マンダラートは確信させてくれる [マンダラート]
ライフハックとか生産性とか、そういうものはもうどうでもよくなってしまったんだけど、そしてレオも言うとおりTo-Doリストなんか本来はいらないのだけど、マンダラートだけは自分の中で別格。
それは個人的にマンダラートに人生を変えられたことが何度かあるから。
もう十数年前のことだけど、公私ともに出口が見えず、自分がいったい何を望んでいるのかもわからない状態になっていたとき、「マンダラート手帖」の中心セルを空欄にしたまま、周辺セルに自分が望んでいる「風景」を書き込んでいった。
タスクでもTo-Doでも発想でもなく「風景」。
周辺の8セルが埋まったところで、最後に中心セルにどんな言葉が入ればいいのか考えた。
マンダラートでは「中心セル=周辺セル」だから、それはつまりこの風景が現実のものになるためには何が必要なのか、ということ。
どう考えても答えはひとつしかなくて、それはそのとき勤めていた会社を辞めるということだった。
その解答自体はずっと前からわかっていたのかもしれないけど、たぶん無意識に避け続けていたものだった。なんかその答えはタブーみたいな気がして。
でも、空白の中心セルを眺めていると、その条件を満たす言葉はひとつしかないことをことを認めざるを得なかった。
その結論以外にあり得ないということを確信できたのは、たぶんそれが中心=周辺という構造を持つマンダラになっていたから。
※
それはインタビューの仕事の前にたまたま立ち寄った新横浜の「神戸屋キッチン」のテーブルでのことで、その後実際に会社を辞め、身体をこわして1年以上別居していた妻を呼び戻し、数年間いっしょに病院に通うことになるんだけど、もしその決断がなかったら(つまりそのマンダラがなかったら)たぶん今のうちの夫婦はない。
だから、マンダラートに人生を変えられたといっても構わないと思う。
※
よくマンダラートとマインドマップの類似が言われるけど、最大の違いは、マンダラが中心から周辺に「拡散」するだけでなく、周辺から中心に向けて「収束」する機能を持っていること。
このことが、マンダラートに単なる「発想法」以上の深みを与えているんだね。
それは個人的にマンダラートに人生を変えられたことが何度かあるから。
もう十数年前のことだけど、公私ともに出口が見えず、自分がいったい何を望んでいるのかもわからない状態になっていたとき、「マンダラート手帖」の中心セルを空欄にしたまま、周辺セルに自分が望んでいる「風景」を書き込んでいった。
タスクでもTo-Doでも発想でもなく「風景」。
周辺の8セルが埋まったところで、最後に中心セルにどんな言葉が入ればいいのか考えた。
マンダラートでは「中心セル=周辺セル」だから、それはつまりこの風景が現実のものになるためには何が必要なのか、ということ。
どう考えても答えはひとつしかなくて、それはそのとき勤めていた会社を辞めるということだった。
その解答自体はずっと前からわかっていたのかもしれないけど、たぶん無意識に避け続けていたものだった。なんかその答えはタブーみたいな気がして。
でも、空白の中心セルを眺めていると、その条件を満たす言葉はひとつしかないことをことを認めざるを得なかった。
その結論以外にあり得ないということを確信できたのは、たぶんそれが中心=周辺という構造を持つマンダラになっていたから。
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それはインタビューの仕事の前にたまたま立ち寄った新横浜の「神戸屋キッチン」のテーブルでのことで、その後実際に会社を辞め、身体をこわして1年以上別居していた妻を呼び戻し、数年間いっしょに病院に通うことになるんだけど、もしその決断がなかったら(つまりそのマンダラがなかったら)たぶん今のうちの夫婦はない。
だから、マンダラートに人生を変えられたといっても構わないと思う。
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よくマンダラートとマインドマップの類似が言われるけど、最大の違いは、マンダラが中心から周辺に「拡散」するだけでなく、周辺から中心に向けて「収束」する機能を持っていること。
このことが、マンダラートに単なる「発想法」以上の深みを与えているんだね。
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