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意識を編集する。自分に向けて「送信」する前に。 [Diary]

レオ・バボータの「生活を編集する」っていう表現がとても新鮮だった。確かにモノを減らしたり、クリアにしたりすることは、生活を「編集」していることなのだ。

編集(edit)するというのは、削り、磨き、あるべきカタチに整えていくということ。その意味で、個人的にいちばん編集したいのは「意識」だ。

なんていうと哲学的に大それた話になっちゃいそうだけど、そういうことじゃなく。

よく「メールを送る前に一晩寝かせろ」なんていうけど、それは意識の流れるままメールを書いて送ってしまうと、いろいろと差し障りがあるかもしれない、という生活の知恵みたいなものだ。

特に相手に対して何らかの(ネガティブな)感情があるとき、その場で反射的にメールを書いてすぐ送信してしまうと、往々にして悪い結果を生む。もちろんそれはツイートでもブログでも同じだ。

例の乙武さん入店拒否問題なんかだって、あの聡明な乙武さんがツイートをちょっと「寝かせて」いれば、おそらくあんなことにはならなかったんじゃないかと想像する。

いったん「寝かせて」クールダウンしてみると、書いたときには見えなかった、差し障りのある言葉が自然に見えるようになる。ミスや誤字脱字の類を別にすれば、多くの場合それは感情が言葉の選び方に直接影響している部分だ。

そういう部分は削除するか、トゲになっている部分を削り、滑らかに整えてから送る。それが編集だ。

思い返してみても、いったん寝かせて「編集」することで救われた人間関係は、ひとつやふたつではない。



以上は他人に向けた言葉を編集する話。でも、もしかしたら自分自身に向けられる意識についても同じことが言えるのかもしれない。

人は、他人を傷つける以上に自分を傷つけている。

「自分がいかにダメか」という考えなんて、一日に何十回でも浮かんでくる。そんなことを思っても何の役にも立たないと分かっていても、やはりそれは浮かんでくる。

あるいは他人の言葉や仕草や態度が自分に向けられたものなのではないか、という疑念。誰かの言葉が自分に対する皮肉だったり当てこすりなんじゃないかという気がしたりとか。誰かの態度を見て、自分に対して悪い感情を持ってるんじゃないかと思ったりとか。

多くの場合それは思いすごしであり、自分をいちばん傷つけているのは、他人の行動ではなく自分の疑念の方だ(というか、実際には思いすごしなのに、その種の疑念を持つことで実際に他人との関係がこじれていく、というケースの方が圧倒的に多い)。

そういう考えほど、一度頭に浮かぶとしつこく反芻され、強化され、また反芻され、内側から心を蝕んでいく。

だとすれば、心に浮かんでくる意識をそのまま受け止めたり消化するのではなく、他人に送るメールのように「編集」できないだろうか、ということ。

浮かんでくる意識を余さず書き出す。紙やディスプレイの上でカタチにしてしまう。そして一晩寝かせる。

自分に向けて「送信」する前に。

翌朝読んでみると、自分の卑屈さや偏りやナルシズムや自己中心性や自己憐憫や責任転嫁が白日の下にさらされている。

けっこう、恥ずかしい。

だから編集する。今まで生きてくる中で身につけてきた、知恵と経験を踏まえて。自分に対して「送信」する前に、カタチにした意識を、現実的でクリアで恥ずかしくない内容に書きかえていく。差し障りのないように。あるいは、そもそも「送信」する必要さえないかもしれない。

そうして編集していくと、不思議なことに感情や気分もそれに合わせて変わっていくことが多い。

ときどきやる目的のないフリーライティングには、実はそんな意味もあることに気づいた。
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