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スモーカーの特権、あるいは学び続けることについて(デイブ・ワイナー) [その他翻訳]

2003年のデイブ・ワイナーの小品エッセイ「Smokers only」の翻訳です。Scripting Newsのアーカイブには、こういう小さいけれど素敵なエッセイがたくさん埋もれています(ワイナーさんには自由に翻訳することを許可いただいています)。

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煙草を吸っていた頃は、よく喫煙者同士で喫煙所でたむろしたものだった。煙草をやめていちばん懐かしく思うことのひとつがこれだ。喫煙所は立場も年齢も超えた、議論に最適な場所であることが多い。喫煙という共通項が、他のあらゆる属性__年齢、性別、職業__を超越させてくれるからだ。

あるリゾート地の喫煙所で交わした会話を今でも覚えている。そこはそのリゾート地で唯一喫煙可能な場所だった。相手は当時20代前半の男。たいした話ではない。ただ若者と年寄り(当時私は40代前半だった)に関する最も重要なテーマについて話したというだけだ。

「デイブ、なぜあんたは俺より頭がいいと思うんだ?」というのがそれだ。別の言い方をすれば「おっさん、あんたは何もわかっちゃいない」ということだ。もちろん、若者が年寄りに対して言いたいことは、だいたいそんなような感じだ(と私には感じられる)。

さて、私はこの若者よりも頭がいいのだろうか。

もちろんそんなことはわからない。頭の良さを測定する客観的な指標がない限り。だから私にできるのは、持論を述べることだけだ。ただし、持論を補強するために科学的な手法を用いることはできる。そこで私はその若い友人にいくつか質問をした。

「君は今いくつだい?」
「22歳だ」
「じゃあ、自分は18歳のときよりも賢くなったと思う?」
「もちろん! 18のときの俺はただのアホだったよ」
「じゃあ15歳のときと比べたら?」
「15のときの俺は何も知らないガキだった」

(このあたりでとどめをさしにかかる)

「じゃあ、学びは22歳で止まると思う?」

答え:もちろん学びは22歳で止まったりはしない。20代後半のあなたは、20代前半には想像もつかなかったことを学ぶことになる。30代前半にも、30代半ばにも、30代後半にも(なんてことだ!)、そして40代前半にも。学びにつながるのは自身の体験だけではない。たとえば親の死。あるいは子どもの大学進学。そして、自分ではどうしようもないことも(心臓バイパス手術とか)。

人生でいちばん素敵なことのひとつは、死の瞬間まで学び続けられるということだ。それは生きることの最大の楽しみのひとつでもある。なぜかはわからないが、純粋な学びは喜びをもたらしてくれる。学んだことが実際に役立つかどうかとは関係なく。周囲の年寄りに聞いてみてほしい。

ちなみにその若い友人の意見は、煎じ詰めれば「学びは22歳以降は発生しない」というものだった。彼の電話番号かメールアドレスを聞いておけばよかったと思う。彼は今27歳くらいになっているだろう。今の彼にぜひ聞いてみたいことがある。

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ビル・ゲイツがあなたの窓を拭く [その他翻訳]

日本語に置きかえにくいなあと思う英語のひとつに「do the ○○」がある。これで「(名詞○○に関する)作業を行う」という意味になる。

たとえばdo the floorで床掃除、do the carだと洗車。他にもいろいろある。

Macに付属の英和辞典(ウィズダム英和辞典)の"do"のところには、この用法は「目的語となる名詞に関する典型的な行為を表すが、特定の動詞を用いる場合と違って習慣的反復的家事の一部としてとらえる言い方」と説明してある。

面白いのは、作業が具体的に何であるかは自明の前提なので明示されないというところ。まさに「習慣的反復的家事の一部」だから、その必要はないのだ。

ここから先は辞書ではなく自分の感覚の話なんだけど、たとえばdo the lawnだったら芝刈りを示す可能性もあるし、水やりを示す可能性もある。そして、そのどちらを示すかが当事者間で自明の場合のみdo the lawnが使われる。

逆にいえば、お母さんが子どもに「Do the lawn before going out to play」と言ったとしたら、芝について何をdoするのかは、(毎日必ず水をやる約束があるなどして)お互いに了解されているはず、ということになる。

そして、このようなdoの使い方には、あなたとわたしの間ではそれは前提ですよね、当然ですよね、もちろんわかってますよねというニュアンス、つまり「互いに些細で繰り返し行われる日常的な行為を共有している」という感覚が含まれているように感じる。

