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30年ぶりに点灯 [Diary]

アメリカから持ち帰ってきた陶器製パンプキン。
30年ぶりに点灯された写真が実家から送られてきた。
ちょっと必死な感じ。
ロウソクは仏壇用のだそうです。
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夢とか目標は「書きたいこと」に似ている [Diary]

なぜ、一度決めた「夢」や一度たてた「目標」はブレてはいけないのか?

というのが、「計画的行動はアウトラインに基づいて文章を書くことに似ている」と思って以来考えてること。いけなくないのかもしれないけど、なんかいけないような気がする。

一度決めた「夢」や「目標」に向けて、脇目もふらずに邁進する人というのは、それがころころ変わる人よりも、世の中的に評価される(可能性が高い)。

それはもちろん、立派なことだと思うけど、じゃあ「夢」や「目標」が変わることはそんなにいけないことなのか。



昔、柄谷行人が(手書きで)以前書いた文章を改訂しようとして、ワープロに打ち込んでもらって編集しているうちに結論が変わってしまう、と言っていたのを覚えている(確か「文学界」での高橋源一郎との対談だったと思う)。

最初あんなに確固としてるように思えた「書きたいこと」とか「結論」というものが、実はプロセス次第でどうにでも変わってしまう。それは、コンピューターを使って書くこと、つまり一度書いたことをいくらでも修正し、編集できるようになったときから、多くの人が感じてきたことだと思う。

「書きたいこと」を伝えようとして練っているうちに、気がつくと「書きたいこと」自体があんまりしっくりこなくなっている。それどころか、下手をすると逆になったり。

そんなことが起きるのは、自分の考えが浅いせいだと当時思ってたので、柄谷さんでさえそうなのかと知って「おお!」と感動したわけだけど。

書くということは、単に文字を書いているだけでなく、同時に考えているのだから、書きながら自分の書いたことにインスパイアされて、最初に「書きたいこと」を思いついたときの自分と、文章を書き進めてきた自分は、違う自分になっているわけね。

そして、とても大事なことは、そのときに、最初に結論に固執しようとすると、書いてることは俄然つまらなくなる、ということ。



そこで最初に戻って、実行しながら同時に考えるということでいえば、それはそのまま「夢」とか「目標」にも当てはまる。

「夢」も「目標」も生きてるうちに変わっていってしまう。

まっすぐ目標に向かって進める人も、そりゃあ少しはいるかもしれないけど、多くの人は試行錯誤したり間違えたりわかんなくなったりして、そのたびに回り道をしたりやり直したりする。

で、そうやって生きてるうちに新しいことを知ったり、自分の行動が生み出した結果にインスパイアされて、思い描いていること自体が変わってくる方が自然だと思うのね。

そのポジティブな変化を、初志貫徹とか一貫性とかブレるとかブレないとか説明責任とか(?)、そんな言葉で押さえ込んでる人は、まして、他人の目標に対してそんな言葉を吐いて押さえ込んでる人は、エレベーターホールに正座して再考。

「無意識に言葉で説明できるような行動を選ぶようになってしまう」のは、実はそのためでもある、かもしれない。
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クラスとか班とか給食とか(放棄) [Thoughts]

仕事の間にネットでニュースを読みながら、何度も涙がこみあげてきて困る。

誰にもばれてない(はず)と思うけど。

「班」で食べる「給食」と、それにまつわるいろんな公式非公式・有形無形のシステムは、日本の小学校に転校してきて最も馴染めないもののひとつだった。

そのことについて思い出すことはずいぶんたくさんあって、そのいろんなことに対して、今なら的確に強い意志を持って反発したり抵抗したりできるんだけど、当時はそれができなかったな。

思い出すまま(平日の夜なのに)いろいろ書いてみたけど、感情の部分が勝ってしまうので放棄。

ただ、こういうことは自分としてはとてもめずらしいのだけど、今さらのように、なんだか悔しくてたまらない。
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The Age of Distraction(雑音化時代) [レオ・バボータ関連]

Focus3D-Cover.jpgおなじみレオ・バボータの新しい本「focus」が出ました。

フリー版と有料プレミアム版があり、フリー版はPDFとしてダウンロードできます。有料版はGTDのデビット・アレンへのインタビューなんかも含んでいます。

Lifehacking.jpのmehoriさんはレビューで「『シンプルに生きるにはどうすればいいか?』という問いに対して『答えはシンプルに生きること』と同語反復的になっているところが少なからずある」と書かれてたけど、Zen HabitsはもともとはGTDブログとしてスタートしたはずで、そこからここに至ったことを考えると、逆に具体的処方箋が提示されてないことに意味があるんじゃないかとも思います。

レオが「The Age of Distraction(雑音化時代)」と呼ぶこの時代は、もう処方箋でどうにかなる問題じゃないんだ、「仕事術」ではどうにもならないんだ、ということじゃないかと。そしてそれは、ものすごく重要なことだと思う。

