(ねこ)のてつがく [Talks]
(さかな)がすきです
(とり)がすきです
(ねずみ)がすきです
(ひなた)がすきです
(はこ)がすきです
(こたつ)がすきです
(ふとん)がすきです
(ひざ)がすきです
ひとりがすきです
いまがすきです
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アウトライン操作の制約、セットリスト、スライド [アウトライナー]
以前も書いたけど、『Piece shake Love』ではアウトライナーを全面的に使いながら(アウトライナーがなければ絶対にできなかった)、いわゆる「アウトライナーを使う」ことからイメージされるような作業(階層化して分類したり整理したり構造化したり)を一切せず、断片=ブログの記事を「配列する」作業に徹した。
正確に言うと、最初は分類や構造化を試みたけれど、その結果できあがったものがあまりにもつまらなかったので放棄した。
そして記事を「気持ちいい順番」に配列することに集中した。
この記事のエンディングに続けてこの記事が来たら気持ちいいだろう、こんなふうに並べたらびっくりするだろうみたいな。
頭の中でイメージしていたのはコンサートのセットリスト(曲順)を作る作業なんだけど、それとは別にこの「平面上に並べていく」感じが何かに似ていると思っていた。
思い至ったのは、プレゼン用のスライドを作る作業に似ているということだ。
■
PowerPointやKeynoteには「アウトライン」と呼ばれる機能がある。
最初にそれを見つけたときはすごく嬉しくなっちゃったけど(アウトライナーフリーク的に)、実際にはPowerPointやのKeynoteのアウトライン機能を本格的なアウトライン・プロセッシングに使うことは難しい。アウトライン上で折り畳み・展開できるのが第1階層だけだからだ。
たとえば第1階層から第3階層までを表示する(第3階層以下を隠す)ということができない。第2階層以下は、アウトライン表示上では隠すか表示するかという選択しかない(スライド上では、第1階層がスライドのタイトル、第2階層以下がスライド上の箇条書きとして表示される)。
もともとスライドの「配列」を決めるための機能だからなのだけど、いつもちょっと残念な気がする。
アウトラインとスライド表示の対応関係は今のままでいいから、アウトラインモード上だけでも各階層の折り畳み・入れ替えが自由にできたら(せめてWordのアウトラインモードと同じように動作してくれたら)、プレゼンの内容を「考える」ところから使えるのにな、と思う。
ついでに言えば、アウトライン上でWordの「本文」に該当する領域に書き込んだテキストをスライド表示上では発表者ノートとして表示してくれたりすると完璧(妄想)。
■
話を戻す。
階層化せずに「配列」だけをするという『Piece shake Love』での作業が、その横に動いていく感じが、スライドづくりに似てるなと思ったのだ。
断片から断片へのつなぎのフレーズは、スライド間のトランジションに似ているし、異なる断片での同じフレーズのリフレインは図表の再掲に似ている。
こういうのを考えるのはけっこう楽しいし、決して嫌いじゃない。
アウトラインの操作としては制約があってもどかしいのだが、結果的にその制約があったからこそ生まれた何かがある、と思う。
関連記事:
思考のアウトラインと語りのアウトライン
アウトラインと目次
『Piece shake Love』について
『Piece shake Love』について2(配列と創作と構造)
正確に言うと、最初は分類や構造化を試みたけれど、その結果できあがったものがあまりにもつまらなかったので放棄した。
そして記事を「気持ちいい順番」に配列することに集中した。
この記事のエンディングに続けてこの記事が来たら気持ちいいだろう、こんなふうに並べたらびっくりするだろうみたいな。
頭の中でイメージしていたのはコンサートのセットリスト(曲順)を作る作業なんだけど、それとは別にこの「平面上に並べていく」感じが何かに似ていると思っていた。
思い至ったのは、プレゼン用のスライドを作る作業に似ているということだ。
■
PowerPointやKeynoteには「アウトライン」と呼ばれる機能がある。
最初にそれを見つけたときはすごく嬉しくなっちゃったけど(アウトライナーフリーク的に)、実際にはPowerPointやのKeynoteのアウトライン機能を本格的なアウトライン・プロセッシングに使うことは難しい。アウトライン上で折り畳み・展開できるのが第1階層だけだからだ。
たとえば第1階層から第3階層までを表示する(第3階層以下を隠す)ということができない。第2階層以下は、アウトライン表示上では隠すか表示するかという選択しかない(スライド上では、第1階層がスライドのタイトル、第2階層以下がスライド上の箇条書きとして表示される)。
もともとスライドの「配列」を決めるための機能だからなのだけど、いつもちょっと残念な気がする。
