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サンタの夜 [Diary]

santa.gif友人・ずんずんさんのブログで、娘さんのFちゃんがサンタさんを信じるのは今年が最後かも、という話。

サンタさんの存在を「ネットで調べた」といって説得するところに思わず共感する。ずんずんさんらしいです。

そうか、子どもがサンタさんを信じなくなるというのは、寂しいことなんだな。サンタさんであるところの親が、子どもに対してどんな気持ちなのかということを改めて考える(自分自身でそれを知る機会は訪れそうにないから)。

そこでふと思ったのは、自分はサンタさんをいつまで信じていたのだろうか? ということ。いや、そもそもサンタさんを信じていたことがあっただろうか?

子どもの頃、暖炉のある家に住んでいた。別にお屋敷に住んでいたわけではなく、むしろその地域では古く、小さい、慎ましい家だった。暖炉はただ「ついている」だけで、一度も使ったことはない。大家さんも、この何十年か使われたことはないと言っていた。

自分の家に暖炉があるということを自覚したとき(それはたぶん小学校二年生くらいのことだった)まず思ったのは、サンタさんのことだった。

暖炉の前で待っていれば、サンタさんの存在をこの目で確認できるはず。もし(人が言うように)サンタさんというものが存在するなら、それを確かめてみたい。そうすれば、信じることができる。

そんなことを考えたような気がする。

一方で、もしサンタさんの存在を本当にこの目で確認してしまったら、自分はいったいどうしたらいいんだろう? という不安があった。それはとても恐ろしい、知ってはいけないことのように思えた。もし真相を知ってしまったら、ただでは済まないような。

イブの夜、不安と緊張で眠れないままふとんをかぶっていた。暖炉の前で待っているべきか、ベッドの中にいるべきか、ぼくは決めかねていた。決して寒くはないその街の冬にしては、その夜はすごく冷えた。

ベッドの中で悶々として震えていると、やがて音もなくドアが開いた。しばらく気配をうかがった後、誰かがベッドルームに入ってきた。そして枕元に何かを置いて出ていった。一瞬遅れて、父親の匂いがした。

枕元に置かれたものを確認する必要はなかった。もちろんそこにはぼくがサンタさんに「お願い」したものが入っているはずだった。そう思うと、涙が出てきた。ほっとしたのか悲しかったのか、自分でもわからない。

で、ぼくはサンタさんを信じていたのか、それとも信じていなかったのか? 今考えてもよくわからないけど、そのイブを境に、確かに何かが変わったのだ。
タグ:時間
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コメント 2

ずんずん

わ、取り上げてもらっちゃった。
ありがとうございます。てれ。

暖炉のあったお家ってアメリカですか。
日本とアメリカではサンタさん事情も違うのかしらん。

ほんとうのことを知ったときを境に何かが変わるって、わかります。
わたしもそうでした。
Tak.さんの文章読んで思い出したんだけど、
わたしは疑い始めたとき、押し入れ大捜索をしたのでした。
みつからなかった。
それで「うーん、やっぱりほんとなのかな」とモヤモヤしたのが
最後の「信じていたクリスマスイブ」。
4年生だったかな。

変な話、女の子はそろそろカラダの変化もあるし、
いろいろと複雑な心境です。(表現できない)


by ずんずん (2009-12-14 10:56) 

Tak

>ずんずんさん
そうなんですよ。信じてる、というよりも「万が一本当だったらどうしよう」というのが近いかもしれません。

アメリカのサンタさん事情は、どうなんだろう。よくわかりません。コカコーラ持ってるんだろうか?

うちのTomo.さんは、サンタさんに書いたお礼の手紙を後日押し入れの中で発見して、「ほら、あった」と言って親に見せたそうです。
by Tak (2009-12-14 23:03) 

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