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アウトライン操作の〈型〉 (3)ブレイクダウン(細分化) [アウトライナー]

前の記事:
アウトライン操作の〈型〉 (2)リスティング(箇条書き)

ブレイクダウンは、項目を細分化することです。アウトライン的には「ひとつ下位の階層を作る」ことと表現できます。

ブレイクダウンを行うのは、たとえば以下のような場面です。

構成要素の検討

ある項目をより詳細なレベルに分割していくこと。

章から節、節から項、項から内容へとトップダウン的に長文を構成していくこと、あるいはプロジェクトを構成する個別のタスクを書き出すことなどがそれに当たります。

選択肢の検討

ある項目について考えられる選択肢を書き出して比較検討することです。

たとえばあるタスクで次に実行することの候補をいくつか書き出してみる、代替案をあげてみる、思いつくだけアイデアを書き出してみることなどです。

構成要素と異なるのは、書きだした項目の多くを消してしまう前提だということです。検討し、結論が出たら必要なものだけ残して消してしまいます。文字どおりその場で考えるためのブレイクダウンです。

要素分解

いったん文章(センテンスやパラグラフ)として書かれたものを要素に分解して項目化することです。

たとえば、フラットな文章として書いたものを、改行で区切っていくことでアウトライン化します。

これがなぜブレイクダウンなのかというと、完成した文章を上位階層、その素材を下位階層とみなすからです。厳密なパラグラフ・ライティングが行われている場合など、もとの文章の中に階層構造が含まれている場合もあります。

これは文章の流れを考えたり、ロジックを考えたりする場合の起点となります。また、「文章を書くことで考える」場合にも使います。まず文章の形にして、後からアウトライン化するのです(私はこれを多用します)。

(続く)

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アウトライン操作の〈型〉 (2)リスティング(箇条書き) [アウトライナー]

前の記事:
アウトライン操作の〈型〉 (1)アウトラインの操作とは何をすることか?

リスティングは、アウトライン項目を書き出すことです。要するに箇条書きなのですが、一般的な箇条書きよりもずっと広い意味を持っています。

たとえば以下のような場面です。

項目出し

後で操作することを前提として、ランダムに項目を書きだしていくことです。典型的なのはブレーンストーミングやアイデア出しです。

また、トップダウンでアウトラインを書き出すことも、それぞれの階層での項目出しと言えます。

記録・覚え書き・メモ

記録やログを取ったり、他人の会話から書き取ったり、覚えておきたいことや調べたことや考えたことを書き出すこともリスティングです。

これらは外から入ってくる情報ですが、アウトライン化することでそのままではわからなかった意味や構造を見出すことができます。

文章を書く

普通に文章を書くことも、アウトライン・プロセッシングの概念ではリスティングです。一本の線のように流れる文章も、改行で区切っていけば、そのままアウトラインの素材になります。



リスティングは、単なる「箇条書き」ではありません。なぜなら、それは後からアウトラインの中で操作される前提で書き出されるものだからです。

そして、自由なアウトライン・プロセッシングでは、改行で区切られたひとかたまりのテキストは全て「アウトライン項目」になります。

つまり、ごく普通に文章を書くことを含め、改行で区切られたテキストを入力するあらゆる場面がリスティングになるのです。

リスティングの段階を単独で取り出せば、書きだした項目はアウトラインの形になっていません。でもそれは、あらゆるアウトラインの起点になります。

(続く)

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アウトライン操作の〈型〉 (1)アウトラインの操作とは何をすることか? [アウトライナー]

『アウトライン・プロセッシング入門』に書ききれなかったことのひとつ。



アウトライナーは、アウトラインを操作するための機能を持っています。

もっとも基本的なものは
「アウトラインを表示する機能」
「アウトラインを折りたたむ機能」
「アウトラインを入れ替える機能」
の三つです。

「アウトラインを表示する機能」は、インデント(字下げ)によってアウトラインの階層関係を視覚的に表示する機能です。

「アウトラインを折りたたむ機能」は、指定した階層以下の項目をかくしてしまうことで、アウトラインの概要を把握しやすくする機能です。

「アウトラインを入れ替える機能」とは、項目をマウスやキーの操作で自由に移動する機能です。たとえ上位の項目を移動すれば、従属する下位の項目も(たとえ折りたたまれて非表示になっていても)いっしょに移動します。

この三つのシンプルな機能を組み合わせることで、アウトラインを自由自在に操作できます。



ところで「アウトラインを操作する」と書きましたが、それって具体的に何をすることでしょうか。

実践的なアウトライン・プロセッシングは、トップダウン思考とボトムアップ思考を行き来する〈シェイク〉によって行われます。

※〈シェイク〉については以下の記事を参照
トップダウンとボトムアップを「シェイク」する(1)
トップダウンとボトムアップを「シェイク」する(2)

この〈シェイク〉という考え方が『アウトライン・プロセッシング入門』のコアになったのですが、その前提になるのが、アウトラインを自由自在に操作する、ということです。

文章のアウトラインであれば、それは文字どおり文章のディテールと構造(たとえば章・節・項)を行き来しながら加筆し、削除し、組み替えることでしょう。

でも、アウトライナーで扱うアウトラインは、文章を書くこと以外にもさまざまな目的に使います。文字どおり〈文章を書き、考えること〉なら何にでも使えるのです。

そのときの「アウトラインの操作」とは、何をすることなのか?