アウトラインとスライド表示の対応関係は今のままでいいから、アウトラインモード上だけでも各階層の折り畳み・入れ替えが自由にできたら(せめてWordのアウトラインモードと同じように動作してくれたら)、プレゼンの内容を「考える」ところから使えるのにな、と思う。
ついでに言えば、アウトライン上でWordの「本文」に該当する領域に書き込んだテキストをスライド表示上では発表者ノートとして表示してくれたりすると完璧(妄想)。
■
話を戻す。
階層化せずに「配列」だけをするという『Piece shake Love』での作業が、その横に動いていく感じが、スライドづくりに似てるなと思ったのだ。
断片から断片へのつなぎのフレーズは、スライド間のトランジションに似ているし、異なる断片での同じフレーズのリフレインは図表の再掲に似ている。
こういうのを考えるのはけっこう楽しいし、決して嫌いじゃない。
アウトラインの操作としては制約があってもどかしいのだが、結果的にその制約があったからこそ生まれた何かがある、と思う。
関連記事:
思考のアウトラインと語りのアウトライン
アウトラインと目次
『Piece shake Love』について
『Piece shake Love』について2(配列と創作と構造)
成長すると良いでしょう [Diary]
「成長」について考えている。
ビジネスの成長とか経済成長とかアウトラインの成長(!)とかではなく、文字どおり人間として「成長」することについて。
(おそらく)過労とストレスで体調を崩したぼくに対して、Y先生は言った。
「人生には辛いことが多いです。それは当たり前のことですから、そのようなことの影響を受けないよう、より一層成長すると良いでしょう」
日本語が少し不思議な感じなのは、Y先生が台湾の人だからだ。
この歳になって、フツーの人にそんなことを言われてもふふんと思うだけだけど、Y先生は違う。こんな(ある意味陳腐でさえある)言葉を、これほどの説得力と重みを持って口にできる人は、そんなにはいない。
Y先生から見たら、ぼくなんか本当に未熟なのだろう。
だから、素直にその言葉を受け止めた。
それ以来、体調を回復するべく徐行運転しながら、「成長」について考えている。
「成長」するとは、どうなることなのだろう。
ビジネスの成長とか経済成長とかアウトラインの成長(!)とかではなく、文字どおり人間として「成長」することについて。
(おそらく)過労とストレスで体調を崩したぼくに対して、Y先生は言った。
「人生には辛いことが多いです。それは当たり前のことですから、そのようなことの影響を受けないよう、より一層成長すると良いでしょう」
日本語が少し不思議な感じなのは、Y先生が台湾の人だからだ。
この歳になって、フツーの人にそんなことを言われてもふふんと思うだけだけど、Y先生は違う。こんな(ある意味陳腐でさえある)言葉を、これほどの説得力と重みを持って口にできる人は、そんなにはいない。
Y先生から見たら、ぼくなんか本当に未熟なのだろう。
だから、素直にその言葉を受け止めた。
それ以来、体調を回復するべく徐行運転しながら、「成長」について考えている。
「成長」するとは、どうなることなのだろう。
自分の場所にあってひとり [Thoughts]
自分の場所(だと思える場所)があるというのは大事なことだ。
でも、オトナになったら自分の場所に他人を巻き込むべきではないし、他人の場所に巻き込まれるべきでもない、と思う。
あなたもわたしも、それぞれの自分の場所にあってひとりだ。
ひとりだからこそ、(※)でいられる。
※
=ふたり
=みんな
=なかま
=ともだち
etc.
でも、オトナになったら自分の場所に他人を巻き込むべきではないし、他人の場所に巻き込まれるべきでもない、と思う。
あなたもわたしも、それぞれの自分の場所にあってひとりだ。
ひとりだからこそ、(※)でいられる。
※
=ふたり
=みんな
=なかま
=ともだち
etc.
桜の森の満開のタクシー [Diary]
去年の今ごろ、父を病院に送り迎えするタクシーの中から、たくさんの桜を見た。
満開の桜について会話ができる。それだけのことにずいぶん救われた。
桜はもちろん公園にある。
それから学校、河川敷。
そして工場。
そう、工場の敷地には、意外なほど多くの桜が植えられているのだ。
実家は京浜工業地帯のど真ん中にある。たくさんの工場がある。そこに桜が咲くことを、この歳になるまでぼくは知らなかった。
「工場には、桜がたくさんある」
タクシーの中で、父がそのことを指摘した。
父からの最後の指摘だ。
満開の桜について会話ができる。それだけのことにずいぶん救われた。
桜はもちろん公園にある。
それから学校、河川敷。
そして工場。
そう、工場の敷地には、意外なほど多くの桜が植えられているのだ。
実家は京浜工業地帯のど真ん中にある。たくさんの工場がある。そこに桜が咲くことを、この歳になるまでぼくは知らなかった。
「工場には、桜がたくさんある」
タクシーの中で、父がそのことを指摘した。
父からの最後の指摘だ。