そこには「water the lawn(芝に水をやりなさい)」とは微妙に違う何かがある。この感覚を日本語に置きかえるのはなかなかに難しい。



Windows95の時代、画面にビル・ゲイツ(と明らかにわかるキャラクター)が出てきて、ひたすら「窓拭き」を続けるという「Gates Does Windows」というスクリーンセーバーがあった。

もちろん、do the windowsで「窓ふき」という意味になるのと、Windowsがかかってるわけですね。

当時のWindowsが世界を支配していく(かに見えた)状況、そのWindowsを売る世界一の大富豪ビル・ゲイツがあなたの「窓」を拭くという設定が絶妙なんだけど、それもdo the windowsという言い方に含まれる微妙なニュアンスがあってこそ。

もしGates Wash Windowsだったらそんなに面白くないだろうというところが、面白い。
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リスペクトについて(デイブ・ワイナー) [その他翻訳]

原文:R E S P E C T

毎年1月1日、そして5月の上旬に重要な記事を書くというのが、ScriptingNewsの長い伝統だ。多くの場合それは数ヶ月、あるいは数年間の思索を形にしたものだ。そしてこの記事もそのひとつだ。それほど長くはないが、このブログの初期、リスペクトについて定期的に書いていた頃のテーマにたちかえるものだ。私はリスペクトということの意味をずっと考え続けてきた。そして最終的に理解できたと思う。

リスペクトは、誠実さと深く関わっている。リスペクトとは、あなたが思うその人ではなく、その人の年齢や性別や人種に望まれることでもなく(もちろんあなたにとってということだ。こうしたことは人によって意味するところが違う)、本当のその人自身に耳を澄ますということだ。また、かつてのその人ではなく、今現在のその人に耳を澄ますということだ。

リスペクトの正体は、リスペクトを「はらう」という発想にみることができる。リスペクトを「はらう」とは、テキストメッセージやメールや電話ではなく、その人に直接会うということだ。過去ではなく、今現在のその人と直接顔を合わせるということだ。誰かがあなたをリスペクトしていると人づてに伝えられることを考えてみよう。その人と共にいること。耳を澄ませること。本当に耳を済ませること。それがリスペクトということだ。

子どもを前にして、あなたは「個人」を見るだろうか。それとも「いつか個人になる誰か」を見るだろうか。子どもは、現在の自分をリスペクトに値する「個人」と見られたいと願っている。話を聞いて、とその子は言うかもしない。それが義務だからではなく、愛しているから、そしてリスペクトしているからという理由で、あなたに話を聞いて欲しい。おむつを替えたことはできれば忘れて、ぼくの視点から世界を眺めてみてほしい。大切な個人としてのぼくの視点で。

多くの人は本当に耳を傾けることを恐れていると思う。だから、本物のリスペクトがこんなにも少ないのだ。
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「男と女についての古典的ジョーク」 [その他翻訳]

デイブ・ワイナーのScripting News「A classic example of gender humor」より。

出典がどこなのかわからないけど面白いので訳しちゃった。
出典知ってる方いたら教えてください。
ちなみにもう15年以上結婚してますが、えーと、よくわかります。
彼女の日記
今日の彼は変だった。私たちは素敵なレストランでディナーの約束をしていた。友だちと一日中買い物をしていて少し遅刻してしまったので、そのことで彼が怒っているのかと思ったけど、彼はそのことについては何も言わなかった。会話が続かなかったので、どこか話やすい静かなところに行きましょうと提案した。彼は同意したが、それでもあまりしゃべらなかった。何が問題なのか聞いてみたが、「別に何も…」としか言わない。私のことで何か怒っているのかと聞いた。自分は怒っていないし、君にはまったく関係ないので気にすることはない、と彼は言った。帰り道、私は彼に「愛してる」と言った。彼はかすかに微笑み、運転を続けた。私には彼が理解できなかった。なぜ「僕も愛してるよ」と言ってくれないのだろう。家に着いたとき、私は彼を失ってしまったように感じていた。彼はもう私といたくないのだと。彼はただ静かに座ってテレビを観ていた。相変わらず上の空で、適当に相づちを打ちながら。やがて沈黙が訪れ、ベッドに入ることにした。15分ほどして彼もベッドに入ってきたが、まだ何かに気を取られ、心ここにあらずという感じだった。やがて彼は眠りに落ち、私は泣いた。どうしていいかわからなかった。彼の心が他の人の元にあることを、私はほとんど確信していた。私の人生は悲劇だ。

