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iMandalartのチェックボックス(の代わり) [マンダラート]

かつてのPalm版マンダラートには、セルに「チェックボックス」を表示する機能があって、チェックリストや手順書的に使う際に便利だった。

iPhone/iPad版のiMandalartにはその機能がなくて不便だと思ってたんだけど、最近iOSの日本語変換で「まる」と入力したときに出てくる赤い○印をチェックマークの代わりに使うと、実用上も見た目もとても良いことに気づいた。

こういう一見つまらない工夫が、劇的に使い心地を改善することがある。

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生活マンダラ [マンダラート]

ワークライフバランスとかそういう単純な話じゃなく、生活に必要なのはこのマンダラにある8つの要素のバランス。

それぞれの要素のエネルギーになるのは「欲望」と「美意識」であり、「欲望」と「美意識」がエネルギーとして機能するためには「健康」が必要。

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フォーカスマンダラ [マンダラート]

レオ・バボータ「フォーカス」のエッセンスをマンダラにしてみました。
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マンダラートは確信させてくれる [マンダラート]

ライフハックとか生産性とか、そういうものはもうどうでもよくなってしまったんだけど、そしてレオも言うとおりTo-Doリストなんか本来はいらないのだけど、マンダラートだけは自分の中で別格。

それは個人的にマンダラートに人生を変えられたことが何度かあるから。

もう十数年前のことだけど、公私ともに出口が見えず、自分がいったい何を望んでいるのかもわからない状態になっていたとき、「マンダラート手帖」の中心セルを空欄にしたまま、周辺セルに自分が望んでいる「風景」を書き込んでいった。

タスクでもTo-Doでも発想でもなく「風景」。

周辺の8セルが埋まったところで、最後に中心セルにどんな言葉が入ればいいのか考えた。

マンダラートでは「中心セル=周辺セル」だから、それはつまりこの風景が現実のものになるためには何が必要なのか、ということ。

どう考えても答えはひとつしかなくて、それはそのとき勤めていた会社を辞めるということだった。

その解答自体はずっと前からわかっていたのかもしれないけど、たぶん無意識に避け続けていたものだった。なんかその答えはタブーみたいな気がして。

でも、空白の中心セルを眺めていると、その条件を満たす言葉はひとつしかないことをことを認めざるを得なかった。

その結論以外にあり得ないということを確信できたのは、たぶんそれが中心=周辺という構造を持つマンダラになっていたから。



それはインタビューの仕事の前にたまたま立ち寄った新横浜の「神戸屋キッチン」のテーブルでのことで、その後実際に会社を辞め、身体をこわして1年以上別居していた妻を呼び戻し、数年間いっしょに病院に通うことになるんだけど、もしその決断がなかったら(つまりそのマンダラがなかったら)たぶん今のうちの夫婦はない。

だから、マンダラートに人生を変えられたといっても構わないと思う。



よくマンダラートとマインドマップの類似が言われるけど、最大の違いは、マンダラが中心から周辺に「拡散」するだけでなく、周辺から中心に向けて「収束」する機能を持っていること。

このことが、マンダラートに単なる「発想法」以上の深みを与えているんだね。
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マンダラートは上限を教えてくれる [マンダラート]

※以下、手法を示すときは「マンダラート」、iPhone/iPadのアプリを示すときは「iMandalArt」と表記します。

手法としてのマンダラートの不思議なところは、他の手法やツールだったら答えが出ないところに答えを出してしまうところ。

いろいろあるけど、たとえばマンダラートは「上限」を教えてくれる。

たとえば「一日あたりのタスクの上限はいくつなのか?」とか「担当するプロジェクトはいくつを超えたら多すぎなのか」という疑問に対して「8つ」という明快な答えを出してしまう。

こういうのは、他の手法ではまねができない。

なぜ「8つ」なのかというと、直接的にはひとつのマンダラに8つしか書く欄がないからなんだけど、それだけでなくちゃんとした根拠もある。それは、人間が自分の頭で把握できる上限が「8つ」なのだということだ。

