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肉体化 [Diary]

当てにしていた派遣さんがみんな忙しくて、大量のグラフを全部自分で作るはめになる。

でも、一つ一つ集計表からグラフをひとつひとつ手作りしていて、久しぶりにちょっと楽しいと思った(笑)。楽しいというより、数値が肉体化されていくような感覚が気持ちいい。

こういう感覚は久しぶりだし、忘れそうになっていた感覚でもある。

会社員になって、そういう単純作業は派遣さんやバイトさんに任せて、社員はアタマを使う仕事をしろ、と言われるけど、家でひとりで仕事してたときにはあらゆることを自分でやってたのだ。

経済原則からすればよくないのかもしれないけど、だとすれば、経済原則ってずいぶん浅いな。というより、経済原則の解釈が浅いのか。

当たり前だけど、大量の手作業を自分でやることでしかわからないことがある。マンダラートの今泉さんが昔本で紹介していた、旧ソ連に音楽留学していた人の話。

「ソビエトの音大の図書館はすごく立派で蔵書もすごいけど、コピーサービスがなかった。というよりコピー機自体がない。学生たちは楽譜や資料から手でノートに書き写している。遅れてるなと思ったけど、考えてみるとそれを10年間も続けたら、身につく実力は大変なものじゃないか」

旧ソ連に限らず、つい30年くらい前までは一般人が自由にコピーなんて取れなかった。その頃まで、人はカードやノートに手で一生懸命ノートを取っていたのだ。そういうのが「勉強」だったし、その頃の「勉強」は、大量に手で書き移すことで肉体化される知識というのが重要な要素だったと思う。

音大生が楽譜を書き写すのは、資料を手元に置くという意味もあったけど、例えば「写経」なんかは、まさに書き写すことで肉体化すること自体を目的にしている。

で、チャイコフスキーや教典とは比べられないけど、大量の集計データをエクセルでひとつひとつ切り出してグラフ化していくという作業、それを通じて数字の意味が身体に刻み込まれるような感覚には、それに近い意味があるんじゃないかと。

合理的ではないけど、少なくとも「社員が時間をかけてそういう単純作業をやるべきじゃない」という発想は、仕事をつまんなくしている。

ていうか、ちゃんとしたグラフをつくる作業は、単純作業じゃないし。
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