいテクニックもアプリも何もいらない。

ただ日々を生きるだけ。

なので、ここのところ1日のマンダラをつくるときの中心セルの言葉は「明日死んでもいいように」になった。
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To-DoリストからTo-Beリストへ。マンダラートはTo-Beリストだ [マンダラート]

To-Doリストを捨てろとレオは言った。

個人的には、To-Doリストは捨ててもいいけど、代わりに必要なものはTo-Beリストなんじゃないかとずいぶん前から考えていた。

To-Beリストという言葉が元々あるのかどうか知らないけど、To-Doリストが「やることリスト」だとすれば、To-Beリストは「あり方リスト」かな。今日やることじゃなく、今日はどうありたいかの指針みたいなもの。

To-DoリストとTo-Beリストはどう違うのか。イメージをすごく簡単に表現すると、「今日は彼女(彼)とセックスしたい」って書いてもいいのがTo-Beリストだ。

いや、別にセックスじゃなくてもいい(セキララ系自己啓発ブログって言われちゃったしなー)。

キスでも。ハグでも。手を繋ぐでも。いっしょに散歩するでも。いっしょにお風呂に入るでも。いっしょに美味しいごはんを食べるでも。本屋で見つけた素敵な写真集の話をするでも。愛してるって口にすることでも。

妻も夫も彼も彼女もいなければ「今日はAVなんかじゃなくて好きな人のことを考えながらオナニーしたい」でも。←

いやいや、もし子どもがいるならば「今日は必ず1回は子どもを抱きしめる」でも。

こういうことは普通To-Doリストには書かない。やる「べき」ことではないし、もしもやる「べき」こと(=タスク)として扱ったら、その瞬間に意味がなくなってしまうようなことだから。

そもそもこういうことって、本当は意識するまでもなく自然に、勝手にやっちゃうようなことだ。そうだよね?

だけど、世の中にはそれをしてない人、できない人がたくさんいることをぼくは知っている。

優先度に従ってTo-Do=タスクをこなしていく生活の中で、時間的にも体力的にも意識的にも、キャパシティの外に追い出されてしまうからだ。

でも、どんなに効率的に大量にタスクをさばいても、どれほどたくさんの仕事をこなしても、そこが欠けていたら意味がないんじゃないか? 本当はそのためにこそライフハックにも意味があるんじゃないか?

じゃあ、セックスやキスやハグや愛してるや妻や夫や恋人や子どもや親はどうすればいいのか。ライフハック的な手法を紹介するビジネス系自己啓発本やブログには、普通書かれていない。

もしかすると、その種の本やブログの読者層にとってこそ、実はいちばん重要で切実な問題かもしれないのに、ね。



To-BeのBeとは「存在」のことだ。つまり自分の「存在」のために必要なことが書かれるのがTo-Beリストだ。

たとえばこの間「マンダラートには『中心』がある」で紹介した「今日一日のマンダラ」は、まさにそのTo-Beリストなのだ。

そんなものじゃ現実に降りかかってくるタスクには対応できない、と思うかもしれない。その気持ちはよくわかる。というか、その現実にはすごく実感がある。

でも、To-Doを効率的にさばくテクニックをどれだけ身につけても、降りかかってくるTo-Doがもっと増えるだけだ。そしてTo-Doはいつか必ず破綻する。

逆に、To-Beを常に意識するように、To-Beが生活の軸になるようにしていると、不思議なことにTo-Doの数自体が減ってくるのだ。



ちなみに、昔よくあった恋愛マニュアル本が役に立たなかったのは、「Be=存在」に関わるものごとを「Do=タスク」として扱っているからだからね。
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「ちゃんと」ってなんだ [マンダラート]

「もっとちゃんとしなさい」とか、「どうして○○くんみたいにちゃんとできないの?」とか、「もう大きいんだから(いい歳なんだから)少しはちゃんとしなさい」とか、小さい頃から人に言われてあんまり素敵な気分になる言葉じゃなかった「ちゃんと」という言葉。

なのに、ここのところずっと考えてたのは、もっと「ちゃんと」生活するにはどうすればいいのか、ということだった。

きっと自分は「ちゃんと」したいんだ。不思議なものだね。

ところでそもそも「ちゃんと」ってなんだろうと思って辞書をひくと(マック内蔵辞書の国語辞典は「大辞泉」ですね)、
  • 少しも乱れがなく、よく整っているさま
  • 確実で間違いがないさま
  • 結果が十分であるさま
  • すばやく動作するさま。さっと。
  • 類語としては「きちんと」「しっかり」