「8つ」というのはつまり、人間を中心にした前後左右とそれぞれの間ということ。というとわかりにくいけど、方角で考えるとよくわかる。それはつまり東西南北と北東、北西、南東、南西のことだ(そして、それはまさに自分を中心に置いたマンダラそのものだ)。

人間は自分を中心とした東西南北と北東、北西、南東、南西という8方向は、特に努力しなくても認識できる。でも「南南西」とか「北北西」とかが入ってくると直感的には認識できない。

だから人間が補助無しで自分の頭で直感的に認識できる数の上限は「8」なのだ。

恐ろしいほど単純で明快で確固たる根拠だけど、そう言われると確かに納得がいく。



2週間くらい前、何の気なしに担当しているプロジェクトをマンダラに書き出してたら、ひとつのマンダラに入りきらなかった(2つのマンダラでも入りきらなかった)。

そのとき、「これは多すぎだ(忙しすぎるわけだ)」ということがすごくリアルに感じられるのがマンダラートなわけですね。

単なるリストに書き出していたら、おそらくそれを感じることはない。ただひたすら長いリストを前に、自分の処理能力の不足だけを感じることになる。

どれだけツールが進歩したとしても、人間がやる以上その頭で認識できる数が上限に決まっている。

一日のタスクでもそれは同じはず。

いかにたくさんの物ごとを処理するかということに主眼を置いた手法やツールはたくさんあるけど、どこから先が多すぎるのかを確信を持って判断できるツールというのは、他にない。
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たとえば、マンダラートが教えてくれること [マンダラート]

iMandalArtについて批判めいたことを書いてしまったので(本当は全然そうじゃないんだ)、今度はマンダラートの素晴らしさについて。考えてみればあんまりこういうことを書いてなかったしな。

マンダラートはいろんな目的に使えるけど、たとえば今日のプランを立てることに使ってみる。その様子は、いわゆるTo-Doリストをつくったりスケジューリングをしたりということとはずいぶん違う。

マンダラート開発者・今泉浩晃さんの昔のメルマガから引用。
「ああ あれをしなくちゃいけないなぁ」と思う。
それで1つのセルが埋まる。このとき どこのセルに書いてもいい。
自信のないことなら 隅のセルに こそっと書くだろうし 自信に満ちたものなら中央の上あたりに堂々と書くだろうねぇ。

いずれにしても 思ったそのときに書き込める ということに注目してください。
つまり「置いておいて」がないのです。

こうして 周りの8つのセルが埋められる。
8つという数は1日にやれることのキャパシティです。
この8つが出来れば この1日は満足した1日になるか? 
この問いだけが判断の基準です。

マンダラのカタチに書き出された8つの行動を眺めて
「この8つができれば自分の1日は満足か?」と訊いてください。

「これだけやれば今日は安眠できる!」と思ったらプランは終了です。
あとは何も考えないで それらをやり遂げればいい。
ここでは プライオリティすら 考えないでいい。
マンダラを眺めて 自然に やりたいところからやればいい。
この8つ すべてをやり終えたときに1日が完成することが分かっているからです。


枠は8つ。それ以上はない。その制限(キャパシティ)の中に何があったら1日満足できるか、を考える。

どうしたらできる限りたくさんのことを1日の中に詰め込めるか、それをどうやったら効率的にさばけるかというようなあり方とは明らかに違う。

「何をやるか」ではなく「どうしたら満足できるか」だから当然仕事以外のことも入ってくる。そして、仕事以外のことも含めて1日のキャパは8つなのだ。

そして感動的なのはメルマガの続き。
ところで このマンダラには「違うことを8つ書け」などとは言っていない。
例えば「明日はとことん休養するんだ!」としましょう。
ほかのことは一切しない! という決意表明です。