例によってフリー版はUncopyrightedなんで勝手に訳させてもらってるけど、最初の方の一部を長めに引用します。みんな、身に覚えがあるんじゃないかな。訳はちょっとラフです。

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Leo Babauta "focus:A simplicity manifesto in the Age of Distraction" p.9-10より

私たちは奇妙な時代に生きている。それは情報化時代と呼ばれているが、別の角度からみると、それは雑音化時代と呼ぶことができる。

もちろん、人類が雑音から解放されたことはない。囲炉裏の周囲をうるさく飛び回る蚊をぴしゃりと叩くことから、手紙の束と鳴り続ける電話に対処することまで。しかし、現代ほど圧倒的な量の、切れ間ない雑音にさらされたことはかつてない。電話だけでも大変なのに、その上メールの着信通知、ツイッターのタイムライン、Facebookのメッセージ、ずらりと開いたブラウザのタブ、常に待ち受け状態で着信音を鳴らし続ける携帯電話となると、問題はまったく別だ。私たちはますます相互に接続され、情報の奔流に首まで浸っている。ありとあらゆるものが、十字砲火のように私たちの注意を引きつけようとする。そして、私たちは数え切れないほどの仕事を同時に、高速で回し続けている。

仕事をしている間、私たちは全方位からの雑音にさらされる。私たちの前にコンピューターがある。画面上には、メールをはじめとする、あらゆるものごとが通知される。ウェブブラウザの魅惑は中毒的だ。二度と逃れられないブラックホールになりかねない。そこは、読みようがないほどの量の読み物だけでなく、ショッピング、チャット、ニュースとゴシップ、どぎつい画像など、あらゆるものに触れる無限の機会に満ちている。そうしている間にもまた新しいメールが何通か届き、早急な返信を求めている。たくさんのソフトが同時に立ち上がり、それぞれを使って仕上げなければならない仕事がある。何人かからチャットの誘いが来ていて、注意をさらに散漫にする。

しかもそれは、私たちの前にある、コンピューターの中だけの話だ。コンピューターの横では固定電話と携帯電話の着信音が鳴っている。誰かがかけている音楽が漏れてくる。同僚がやってきて、何か質問をする。確認の必要な書類が回覧されてくる。雑多な書類がデスク上のあらゆるところに散らばっている。ミーティングに呼び出される。別の誰かがお菓子を配りにくる。これだけの物事が私たちの注意を巡って争い、仕事そのものに注意を向ける時間がこれだけ少ない中で、私たちが何かを達成できたとしたら、それは驚嘆すべきことだ。

やがて私たちは仕事を終え、家路につく。しかし攻撃は終わらない。私たちはモバイル端末を持っている。テキストメッセージやメールをが入り続け、返信を要求する。無視するわけにはいかない電話が入る。紙・デジタルを問わず、読むべき資料が私たちの注意力を占拠している。広告は私たちの注意だけでなく欲望にも訴えかける。家に帰れば、そこにはあのテレビがある。500チャンネルがさらに多くの注目を求めてわめき立て、50万の広告がさらに多くの欲望に訴えかける。家にもコンピューターがあり、もっと仕事をしろと要求する。そこにも数多くのメッセージが着信し、ソーシャルネットワーキングとショッピングと読み物、あらゆる雑音がある。子どもや配偶者やルームメイトや友人たちが待っている。家にも固定電話がある。そして、もちろん携帯電話も。

これは前例のない空前の事態だ。そして、憂慮すべきことだ。

私たちは、そうと気づかないまま、あるいはことの重大性に気づかないまま、このような時代に突入してしまったのだ。もちろん、インターネットが急速に普及していることに私たちは気づいていたし、そのことに興奮もした。私たちは、携帯電話がもたらす環境が、どんどんユビキタスに近づいていくことに気づいていた。人によっては、人とつながる機会が増すことを歓迎したかもしれない。しかし、オンライン世界がもたらした機会は善いものだったものの、終わることのない雑音、緊急性を増す一方の要求、細分化される一方のマルチタスキングのストレス、浸食される自由時間とささやかな平穏……こうしたことが、どれほど自分たちの人生を変えてしまうか、たぶん私たちは理解していなかったのだ。
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落とし穴があるとわかっている夜道 [Diary]

結婚生活というのは必ず落とし穴に落ちるとわかっていながら暗い夜道を歩き続けるようなものです。

なんて書くと、何があったのかと思うかもしれないけど、別に何もなくても真実。

何度となく同じ落とし穴に落ちて、いくら努力してもそれを避けることができないことに、毎回絶望的な気持ちになる。

しかもその原因が、あまりにも自然で意識さえしてなかったことで、意識してないということは、つまり防ぎようがないということで、ということは、きっとまた同じことをやるに違いない。