彼の日記
コードが動かない。なぜだ。

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デイブ・ワイナー「男は、沈黙する」 [その他翻訳]

デイブ・ワイナー「Men Stay Silent」の日本語訳。

けっこう昔のものだし、アウトライナーともコンピューターとも何の関係もない(でも、アウトライナーで書いたのがありありとわかる)。だけど身につまされる。ワイナーがときどき書く、こういう文章が好き。

これを読むと、アメリカで「男」であるというのは大変なことなんだなあと思う。男は思っていることを口にしてはいけない。悲しかったり傷ついたりしてもいけない。そういうマッチョな意識は、日本よりもアメリカの方がおそらくずっと強い。

「男は」「女は」という表現が受け付けない人もいるかもしれないけど、個人的にはけっこういろんなことを考えされられた。大人であることとか、強さについてとか。

ワイナーの文章に出てくる「男」は実はそのまま「大人」に入れ替え可能だ。そして、英語のmanhood(男らしさ、男性性)という言葉には「おとな」という意味もあるのだよね。

以下、本文。


この記事を読む前に、コーヒーでも淹れてきてはどうだろう。
ながああああくなるはずだから。

この記事は、数年の間書きたいと思っていながらどう書けばいいのかわからなかったものだ。新年をきっかけに書くことができた。さて、どんな真実が明らかにされるのだろうか。

それでは楽しむことにしよう!

男の子の涙

数年前、私の家のプールでパーティをしていたときのことだ。大人も子どもも集まっていた。

6才の男の子が父親の元にかけより、抱きついて大粒の涙をこぼして泣きはじめた。

私は自分がそのぐらいの年だったときのことを思い出した。野球をしていてボールを取り損ねたとき、あるいはテストで悪い点を取ったとき、私は泣き出しては恥ずかしい思いをした。

何年もの後、私は友人の息子を眺めながら、感情をコントロールできないことに対して同情した。

若い女性の涙

長く付き合った恋人と別れる数週間前のこと、私たちはベッドの中にいて、私は突然夫を亡くした彼女の友人の話を聞いていた。

車には女性ばかり四人、車に乗っていた。前に二人、後ろに二人。彼女は車のフロントシートに座っていた。後席にい彼女の友人が抑えられず、声をあげて泣きはじめた。

自分を制御できなくなるほどの深い悲しみを感じるというのは、なんと恐ろしいことだろう。私はその話を聞きながら当時の自分に問いかけた。そこまで弱さをさらけ出さざるを得ないほどの痛みにどのように対処すればいいか、私には想像できなかった。

デイブの涙

数ヶ月後、テレビのメロドラマにもならないような別れの後、私は兄といっしょにジムでエクササイズをしていた。みっちりウェイトをやって、息を切らしながら私たちはサウナに入った。

そして、私にもそれが起こったのだ! 私は泣きはじめた。止めることができなかった。あらゆる感情が交じり合い、吹き出してきた。その涙は、もっとずっと大きな何かが爆発しそうになっていることの目に見えるサインだった。

数ヶ月前の私と同じように兄は動揺した。「やめろ、こんなところで!」と彼は言った。私は泣きながら笑いはじめた。素晴らしい気分だということを兄に知ってほしかった。その逆、つまり泣かないことよりもはるかに素晴らしかった。封じ込めておくことには膨大なエネルギーが必要だ。それを解放することの安心感といったら。

男は沈黙する

この歳になっても、私たちは男らしさを感情のコントロール能力で定義している。それが私たちを苦しめているし、私たちはそのことを知っている。

この問題には二つの側面がある。男性は自分の気持ちを表現してもいいのか、そして女性や他の男性はそれを許すのかということだ。

私は男性の話を聞くことが苦手だ。男性が自分の感じていることについて、あるいは目にしているものについて口にするのは、どこか妙な感じがする。私はその妙な感じを気にしないでいることを学んだ。話す気があるのなら、私は男性の話にも、女性の話と同じように耳を傾ける。

女性は自分について本当に自由に話す。話を整理し、教え、しつける。「男」になる方法を男の子に教えさえする。

男性は説明が下手だ。個人として輝くことができるが、自らのジェンダーに対するイメージを改善するために私たちは何もしていない。

コインの両面

男性は自らをもっと表現して欲しいという声を女性から聞くことがある。その点については言いたいことがある。

あなたたちが男性の言うことをもっと聴く姿勢を持てば、男性はもっと表現するだろう。

全てのコインには裏と表がある。私を含む多くの男性が、自らについての真実を、あるいは自分の目にしている物ごとを、口にすることを許されていないように感じている。このバリアはあらゆる場所にあるようだ。

考えるべきこと

さて、この記事についてどう感じただろうか?
あなたを不安にさせてしまっただろうか?
次に何がくるのかと思っているだろうか?
購読を止めようと思うだろうか?