中心セルの「明日」=「休養」ですから ぐるりのセルすべてが「休養」ですね。
つまり 8つのセルは すべて「休養」という文字で埋め尽くされる!
休養・休養・休養….  と。

あなたは「そんなバカなことする必要はないじゃないか」と思うでしょう?
すべてが休養なら 1つだけはっきり大きく「休養」と書けばいいじゃないかと。
でも8つも書いてしまったら あなたは きっと考えるかも知れない。
休養・休養・休養….  いったい どんな休養が考えられるんだろう って。

そこで どんなことが休養になるんだろうかと考える。
「朝はゆっくり起きる」かなぁ。
「久しぶりに あそこの蕎麦を喰いにいこうか」とフト思う。
それとも夕方早くから「旨い肴を用意して ゆっくり酒を愉しむ」ことだろうか?
こうして8つの休養という言葉に「休養のイメージ」を膨らませ始める。

いや そうして欲しいのですね。

こうして ややぶっきらぼうだった「休養の1日」というテーマが
「朝はゆっくり起きて 散歩をかねて 久しぶりにあの旨い蕎麦屋で早めの昼を。
そして夕方は早めに なにか旨い肴をみつくろって ゆっくり酒を愉しむ。
テレビなんか見ないで かって愛聴していたCDを低く流しながら… 」
という充実した休息日のプランが生まれるかも 知れないのです。

こんなふうに、「何をしたいか」ではなく「どんな1日を送りたいか」を考えることに、生活を自分の手に取り戻すヒントがあることをマンダラートは教えてくれる。
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私的・iMandalArtに望むこと [マンダラート]

※以下「マンダラート」という表記は今泉浩晃氏が開発した手法を、「iMandalArt」という表記はiPhone/iPad版のアプリを指します※

※2015/09/18追記:
この記事はiOSアプリ「iMandalArt(アイマンダラート)」についてのものです。「iMandalArt」は現在販売を終了し、現在は「MandalArt(マンダラート)」という別のアプリが提供されています(まぎらわしいですが…)。現アプリではインターフェイスは大きく改訂されて、この記事で指摘した問題は解消されていると感じます。


「マンダラート手帖」の時代からiPhone版のiMandalArtまでずっとマンダラートを使い続けてきて、マンダラートの素晴らしさはよくわかってるつもりだし、そのほんの一部はこのブログにも書いたことがある(→マンダラートのスパルタンな魅力)

でも、一方で何人もの人にマンダラートを勧めてきたけど、ずっと使い続けているという人を個人的に知らないし、正直に言って自分自身、何度も離れては戻りを繰り返している(まったく使わなくなることはないけど、例えばコンスタントに使い続ける時期と、必要があるときだけ使う時期がある)。

その理由がなぜなのかずっと考えてきたんだけど、大きな要因のひとつは、マンダラからこぼれてしまったセルの扱いががうまくいかないことにあると思う。具体的には、マンダラの中に位置づけられていないニュートラルなセルの扱い方。

そしてこれはマンダラートの本質的な問題とは違う、インターフェイス上の話だと思うので、個人的には(アプリとしての)iMandalArtの最大の課題なんじゃないかと思っている。



長い間この問題をうまく言えなくてもやもやしてたんだけど、GTDと比較することで言葉にできるようになったといえるかもしれない。

GTDをすごく簡略化していうと、人生で降りかかってくるいろんなことを、まずはニュートラルな入れ場所に全て書き出し(キャプチャー)、降りかかってくる全てを覚えておかなければならないという心理的な負担を減らす。キャプチャーした内容は、後からまとめて実行可能なコンテクスト(家、職場、PC、電話、出先などなど)用のリストに振り分け、自分がそのコンテクストにあるときに順次実行していく。

GTDには様々な要素があるけど、デビッド・アレンが「バケット=バケツ」と呼び、一般的なGTDアプリでは「受信箱」と呼ばれることの多いこの「ニュートラルな入れ場所」の存在は、最大のキモのひとつだ(これだけだ簡略化しすぎで語弊があるんで、詳細はこちらを参照)。