いったん「文章のアウトライン」という発想から離れてみると、アウトライン操作はいくつかのカタチに整理できることがわかります。とりあえず、五つに分類してみました。

リスティング(箇条書き)
ブレイクダウン(細分化)
グルーピング(分類)
レベルアップ(上位階層への移動)
ソーティング(並べ替え)

これを「アウトラインの操作の〈型〉」と呼ぶことにします。
具体的に見ていきましょう。

(続く)

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アウトライナーアディクト的自由論 [アウトライナー]



アウトライン・プロセッシングは
ある場合にはとても便利だし、
ある場合にはとても効率的だけど、
それは本質ではない。

アウトライン・プロセッシングは
自由なものだ。

決められたようにではなく
自由に書き、自由に考えていいのが
アウトライン・プロセッシングだ。

自由なのだから、
書いた結果がねじれていたり
考えた結果が歪んでいたりしてもいい。
無理に枠にはめる必要はない。
人に合わせようと苦しむ必要もない。

自由だけれど、
書いたり考えたりした結果に
後から形を整えたり
後から枠にはめたり
後から決まりごとに合わせたりできる。

だから、
自由に書いたり考えたりした結果を
人に伝えることができる。
自由に書いたり考えたりしたあなたも、
人に合わせることができる。

それが、
アウトライン・プロセッシングだ。


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普通のカツ丼のポジティブな何か [Diary]

少し前、妻と某所の霊園にお墓参りに行ったとき。

その墓参にまつわるもろもろにはけっこう気の重いことが多いんだけど、ポジティブな要素もいくつかあって、そのひとつがカツ丼だった。



去年、その霊園にはじめて二人で行ったとき、まずお昼を食べようと駅前をいろいろ探し回って、こじゃれた店もファーストフードもどこもピンと来ない上に、歩いてるうちに身体が冷えてしまった。

そんなときどちらからともなく「カツ丼が食べたい」という話になり、カツ丼が食べられそうな店を探した。共通のイメージは「特に立派ではない普通のカツ丼」。

でも、今の時代にカツ丼に限らず「特に立派ではない普通の外食」ができる場所を見つけることは簡単ではない。

昔、そういう店は駅ビルやデパートのレストランフロア(というか「食堂街」)にあったのだが、ここ十五年くらいでほとんどは「立派でおいしいんだろうけどむやみに高い店」か「立派でもおいしくもないくせにむやみに高い店」に変わってしまった。

「安くておいしい店」や「適正価格のリーズナブルな店」は今でもちゃんとあるけど、そういうものは地上を時間をかけて足で探して、その上失敗を繰り返さないと見つからない。

霊園に行くために訪れた埼玉某所でそれをする時間も根性もぼくらにはなかった。

と思っていたら、駅前にいかにも昭和の雰囲気を醸し出しているデパートがあった。自分たちの生活圏ではもう絶滅してしまった、古き良き時代のデパート。

直感があり、そのデパートに入ってみたところ、案の定八階レストランフロアの特に立派ではない普通の蕎麦屋に、特に立派ではない普通のカツ丼があった。

それなりに景色のいい窓際の席で食べたカツ丼はなんというか、鮮烈さなどどこにもない、いかにもカツ丼という見た目通りの味なんだけど、甘くて香ばしくて冷えた身体も冷えた心も温まる、普通のカツ丼だった。たくあんだってついている。

(井之頭五郎なら「うん、こういうのでいいんだよ」とつぶやくだろう)

来年もお墓参りに来たらまたここでお昼を食べよう。そう二人で決めて、墓参にともなうもろもろの気の重さは少し軽くなった。



今年もその特に立派ではない普通の蕎麦屋の、特に立派ではない普通のカツ丼は去年と同じように存在していた。

そして自分たちも去年と同じように存在していて、去年決めた通りやってきて、去年決めた通り窓際の席で今年もカツ丼を食べた。

それはちょっと思うほど簡単なことじゃないということを、今では二人とも知っている。

でも、それを実感できる(そして共有できる)ということも、きっとポジティブな何かなのだ。


あ、それから「なんてことない普通の味」というのは実はかなりおいしいという意味なのだと知ったことも。

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