でも、このことについて考えてみて欲しい。

私はここに書いたようなことを言いたいとは思わない。だからこそ言っているのだ。あなたは聴きたくないかもしれない。だからこそ聴くべきなのだ。

男は、沈黙する

男は、沈黙する。私たち男は、自らを表現するための言葉を操作する。自分たちの真の姿を封じ込める。そして、自分たちに対して世の中が抱いている幻想を実現しようとする。それが真実であろうとなかろうと。

要するに、私たちは自らを嘘で固める。言いたいことがあっても人々は耳を傾けようとしない。だから沈黙する。一部には怒りを爆発させる者もいるが、いずれにしても、私たちの本当の姿は見えなくなってしまう。

そして生気のない目で、死んだように生きる。

神話

男は強い。
男は恐れを知らない。
社会は男のためにある!

現実的になろう

全ての男には母親がいる。
男と女は互いを創り、共に世界を創る。
黙っているべき人などいない。

デイブ・ワイナー
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デイブ・ワイナー「変わっていく人を引き留めるのは止すことにしよう」 [その他翻訳]

デイブ・ワイナー「Let's not argue about that」の日本語訳。

アウトライナーとは何の関係もないけど、なんだか身につまされてつい訳してしまった…。背景もなんとなく想像がつく気がするしね。


あなたの不満の原因が、以下のどれかだったとする。
1. ある人が、あなたの望むように振る舞わない。
2. あるいは、そうするべきだと考えていない。
3. あるいは、言っていたことと違うことをしている。

この種の不満には、とても簡単な対処法がある。

その人がその人自身であることは自由だし、変わっていくことも自由だ。だからこれまでその人のことが好きだったのなら、これからも好きでいることだ。

もしそうしなければ、その人は成長することができなくなってしまうし、あなたがその人の成長を見守ることもできなくなってしまう。それは友情とは言えないだろう。

人は変わっていくものであり、それは恐れるべきことではない。それが現実だし、それはあなたの問題ではないからだ。変わりつつあるのがあなた自身でない限り。

人間関係の不満のあまりに多くが、この種の行き違いから生まれていると思う……それはとても無意味なことだ。
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ドイツに行くとき覚えておくべき20のこと [その他翻訳]

ドイツ人がアメリカ人向けに書いたものなんですが、これが本当に面白いので、訳しちゃいました(不調なときにはこういうことをすると、すこし元気になります)。これ、「日本バージョン」をつくってみたい。

原文:20 things to keep in mind when visiting Germany

1. ビールについて理解しているのは我々であってあなた方ではない。
誰がその台所洗剤みたいなものを「ビール」と呼んだかしらないが、誤解のもとだ。ドイツでビールを注文するときには、きんきんに冷えていることを期待してはならない。そしてもちろん、泡は意図してそこにあるのだ。

2. アウトバーンについて。
これは確かに真実である:アウトバーンにおける「速度制限無し」の標識は、実際に速度に制限はないという意味である。

3. サッカーは女子供のためのものではない。
ほとんどのドイツ女性は、サッカーのことなど興味はない。しかし男性はそうではない。アメリカ人にとってのフットボール、バスケットボール、野球を全て合わせたものを想像すれば、我々にとってのサッカーの意味が理解できるだろう。

4. 「レーダーホーゼン」を履いた人が見たいのなら、バイエルンに行こう。
バイエルンはドイツのテキサスのようなものだ。人々は妙な話し方をし、不思議な服を着ているので、他の国民からは笑いのネタにされている。つまりバイエルンにおける「レーダーホーゼン」はテキサスにおけるカウボーイハットに相当する。