で、iMandalArtにはこのバケット/受信箱に該当するものがない。そのため、降りかかってくるいろんなことをどんどん取り込んでいくと、中途半端なマンダラが適切でない場所に滞留してしまい、放っておくと処理できずにパンクする。その整理に心理的・物理的負担がかかる。

手帖時代から同じ問題はあったけど、最新のマンダラートであるiPhone版のiMandalArtになっても本質的には変わっていない(iPad版のiMandalArt HDは使用した経験はないので、念のため)。そして「物ごとが降りかかってくる」量とスピードは、マンダラートが誕生した80年代よりはるかに多く・速くなっている。



Palm版マンダラートのver.2でGet-Manda-Laというある種GTDアプリ的なアプローチが導入され、今のiMandalArtにも受け継がれている。

新しいマンダラは全てGet画面で作られ、管理される。Getでランダムに作られたマンダラの中で、今現在取り組んでいるものをLaの画面に読み込んで作業する。あるいはManda画面にある様々な人生の局面にセットする。

ここでは一見Get画面がバケット/受信箱になっているようにみえる。でも問題は、Get画面が「マンダラ」が生まれ、管理をする場所と位置づけられていることだ。

少なくとも自分の使い方では、生まれてきて、あるいは降りかかってきてキャプチャーされるのは「マンダラ」ではなく「セル」だ。つまりまだマンダラを形成していないマンダラの「種」みたいなものだ。セルが分裂したりくっつきあったりして、はじめてマンダラが生まれるのだ。

Get画面で生まれたばかりの「セル」は、最終的に「中心セル」としてひとつのマンダラを形成するのか、中心セルの周囲を取り囲む「周辺セル」になるのか、あるいは周辺セルをさらにブレークダウンしたセルになるのか、その時点ではわからない、ニュートラルな存在だ。

しかし、今のiMandalArtでは、Get画面のファイルセルの階層にマンダラの中心セルが来るように常に意識していなければならない(ファイルセルの階層しかLa画面には読み込めないから)。

ということはつまり、書き出したセルのどれが「中心セル」になるのか常に意識していなければならないということだ。これでは、ランダムに書き出した内容を眺めながら「これは要するにどういうことなのか?」考えるときにとても不自由だ。

見出しと本文を分けるタイプのアウトライナーが、考えながら文章を書く道具として不自由なのと同じ理由だ(→このあたりに興味のある方は、こちらで議論してるので興味のある方は参照してね)。



私見だけど、この種のまだマンダラの中に位置づけられていない独立したセルは、リニアなリスト形式で表示されるべきだと思う。

マンダラートは一貫して「リニアであること」を否定してきたけれど、たくさんの断片(素材)中からスキャンするときはリニアの方がいい。「リニアは序列を生み出してしまう」というのは紙の上でのことであり、画面の上を高速スクロールするリストのコンテンツは、リニアに並んではいても序列はない。むしろ階層という枠がはまっていない分、自由だ。

最初に生まれるマンダラの「種」=セルは、リニアなリスト上にニュートラルにため込んでおき、必要に応じてどのマンダラのどのセルにも読み込んでこられるというのが、個人的理想なのだけど。
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マンダラートのスパルタンな魅力 [マンダラート]

去年、iPhone用のマンダラートアプリ「iMandalart」がようやく完成の域に達したと書いた

いろいろあった問題点がようやく解消されて、安心して使える状態になったこともあって、今はiPhoneでもっとも利用頻度の高いアプリになっている(長い間残っていた、カットしたセルが突然ペーストできなくなる=消えてしまう、という恐怖のバグもついに解消された)。

そもそもiPhoneが登場したときに真っ先に購入したのは、マンダラートがこの上で使えるようになるという期待があったからだけど(もうひとつはアウトライナーが使えるようになるという期待があったからだけど)、実際にアプリが登場するまでに一年待ち、そしていろんな問題が解決して常用できるようになるまで更に一年以上。良いものをつくるには、時間がかかるということだよね。