ということだけど、これだとまさに小さいころから言われていやーな気持ちになってた「ちゃんと」だ。

自分の思う「ちゃんと」って何だろう。ということで、例によってマンダラをつくる。

「ちゃんと」とは何か

これが、自分の中で納得できた「ちゃんと」の定義。一文で表現すると、「自分と相手が自分たちの力で過不足なく義務を果たしたり期待に応えたりしながら、結果的に満たされること」だ。

もうひとつ。じゃあ「ちゃんと生活」の「生活」って具体的に何のことなのか。衣食住はたぶんマストだろうけど、生活ってそれだけじゃないよね。ということで、これもマンダラをつくる。マンダラだから、自動的に8つ選ぶことになる。

ちゃんと生活

お金(と関わる)
服装(を選ぶ)
家族(と関わる)
社会(と関わる)
仕事(と関わる)
食べもの(を選ぶ・つくる)
住まい(を選ぶ・つくる)
愛(する・される)

たぶん、自分の思う「ちゃんと生活する」の要素って、こんなことだ。もちろん順番はない。ひとつひとつが生活を構成する一要素とも言えるし、それぞれがイコール生活そのものだとも言える。そして、どれかが欠けると生活全体のバランスが崩れる。

「生活マンダラ」って以前も作ったことがあるけど、「ちゃんと」という視点で考えたらずいぶん違うものができた。

ということで、「ちゃんと生活する」というとき自分がイメージしてるのは、これらのことを「自分と相手が自分たちの力で過不足なく義務を果たしたり期待に応えたりしながら、結果的に満たされること」になる。

自分が最近ずっと考えていたのは、つまりそういうことだ。
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マンダラートには「中心」がある [マンダラート]

そんなわけで、家庭事情(妻=Tの体調不良)により、仕事が大炎上してる最中にもかかわらず、会社を休ませてもらっている。今週でちょうど2週間。

休んで何してるかといえば、毎日3食ごはんをつくり、漢方の先生に指示された薬膳(的なもの)をつくり、食器を洗い、洗濯をすること。そして、家にちゃんといて、会話をすること。

それだけ。とても簡単。

とても簡単なことなんだけど、みんな知ってるとおり、簡単なことほど難しい。



こういうのは初めてではない。もう15年近く前、Tの体調がいちばん悪かった時期、当時勤めていた会社を辞めて、ほぼ2年の間、通院と家事に専念したことがある。そのときも、もともとの持病に加えて、崩れた生活パターンと食生活が体調悪化の大きな原因だった。

他の病院でどうにもならないような状態のとき、今通っている東洋医学の病院に出会い(後でわかったけど、実はかなり有名な先生だった)、鍼と漢方の治療に加えて、生活パターンと食事の大切さを厳しく説かれた。

その時期を乗り越えてきた経験から、生活パターンや食事、そして精神的な安定がいかにカラダと密接につながっているかは、誰よりも理解してるつもり。だけど、理解したからその通りにできるほど現実は甘くないわけで。

仕事復帰して気がついてみたら、いつの間にか早朝から深夜まで仕事をし、昼間はろくなものを食べず、夕食は夜中に帰ってから、1日の会話は食事の間の15分みたいな生活に陥り、そこにTを巻き込んでいる。このままじゃいけないと思いながら、あれだけ苦労して取り戻したものを使い切ってきたのが、この数年間だったかもしれない。

本当に、簡単なことほど難しいんだ。

だから、(ちょっと遅かったとは言え)今回仕事を休むという決断ができたことは、とても大きかった。

生活サイクルと食事の内容を保つことを最優先に2週間やってきた結果、おそらく来週には8割方復帰できる見込みのところまで回復してきた。



で、本題はここから。

改めて痛感するのは、本当に重要な問題に直面したとき、どれほど効率的に、合理的にタスクをこなす方法があっても意味をなさないということ。GTDもその他のいわゆるライフハック的な手法やツールも、ことごとく。

よく「仕事と家庭の両立」という言い方があるけど、やるべきことはあまりにもたくさんあり、その全てが重要だ。順番にこなしていても終わらないし、自分にとっての必要性と外的な要求が矛盾しているから、優先順位はそもそもつけられない。

そんなあれこれがただリストになっていたら、途方に暮れるかパニックになるしかない。

そんなときは、自分にとっての軸を1本設定して、必要なことを「ただやる」以外にできることはない。



そのためにひとつ、例外的に役立つ手法/ツールがある。もちろんそれはマンダラートだ。

いわゆるタスク管理ツールやTo-Doリストとマンダラートが違うところは、マンダラートのフォーマットである「マンダラ」には「中心」があるということ。

「今日1日やること」というマンダラをつくるとする。中心には、その日がどんな日であってほしいかが入る(入らなくてもいいけど、この場合入れる)。今日は何のためにあるのか? 今日はどんな一日であってほしいか?

