マンダラートは上限を教えてくれる [マンダラート]
※以下、手法を示すときは「マンダラート」、iPhone/iPadのアプリを示すときは「iMandalArt」と表記します。
手法としてのマンダラートの不思議なところは、他の手法やツールだったら答えが出ないところに答えを出してしまうところ。
いろいろあるけど、たとえばマンダラートは「上限」を教えてくれる。
たとえば「一日あたりのタスクの上限はいくつなのか?」とか「担当するプロジェクトはいくつを超えたら多すぎなのか」という疑問に対して「8つ」という明快な答えを出してしまう。
こういうのは、他の手法ではまねができない。
なぜ「8つ」なのかというと、直接的にはひとつのマンダラに8つしか書く欄がないからなんだけど、それだけでなくちゃんとした根拠もある。それは、人間が自分の頭で把握できる上限が「8つ」なのだということだ。
「8つ」というのはつまり、人間を中心にした前後左右とそれぞれの間ということ。というとわかりにくいけど、方角で考えるとよくわかる。それはつまり東西南北と北東、北西、南東、南西のことだ(そして、それはまさに自分を中心に置いたマンダラそのものだ)。
人間は自分を中心とした東西南北と北東、北西、南東、南西という8方向は、特に努力しなくても認識できる。でも「南南西」とか「北北西」とかが入ってくると直感的には認識できない。
だから人間が補助無しで自分の頭で直感的に認識できる数の上限は「8」なのだ。
恐ろしいほど単純で明快で確固たる根拠だけど、そう言われると確かに納得がいく。
※
2週間くらい前、何の気なしに担当しているプロジェクトをマンダラに書き出してたら、ひとつのマンダラに入りきらなかった(2つのマンダラでも入りきらなかった)。
そのとき、「これは多すぎだ(忙しすぎるわけだ)」ということがすごくリアルに感じられるのがマンダラートなわけですね。
単なるリストに書き出していたら、おそらくそれを感じることはない。ただひたすら長いリストを前に、自分の処理能力の不足だけを感じることになる。
どれだけツールが進歩したとしても、人間がやる以上その頭で認識できる数が上限に決まっている。
一日のタスクでもそれは同じはず。
いかにたくさんの物ごとを処理するかということに主眼を置いた手法やツールはたくさんあるけど、どこから先が多すぎるのかを確信を持って判断できるツールというのは、他にない。
手法としてのマンダラートの不思議なところは、他の手法やツールだったら答えが出ないところに答えを出してしまうところ。
いろいろあるけど、たとえばマンダラートは「上限」を教えてくれる。
たとえば「一日あたりのタスクの上限はいくつなのか?」とか「担当するプロジェクトはいくつを超えたら多すぎなのか」という疑問に対して「8つ」という明快な答えを出してしまう。
こういうのは、他の手法ではまねができない。
なぜ「8つ」なのかというと、直接的にはひとつのマンダラに8つしか書く欄がないからなんだけど、それだけでなくちゃんとした根拠もある。それは、人間が自分の頭で把握できる上限が「8つ」なのだということだ。
「8つ」というのはつまり、人間を中心にした前後左右とそれぞれの間ということ。というとわかりにくいけど、方角で考えるとよくわかる。それはつまり東西南北と北東、北西、南東、南西のことだ(そして、それはまさに自分を中心に置いたマンダラそのものだ)。
人間は自分を中心とした東西南北と北東、北西、南東、南西という8方向は、特に努力しなくても認識できる。でも「南南西」とか「北北西」とかが入ってくると直感的には認識できない。
だから人間が補助無しで自分の頭で直感的に認識できる数の上限は「8」なのだ。
恐ろしいほど単純で明快で確固たる根拠だけど、そう言われると確かに納得がいく。
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2週間くらい前、何の気なしに担当しているプロジェクトをマンダラに書き出してたら、ひとつのマンダラに入りきらなかった(2つのマンダラでも入りきらなかった)。
そのとき、「これは多すぎだ(忙しすぎるわけだ)」ということがすごくリアルに感じられるのがマンダラートなわけですね。
単なるリストに書き出していたら、おそらくそれを感じることはない。ただひたすら長いリストを前に、自分の処理能力の不足だけを感じることになる。
どれだけツールが進歩したとしても、人間がやる以上その頭で認識できる数が上限に決まっている。
一日のタスクでもそれは同じはず。
いかにたくさんの物ごとを処理するかということに主眼を置いた手法やツールはたくさんあるけど、どこから先が多すぎるのかを確信を持って判断できるツールというのは、他にない。
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