だから、今では個人的にiPhoneでもっともお勧めするアプリなんだけど、マンダラートほど人に説明しにくいものはない。少し前に職場の後輩が購入したのだけど、その後何の音沙汰もないところをみると、きっと使ってないだろう(笑)。



iPhone/iPadアプリとしてのiMandalartは、App Storeの分類では「仕事効率化」に分類されている。だけどiMandalartは、というかマンダラートは、果たして仕事を効率化してくれるんだろうか。あるいは一般的な意味でそれは「便利」なんだろうか。

そのジャンルにはThingsとかOmni FocusとかNozbeとかの超高機能GTDアプリも入っているわけだけど、たぶんそういうものとはあまり比較できない気がする。

たとえばマンダラートで今日一日のTo-Doリストを作ろうと思ったら、やるべきことを書く欄は8つしかない。

でも、一会社員に過ぎない自分だって、平日の朝に今日やらなきゃいけないこととか、やっておいた方がいいこととかを思いつくまま書き出せと言われれば、20個くらいは軽く出てくる。

ちなみに「フランクリン・プランナー」のデイリーシートのTo-Do欄を数えると28行ある。その上、書ききれなかったときのために付け足すためのシートまである。

でも、マンダラートを使うかぎり、今日のTo-Doは8つ以内に絞らなければならない。なぜなら8つしか書く場所がないから(※実際にはやり方がないわけじゃないけど、原則は8個)。

こんなんじゃ、とても足りない、というのが、初めてマンダラートに触れた人のほとんどが持つ感想。そもそも手帖版のマンダラートが登場した80年代でさえ(パソコンもインターネットもメールも携帯電話も何もなかった頃)そう言われてたんだから。

だからその意味でマンダラートは決して便利な(仕事を効率化してくれる)手法ではないし、アプリでもない。

でももうひとつの事実は、今日のTo-Doを20個書いたとしても、20個完了することができる日はまずないということだ。

もっと言ってしまえば8個以上完了する日さえ、そんなにたくさんはない。少なくともぼくはそうだ。そして、多くの人がそうであることをぼくは知っている。

さらに、多くの人が、20個書き出したことのうち4個しか終わらない日を繰り返しているうちに、イヤになってリストを作る自体をやめてしまうことも知っている。

ということは、もともとそんなにたくさんのリストに意味なんかないということだ。

ここで考えなければならないのは、他人の都合で途切れることなく降りかかってくる大量のタスクを片っ端から「効率的」にさばき続けるのと、自分が決めた基準に従って、1日にやることは細かいことも仕事もプライベートも含めて8つだけと決めるのと、どっちの人生を送りたいかということだ。

個人的には後者がいいな。

マンダラートの本当のすごさは、いったんそのスパルタンな制限を受け入れて、やることを自分にとって本当に意味があること、必要なこと、大事なことだけに絞り込もうと決めて使うと、理解できる。

自分にとって何が意味があるのか、何が大事なのかが自然に浮かび上がってくるような仕組みが組み込まれているからだ。

これはアプリとしてのiMandalartの機能としてもそうだけど、そもそもマンダラートという手法自体が「自分」を中心に置くことから始まるようになっている。

ちなみにマンダラートはレオ・バボータの「フォーカス」の考え方とすごく相性がいいと思う。
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手法とツール [マンダラート]

ようやく完成した(?)iMandalArtをいろいろといじっていてふと思ったこと。

やっぱり「手法としてのマンダラート」と「ツールとしてのマンダラート」は分かれているべきなのかもしれない。

たとえば、デビッド・アレンが提唱する「手法としてのGTD」と「ツールとしてのGTDアプリ」は分かれている。アレン自身は自前のアプリを提供はしていない。

マンダラートの開発者・提唱者である今泉先生は、手法としてのマンダラートを提唱し続け、ツールの実装は他の人たちに任せてもいいのではないかと思う。

もちろん、数あるツールの中のひとつとして、自前のツールを提供し続けるというのはありだし、アレンがOmni Focusを推奨するように、出来のいい、あるいは自分の考え方に近いツールにお墨付きを与える、というようなことはあっていいと思う。

