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MOREの伝説 [アウトライナー]

むかしむかし、MORE(モア)というアウトライナーがありました。日本語版が登場するのが遅かったこともあり、日本でのユーザー数は決して多くはなかったと思いますが、80年代の後半にマックの世界に触れた人には懐かしい名前なんじゃないでしょうか。

デイヴ・ワイナーと仲間たちによって生み出されたMOREは、アウトライナーの歴史を語るときに、避けては通れない作品であり、多くのアウトライナー好きの間で「アウトライナーの最高峰」と言われながら、不幸な運命によって消えざるを得なかった、悲劇のソフトでもあります。

MOREがどれほど愛されていたかは、消滅後何年も経っても、多くの人がなんとか方法を見つけて使いつづけてきたことでもわかります。MOREが手放せなくて、古いマックを使い続けているという人もいて(MOREは旧Mac OSでしか動作しません)、そのための情報サイトまであります。

そうしたユーザーの声。

「今、Word2000の時代にあって、このように年季の入った素晴らしい仕事が失われてしまったことを、私たちの多くが悲しんでいる。MORE3.1の死から8年たった今でも、MOREに比肩するような製品はどこにも、全く存在しない。—中略—MOREでは、私が他では全く見たことのないことが無数にできた。MOREは私が考えること助けてくれたのだ。あとほんの少しの改良(ファイルをまたがったクローン機能、AppleEventのサポートなど)で、MOREは完全な仕事環境へと進化したかもしれなかった。ブラッド・ペティット[Brad Pettit]は、MOREをソフトウェアにおけるクラシック・ロックンロール・アルバムと呼んでいる。」
(Tak.訳、原文

「私が愛するに至った全てのプログラムと同様、MOREは恐ろしく奥が深い——単に特別な機能があるからというだけでなく、私自身の思考プロセスの奥底の闇を照らし出す、隠れた能力を持っているのだ。—中略—私は消えることのない悲しみを感じ続けている。マックに移行したのは何年も前のことだ。いったいどうして、そのときにMOREを発見できなかったのか? 私はMOREに心酔している。最初からこれがあったら、私ははるかに多くのことを達成できたはずだ。私は何年間も無駄にしてしまったのだ。」
Tak.による日本語訳全文原文



MOREは、ワイナーのLiving Videotext社が生み出した最初のアウトライナーThinkTankの後継製品として、1987年に最初のバージョンが登場し、同社の最大のヒット商品となりました(MORE誕生のエピソードはこちらを参照)。ワイナー自身も、MOREの熱心なユーザーでした。特にMOREのバージョン3は特別だったようです。

「他の全てのアウトライナーとの関係は、一時的なロマンスに過ぎなかった。—中略—MORE3.0は違った。私はそれを7年間もの間使い続けたのだ。MORE3.0を使って、私は商品プラン、仕様書、エッセイ、そしてラブレターを書いた。MOREはThink C、Frontier、Eudoraと並んで、私にとっての中心的なアプリだった。—中略—1997年にメインの環境をWindowsNTに移行したとき、いちばん寂しく思ったのはMOREがないことだった。これは、多くのMOREユーザーから寄せられる声でもある。—中略—私は、1997年まですべてのDaveNetをMOREを使って書いた。セクション全体を、マウス操作ひとつであちこち動かせることは、私にとって決定的なだった。項目を折りたたんで全体を見渡すことができるのも素敵だった。」
(Tak.訳、原文

MOREを使う感覚を、ワイナーはこんなふうに表現しています。
「ツールと格闘するのではなく、ただ純粋に書いていた。それこそがMORE効果だった。」
(Tak.訳、原文



しかしMOREは、その後発展することなく不幸な運命をたどることになります。ワイナーのLiving Videotext社は、1987年にSymantec社からの買収を受け入れます。そして、MOREをはじめとするLiving Videotextの製品群は、その後もいくつかのバージョンがSymantecから発売されたものの、徐々に先細りになり、やがて見捨てられ、消えていきます。