中心にはあくまでも「自分」を持ってくるのが約束。周囲からの要求ではなく、自分の願望、自分にとっての必要なことが入る。

今の自分にとっては、疑いなくそれは生活リズムと食生活を立て直して、Tの体調を回復させることだ。だから「夫婦の生活と体調の立て直し」と入れる。体調を崩してるのは妻だけど、自分の体調だっていいとは言えないので、自分も含めて。

次に周辺セルに「やること」を入れる。

マンダラでは周辺セルと中心セルはイコールの関係になる。つまり周辺セルに書き込むこと(≒タスク)は中心セルと矛盾しない必要がある。だから書き込める内容は、自動的に中心と一致する、あるいは中心を成立させるための行動になる。

さらに、以前も書いたように、マンダラに書けることは基本的に8つまでだ。つまり今日できることは8つしかない。

やるべきこともやりたいことも大切なことも重要なことも山ほどあるけど、「中心セルと矛盾しない行動を8つまで」という枠がはまると、今の状況の中でできないこと、後回しにするべきことは、自然にこぼれ落ちていく。

じゃあ、こぼれ落ちたものはどうするのかというと、それは仕方ないと割り切るのだ。それでもいいと確信できるのが、マンダラートのすごいところ。

今回の休み中、日々のマンダラに入っている内容は、基本的に以下の8つに関わることだけだ。

休み中の1日のマンダラ
休み中の1日のマンダラ
  • 食事:化学調味料とインスタント食品を一切使わない食事を自分の手で三食作ること。大量の野菜を使うこと。シンプルに調理すること。美味しいこと。東洋医学の先生から言われている、薬として効果のある食材を1日2回調理すること(今は梨スープと緑豆スープ)。
  • 買い物:必要な食事をつくるための新鮮な食材を毎日買うこと。
  • 病院:必要に応じて本人の代わりに病院に行って、薬を受け取り、先生に状況を話しアドバイスを受けること。
  • メンテナンス:洗濯や食器洗い、風呂掃除など、最低限のメンテナンスをすること。
  • 会話:Tとたくさん話をすること。
  • 最低限の仕事:仕事上かかってくる電話は可能な限り受けること。ただし、自分でないとわからないことなど、最低限必要なことのみ対応すること。
  • 運動:自分の体調を維持するために、軽くてもいいので毎日運動すること。
  • バランス:自分の精神のバランスを維持するために移動時間や早朝の時間で翻訳やブログの更新をすること。自分にもTにもストレスをためないために、無理にがまんをしないこと(たまには甘いものやスナック菓子だって食べる)。これは、挫折しない秘訣。

個別の1日のマンダラは、基本的にこのバリエーションになる。それ以上のことは今はできないし、やろうとすれば中途半端になることを、マンダラの「8つ」という制限が教えてくれる。

これ以上しないと簡単にいうけど、そもそもここに書かれていることをみっちり真剣にやると、見事に朝8時から夜11時までの時間が埋まる。2時間くらいの自由時間を残して。



職場ではたくさんの人に迷惑をかけているけど、自分のしてることが間違ってはいないことを確信できるのは、マンダラの中心と行動が一致しているから。

考えてみれば、昔会社を辞めてTの治療に専念することを決断したときも、逆に今の会社の社員になることを決めたときも、マンダラートがきっかけの1つになっている。

その意味で、自分で思う以上にマンダラートとその哲学に大きな影響を受けているのかもしれない。



来週から徐々に仕事復帰する予定だけど(おかげさまで!)、これから先の働き方も含めてどうするべきかは、しばらく考え続けることになると思う。

もちろん、マンダラートで。



手法としてのマンダラート及びiPhone/iPad用アプリ「iMandalArt」については、mandal-art.comを参照してください。
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夢を捨てろ、欲望を持て [マンダラート]

「目標を捨てろ」とレオは言ったけど、個人的には「夢も捨てろ」と言いたい。



夢を持つことは素晴らしいことだという考え方があって、もちろんそれは悪いことじゃないけど、誰もが夢に向かってがんばるべきだと言われると、なんだか暴力的な感じがする。