それって、途方もなくしんどくて、悲しいことだけど、だからといって、もうやっていけないかといえばそんなことはない。

落とし穴の先には道がちゃんと続いていて、まだその先に行きたいという気持ちが消えないうちは。

まだその先に行きたいか、考える。落とし穴があるとわかっている夜道を歩き続ける方法は、それ以外にはないんだよ。

と、ここまで書いて、それって別に結婚生活に限った話ではなく、人生そのものの話だということに気づく。

「落とし穴があるとわかっている夜道を最後まで歩き続けた」って墓碑に刻まれたら、かっこいいかな。かっこよくないな。ふふ。
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寝室問題リターンズ [Diary]

職場の後輩と結婚生活について話をしていて(いや、マーケティングの話よ)、夫婦で一緒に寝てないといったらすごーく驚かれた。

もちろん、それは今に始まったことではなくて、この愛妻家イメージの定着した自分が夫婦別寝室だというと、大抵の人に驚かれるし、場合によっては失望される(ほっときなさいって)。

以前にも書いたことがあるけど、だからといって別に仲が悪いとかそういうことではなく、ものごとにはちゃんと理由がある。

そもそも二人とも「一緒に寝る」ということ自体があんまり得意ではないということもあるんだけど(ふたりとも割に壁が高いタイプなもんで)、それだけじゃなく。
  1. 結婚前に付き合ってるときには、「いっしょに寝る」ような状況って、それ自体が非日常かつスペシャルな状況。
  2. たとえばずっと好きだった女の子と、はじめて「いっしょに寝る」という状況は、人生の中でものすごく特別。
  3. 長年付き合ってたとしても、二人とも実家暮らしだったりすれば、やっぱり「いっしょに寝る」ということは特別。朝までいっしょに寝てたいと思っても、終電の時間までに帰らなきゃならない。
  4. でも、結婚していっしょに住むようになったら、「いっしょに寝る」ことは単なる日常サイドの出来事になってしまう。
  5. 特別でない状況ほど、その重要性が忘れさられてしまう。
  6. そこで普段、家に中のそれぞれ別の部屋で寝るようにしてれば、「いっしょに寝る」こと自体が「特別」なまま保てる。
  7. 一緒に寝たいと思ったら、相手の部屋に「遊びにいく」。
  8. 場合によっては、「じゃあね」と行って自分の部屋に帰る、とか。

うちは子どもがいないから、2DKの環境でも(しかもDKを使ってない)そういう環境分離が可能ということもあるけどね。

+++

でもね、「いっしょに寝る」ことはとても大事だ。

この間、朝5時に起きてはみたものの、どうやっても出かけることができそうになくて、生活だけじゃなくて自分そのものが解体しそうになったので、かわりにTomo.さん部屋にでかけていって、ベッドにもぐりこんだ。

ただ並んで寝ていただけだけど、それだけで自分の身体がどれだけガチガチにこわばっているのかよくわかるし、それが溶けるみたいにほぐれていくのもよくわかる。

人の呼吸とか、暖かさとか、重みとかには、そういう力がある。

20分くらいの間そうしてから、起きて出かける準備をした。たぶん、それがなかったら、その日は仕事にいくことができなかった。
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秋の公園で暖を取る [Diary]

秋ですね。寒くありませんか?
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あったかいですね(ワタシが)。
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人間関係の詩 [Diary]

人間関係を「うまくやる」方法だって?

基本的に
他人との関係というのは、
相手を信じるか?
自分を開くか?
という二つの問題でしかなくて

それをしなければ
一定以上の深い関係にはなりえない

だけど
相手を信じることも、
自分を開くことも、
孤独に直結する可能性があって

つまり
いずれにしても
孤独に耐える覚悟があるか
ということだ

いい歳をして
そんなことも知らないのかい?
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本日のテーマ曲再掲。 [Diary]


On my way home, marching all night, is the light still on?
All through the battle been waiting
On my way home, so much of life left behind, so much ahead unknown

家へと向かう道
一晩中行進を続けた後
まだ明かりはついているか

戦いの間中待ち続けていた
家へと向かう道
残されたあまりにも多くのもの
そしてあまりにも多くの未来

"ON MY WAY HOME" by Keith Emerson
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土地と猫たち [Diary]

なじみの場所でなじみの猫。そこに行けばいつもの猫たちに会えるという場所は貴重。

彼らもいつか消えていくのだけど、たとえ消えてしまっても、その場所を訪れる限り、きっと彼らのことを思い出すことになる。

カメラを向けても日々の営みに専念する姿勢を崩さない「まんきち」。もう何年も前からの知り合い。
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夫の眼前で猫をたらしこもうとする妻。
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一方で、街で出会う多くの猫たちは、文字通り一期一会。

この間、静岡で会った猫たちをカウントすると、駿府城で二匹の兄弟、清水港で三匹の親子、清水港から新清水駅に向かう道で二匹。模様まで全部覚えてるけど、みんなたぶん、二度と会うことはない。

でもぼくらはその土地のことを思い出すときに、必ず猫もいっしょに思い出す。
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