ワイナーは書いています。「1987年、我々はLiving Videotext社とともに、ThinkTank、Ready!、MOREなどの製品をSymantec社に売却した。Symantecの我々に対する対応を私は評価しているし、今でもそのときの株式公開で得たお金で生計を立てているのだが、製品たちはSymantecの中で死を迎えることになった。そのことで彼らを非難しているわけではない。たとえ買収がなくても、その製品たちはリビングビデオテキスト社の中で同じように死を迎えることになった可能性が高いからだ。とはいえ、いくつかの良い製品が失われた。いまだに、多くの人がMOREはどうなったのかと私に質問してくる。それがどれほど先進的であったか、いかに代わるものがないか、彼らは語ってくれる。アウトライニングの芸術品が、このような結末を辿ったというのは悲しく、残念なことだ。こんなことは二度と起こさないと私は誓った。あのソフトの根底には、他では見つけることのできないすばらしいアイデアがたくさんあった。」
(Tak.訳、原文



MOREは、初期のWordとともに、80年代のぼくにとっての憧れのソフトでした。ぼくが最初にマックを買った動機のひとつは、MOREやWordを使ってみたいというものでした。そういう人はたくさんいたと思います。MOREもWordも当時は日本語が使えなかったんですが、いつか日本語化されることを夢見て待っていたわけです(実際にはSweetJAMというソフトを使うことで日本語を通すことが可能でした。当時はそのようにして英語版のソフトで日本語を使っていた人がたくさんいました)。

結局MOREの日本語版は、ずいぶん遅くなってから発売されました(手元に資料がないんですが、確か93年頃の話だったと思います)。既にLiving Videotextを買収したSymantec社からの発売。もちろんぼくは飛びつきました。渋谷の宮益坂の途中にあったソフト屋さんで買ったことを今でも覚えています。しかし、残念ながら日本語化が不完全で「愛用した」とはとても言えません。なにしろ、日本語のインライン入力ができない。つまり、キーボードから日本語を入力すると、別ウィンドウの中で漢字変換が行われ、確定すると所定の場所に流し込まれる。これでは、はっきり言って文章を書くソフトとしては使い物になりません。その後この点を改善したバージョンが登場したような記憶もあるんですが、定かではありません。

そんなわけで、MOREはぼくにとっては憧れのソフトのままです。アウトライナー好きとして、欧米のユーザーのような「MORE体験」をできなかったわけです。



その後、MOREのスピリットを継承したと言われるアウトライナーもいくつか登場しています。たとえば、日本語が使えるものとしてMac OS X用のTAOがあります(開発者は日本人です)。ぼくも登録ユーザーです。明らかにMOREを意識した機能の上に、さらに他のアウトライナーの特長も取り込み、機能の面だけからいえば、おそらく史上最強のアウトライナー。TidBITSの記事でも「MOREを置き換えるところにもっとも近づいた」と絶賛されました。ただ、問題はあまりにも機能が多く複雑で、全体像が把握できないことと、まだ未完成な部分が多く、操作性や動作がこなれていないこと。このまま発展していけば、現代版の「MORE体験」をさせてくれるのか。期待してます。



ところで、MOREの発売時の広告では、苦虫をかみつぶしたようなボス(上司)の写真に、こんなコピーが添えられています。なかなか素敵なコピーだと思います。

He's got three questions.
You've got two answers.
You need MORE.

ボスの質問は3つ。
あなたの答えは2つ。
あなたにはMORE(もう1つ)が必要だ。



最後に……
90年代末、Symantecの許可を得て、ワイナーの手によってMOREは無償で公開(このページで、上の広告も見られます)されました。ただし、Mac OS X10.5(Leopard)以降からは、クラシック環境(旧Mac OS用ソフトを動作させるためのイミュレーター)が取り除かれたので、MOREを使い続けることは、いよいよ難しくなってきています。
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