手法としてのマンダラートのすばらしさも、アプリとしてのiMandalArtのすばらしさも認めた上で、敢えてそんなことを思ってみた。


ついでにいえば、手法としてのアウトライン・プロセッシングよりも、ツールとしてのアウトライナーが先に来てしまったことが、アウトライナーの不幸だったのかもしれない。
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iMandalArtがようやく完成する? [マンダラート]

このブログにはじめて来られる方の検索ワードの上位を常に占めているのが「マンダラート」です(マンダラートについてわからない方は、まずはマンダラートのサイトを参照)。

カテゴリーの中にもちゃんと「マンダラート」というのがあるし、ということはマンダラートについてたくさん書く心づもりがあったということなんだけど、実際にはほとんど書いていません。情報を求めてこられた方はがっかりしてるかもしれない(笑)。

書かなかったのにはもちろん理由があって、ひとつはマンダラートについて書くことはアウトライナー以上に難しいということ、そして現在のマンダラートの主流であるiPhone版iMandalArtに不満があったからです。

不満というのは、もちろん階層を越えたセルのコピーができないということです。

ユーザーでない方にはわかりにくいと思うけど、iMandalArtのセルには「フォルダセル」「ファイルセル」「普通のセル」の3種類があり、これまでのiMandalArtでは、フォルダセルはフォルダセル同士、ファイルセルはファイルセル同士でしかコピー/ペーストができなかったのです。

そもそもセルに序列、あるいは種別があるということ自体が、本来のマンダラートからすればあり得ないのではないかと思う。

それはアウトライナーでたとえれば、レベル1の項目はレベル1同士でしか、レベル2の項目はレベル2同士でしか移動ができないようなものです。

今のiMandalArtを使っていると、「考えるための道具」でありながら要所要所でその制限にぶつかって、頭の動きがブロックされてしまう。何かを考えているときに、セルの種類なんて意識したくないのです。

そして、iMandalArtを使いこなせないという人の多くの原因て、実はそこにあるんじゃないかと思うのですが。

今泉先生がそのことを意識されていないはずはないと思うので、あくまでも開発上の問題だと思うんだけど(なにしろ、去年の銀座アップルストアでのイベントでも、マンダラートの機能の実装はものすごく難しいという話だったし)。

そもそもセルに序列が登場したのは、Get-Manda-Laという概念が導入されたPalm版マンダラートver.2からですが(Palm版にはフォルダセルはないけど)、それ以前はマンダラートのセルはどのセルからどのセルにでも自由に移動できるしコピーもできる、全てのセルがパーツにもなるしフレームにもなる、本当に自由なものでした。今でもぼくはPalm版Ver.1が最高のマンダラートだったと思っています。

と、ながながと批判してしまいましたが、その制限が次のパージョンでようやく解消されるとのこと。

iMandalArt開発チームのブログMandal-Art Devには、以下のようにあります。
今回のアップデートは、セルの階層間コピーを可能にしました。
これまで、フォルダセル、ファイルセル、セルと同一階層しかコピー&ペーストは出来ませんでしたが、 これで階層を超えたセルの移動が自由になりました。

書いてる途中で、セル移動に制限があった為に、うまく考えをまとめる事が出来ないというユーザーの方々からの声も多く頂いていました。 でも、これで全て解決です。 お待たせしました。

やっぱり同じように考えてる人、多かったんだな。
これで、はじめてiMandalArtが本当に意味で完成するかもしれない、と期待しています。

早ければ今週中くらいにはダウンロード可能になるのかな?
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