5. 日曜日は休息のための日であって買い物のためではない。祭日についても同様。ちなみに我が国にはたくさんの祭日がある。
そう、ドイツ人はルール好きだが、ほとんどの外国人が理解できないルールのひとつがこれだ。あらゆる買い物は、平日の午前8時から午後9時の間に行われる(営業時間はまちまちだが、この時間帯にはほとんどの店が開いている)。唯一の例外はガソリンスタンドだ。一部のガソリンスタンドがまるで小さな雑貨屋のようにみえるのはそのためだ。

6. 我々に笑顔を期待しないでほしい。ここはウォールマートではない。
90年代、ウォールマートはドイツの小売業界で成功するために莫大な金額を注ぎ込んだ。お客様へのご挨拶、笑顔、フレンドリーな接客、そして組合活動の抑制までをパッケージにして。2006年、彼らは店を売り払ってドイツを去った。我々は理由もなく笑うことは得意ではないのだ。

7. ドイツ語ができない? 大丈夫、英語がある。
40才から下のほとんどのドイツ人は、英語ができる。ひょっとしたら完璧とは言えないかも知れないが、なんとか使える程度に。ちなみに、もしあなたが彼らのアクセントを聴いて笑い出したい衝動にかられたら、ドイツ語に挑戦してみよう。我々にもときには笑いが必要だ。

8. 「フォルクスムジーク(民族音楽)」が聞こえてきたら……逃げろ!
それは、終わりのないポルカ地獄のようなものだ。科学的根拠はないが、フォルクスムジークを聴くと脳が溶けると私は確信している。

9. 我が国には公共交通機関がある。
小さな村々を除けば、車を使わずにほとんどどこにでも出かけることができる。この点がなぜ我々にとって重要なのか理解できなければ、ドイツのガソリンスタンドで満タンにしてからレシートを見るとよい。だから、我々は環境保護主義者になるのだ。

10. 男同士のキスシーンは見たくない? ならあっちを向いていよう(そしてケルンには行かないこと)。
他の記事でも書いたように、自分自身が関係を持ちたい場合を除いて、他人のセクシュアリティは我々の関知するところではない。ああ、それからケルンはドイツにおけるゲイの都である。

11. セックスとドラッグに関するヨーロッパ人のリベラルさについて何を耳にしたかは知らないが——ここはオランダではない!
コーヒーショップに行っても合法的にドラッグを入手することはできない。ドラッグに関して言えば、ドイツは合衆国とさして変わるところはない。

12. 乳首を目にしたくないならテレビをつけるな。
これは真面目な話だ。特に民間放送局の夜間の番組は、テレフォンセックスのコマーシャルのオンパレードである。

13. 良いことは何一つないと理解することは、ペシミズムではない。
あるとき神は人々に告げた。「世界は終わることになる」。ドイツ人たちは腹を立てて家に帰ってしまった。神は続けた。「それまでには20億年ほどかかる」。アメリカ人たちは喜んだ。うん、まあ証明はできないが、おそらくそんなようなことだったと思う。

14. もし16才以上の子供を連れて旅行するなら、よく監視しておくこと。
彼らがビールとワインを飲むことは合法である。ハードリカーは禁止だが。

15. 買い物に数学は不要だ。我が国の表示価格は内税である。
アメリカで、実際に支払う必要のある金額とは異なる値札を商品につける理由が、私にはどうしてもわからない。

16. 席に案内されるのを待ってはいけない。
ほら、そこに良い席があいている。座ろう。簡単なことだ。

17. チップは歓迎されるが、義務ではない。
ドイツでは、ウェイターは生活していくのに充分なだけの給料をもらっている。もちろんそんなに多いわけではないが、チップを義務化するほどではない。ドイツにおけるチップは、良いサービスに対する純粋な感謝の印である。

18. ドイツの電源は110Vではなく220/230Vだ。アダプターを買おう。
準備なしにやってくる旅行者の多さは、まったく信じられないほどだ。

19. ナチの時代は遠い昔に去った。
とはいえ、その遺物のような連中がまったく存在しないということではない。スキンヘッドのように見える男が、スキンヘッドのように叫び、その上スキンヘッドのような匂いがしたら、自らの判断を信じて彼を避けるようにしよう。特にドイツ東部ではそうだ。

20. WEB上の情報を全て信じてはいけない。もちろん、このリストも含めて。
それは一般論である。ドイツの街で出会うほとんどの人々は、あなたの母国の人々とそんなに変わるところはない。我々はフレンドリーで、楽しく、とても親切である。

※一応、ちゃんとした翻訳許可をお願い中。
※ちょこちょこと修正しています。
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