そこで言われてる「夢」って、多くの場合すごく狭くて不自由なものだ。言ってみれば、手帳に書き込んで、実現のためのステップを記述できるようなものだ。

何かの課題で、自分の「夢」を書き出している学生たちを見たことがあるけど、実質的には「将来就きたい職業」について考えてただけだった。

うまく書けなくてじたばたしてたけど、夢とはこういうものであるべきだという思いこみに合わせようとして言葉を操作してる限り、当たり前だ。

そうやって無理やり言葉で書いたとしても、それはほとんど間違いなく嘘だから、人生を駆動していくエネルギーにはならないし、情熱にもモチベーションにも繋がらない。

その結果、自分には夢がないとか、夢を実現する情熱がないとか思ってるとしたら、かわいそうだなと思う。

そんな夢なら捨てちゃってもいい。



マンダラートの開発者・今泉さんの考え方ですごく共感することのひとつは、人間のエネルギーを引き出してくれるのは「欲望」だと明快に言い切ってしまっていることだ。

今泉さんの著書やマンダラートのマニュアルで昔からおなじみの「欲望マンダラ」というのがある。人間にはどんな欲望があるかというのをマンダラにしたもの。

欲望マンダラ

生命欲・・・いつまでも若々しく健康でいたい
知識欲・・・もっと知りたい、納得したい
性愛欲・・・モテたい、愛したい、愛されたい
交流欲・・・友人や仲間が欲しい、人恋しい
食欲・・・旨いもの、旨い酒
顕示欲・・・プライド、認められたい、独占欲
物欲・・・モノやカネが欲しい、リッチな生活がしたい
創造欲・・・何か創りたい、モノを創る喜び、完成させる喜び

昔のマンダラート手帖のマニュアルから引用。
人間の欲望こそが、文化や文明を育んできたエネルギーだった。

欲望をコントロールし、美しいカタチに創りあげていくことが、文化を形成してきたのです。さて、あなたはどんな欲望があるか?
(中略)
この欲望マンダラをどう展開するかが、あなたの生活なのです。

何かに対して強い燃えるような欲望を持つことを、情熱とか熱意という。これが持てれば、人間、何をやっても成功するといってもいい。どんなことがあろうとも、ねばり強く、持続したエネルギーをそのものにぶつけていけるからです。

ではどうしたら強い欲望を持つことができるか、これが難しい。強い欲望を持つ、あるいは持ち続けることは、案外と難しいものです。そこでモチベーションを引き出し、高める工夫が、必要になる。

改めて、欲望を知ることから始めるしかないのです。あなたには、どんにな欲望があるのか、それを書き出してみてください。そして、これらの欲望は、どうすれば達成できるか。1つ1つの欲望を、さらに具体的に展開してみることです。

Mandal-Art手帖マニュアル version IIIより

この欲望マンダラを何の制限もなく本当に素直に展開してみると、きっとその力に驚く。振り返ってみると、何年かに一度それをやってるんだけど、そのたびに驚く。

「欲望」だから当然、間違っても人様に見せられるようなものではない。

でも、書き出されたそれを自分で眺めたときの高揚感というのは、自己啓発的な意味での「目標」や「夢」を書き出したときの比ではない。

考えてみれば当たり前だ。だって「欲望」ってモチベーションそのものなんだから。この経験をするだけでも、マンダラートを使う価値がある、と個人的には思う。

ちなみに、何の制限もなく素直に書き出してみた欲望を後から分類すると、自分はどうも「性愛欲」と「生命欲」と「創造欲」がとても強いみたいだというのが今回の発見だった(笑)。



マンダラート的には、その1つ1つの欲望を成就させるには、具体的に何をすればいいのか展開していくことになる。

だけど、誤解しないでほしいのは、書き出したどろどろの欲望をそのまま実行したり表現したりするわけじゃないということだ。今泉さんも言うように「この欲望は、人間としての美学に裏打ちされなければならない」。

そしてたぶん、他人の領域を侵さないことと、一個人のスケールを逸脱しないこと。そのバランスが取れている状態を、個人的に「健全な欲望」と呼ぶ。

そこを抑えた上で、欲望を展開して現実の行動に落としていく。

たとえば「性愛欲」が、いくら「健康のため」と言われても決して身につかなかった「毎日運動をする」という習慣を身につけさせてくれる原動力になったりする(めんどくさがりの自分が、毎晩腕立て伏せと腹筋を続けられる原動力は、実は「性愛欲」なんだという発見を今回したわけです)。

こういうことに気づかせてくれるのも、マンダラートが単なる手法に止まらない、生活哲学を含んだものだからだ。

ということで、マンダラートに興味を持った人は、ぜひiMandalArtアプリを使ってみてほしいけど、そうでなくても人間の行動を本当に駆動するのは「欲望」なのだという視点は大切だと思う。

たぶん、夢も目標も貢献もリーダーシップも絆も、欲望と結びついているからこそ機能する。

2014年1月3日追記:
iMandalArtは提供元の事情により販売が終了しています(残念)。
現在、後継となるマンダラートアプリの開発を行っていることがアナウンスされています。

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