デイブ・ワイナー「男は、沈黙する」 [その他翻訳]
デイブ・ワイナー「Men Stay Silent」の日本語訳。
けっこう昔のものだし、アウトライナーともコンピューターとも何の関係もない(でも、アウトライナーで書いたのがありありとわかる)。だけど身につまされる。ワイナーがときどき書く、こういう文章が好き。
これを読むと、アメリカで「男」であるというのは大変なことなんだなあと思う。男は思っていることを口にしてはいけない。悲しかったり傷ついたりしてもいけない。そういうマッチョな意識は、日本よりもアメリカの方がおそらくずっと強い。
「男は」「女は」という表現が受け付けない人もいるかもしれないけど、個人的にはけっこういろんなことを考えされられた。大人であることとか、強さについてとか。
ワイナーの文章に出てくる「男」は実はそのまま「大人」に入れ替え可能だ。そして、英語のmanhood(男らしさ、男性性)という言葉には「おとな」という意味もあるのだよね。
以下、本文。
この記事を読む前に、コーヒーでも淹れてきてはどうだろう。
ながああああくなるはずだから。
この記事は、数年の間書きたいと思っていながらどう書けばいいのかわからなかったものだ。新年をきっかけに書くことができた。さて、どんな真実が明らかにされるのだろうか。
それでは楽しむことにしよう!
男の子の涙
数年前、私の家のプールでパーティをしていたときのことだ。大人も子どもも集まっていた。
6才の男の子が父親の元にかけより、抱きついて大粒の涙をこぼして泣きはじめた。
私は自分がそのぐらいの年だったときのことを思い出した。野球をしていてボールを取り損ねたとき、あるいはテストで悪い点を取ったとき、私は泣き出しては恥ずかしい思いをした。
何年もの後、私は友人の息子を眺めながら、感情をコントロールできないことに対して同情した。
若い女性の涙
長く付き合った恋人と別れる数週間前のこと、私たちはベッドの中にいて、私は突然夫を亡くした彼女の友人の話を聞いていた。
車には女性ばかり四人、車に乗っていた。前に二人、後ろに二人。彼女は車のフロントシートに座っていた。後席にい彼女の友人が抑えられず、声をあげて泣きはじめた。
自分を制御できなくなるほどの深い悲しみを感じるというのは、なんと恐ろしいことだろう。私はその話を聞きながら当時の自分に問いかけた。そこまで弱さをさらけ出さざるを得ないほどの痛みにどのように対処すればいいか、私には想像できなかった。
デイブの涙
数ヶ月後、テレビのメロドラマにもならないような別れの後、私は兄といっしょにジムでエクササイズをしていた。みっちりウェイトをやって、息を切らしながら私たちはサウナに入った。
そして、私にもそれが起こったのだ! 私は泣きはじめた。止めることができなかった。あらゆる感情が交じり合い、吹き出してきた。その涙は、もっとずっと大きな何かが爆発しそうになっていることの目に見えるサインだった。
数ヶ月前の私と同じように兄は動揺した。「やめろ、こんなところで!」と彼は言った。私は泣きながら笑いはじめた。素晴らしい気分だということを兄に知ってほしかった。その逆、つまり泣かないことよりもはるかに素晴らしかった。封じ込めておくことには膨大なエネルギーが必要だ。それを解放することの安心感といったら。
男は沈黙する
この歳になっても、私たちは男らしさを感情のコントロール能力で定義している。それが私たちを苦しめているし、私たちはそのことを知っている。
この問題には二つの側面がある。男性は自分の気持ちを表現してもいいのか、そして女性や他の男性はそれを許すのかということだ。
私は男性の話を聞くことが苦手だ。男性が自分の感じていることについて、あるいは目にしているものについて口にするのは、どこか妙な感じがする。私はその妙な感じを気にしないでいることを学んだ。話す気があるのなら、私は男性の話にも、女性の話と同じように耳を傾ける。
女性は自分について本当に自由に話す。話を整理し、教え、しつける。「男」になる方法を男の子に教えさえする。
男性は説明が下手だ。個人として輝くことができるが、自らのジェンダーに対するイメージを改善するために私たちは何もしていない。
コインの両面
男性は自らをもっと表現して欲しいという声を女性から聞くことがある。その点については言いたいことがある。
あなたたちが男性の言うことをもっと聴く姿勢を持てば、男性はもっと表現するだろう。
全てのコインには裏と表がある。私を含む多くの男性が、自らについての真実を、あるいは自分の目にしている物ごとを、口にすることを許されていないように感じている。このバリアはあらゆる場所にあるようだ。
考えるべきこと
さて、この記事についてどう感じただろうか?
あなたを不安にさせてしまっただろうか?
次に何がくるのかと思っているだろうか?
購読を止めようと思うだろうか?
でも、このことについて考えてみて欲しい。
私はここに書いたようなことを言いたいとは思わない。だからこそ言っているのだ。あなたは聴きたくないかもしれない。だからこそ聴くべきなのだ。
男は、沈黙する
男は、沈黙する。私たち男は、自らを表現するための言葉を操作する。自分たちの真の姿を封じ込める。そして、自分たちに対して世の中が抱いている幻想を実現しようとする。それが真実であろうとなかろうと。
要するに、私たちは自らを嘘で固める。言いたいことがあっても人々は耳を傾けようとしない。だから沈黙する。一部には怒りを爆発させる者もいるが、いずれにしても、私たちの本当の姿は見えなくなってしまう。
そして生気のない目で、死んだように生きる。
神話
男は強い。
男は恐れを知らない。
社会は男のためにある!
現実的になろう
全ての男には母親がいる。
男と女は互いを創り、共に世界を創る。
黙っているべき人などいない。
デイブ・ワイナー
けっこう昔のものだし、アウトライナーともコンピューターとも何の関係もない(でも、アウトライナーで書いたのがありありとわかる)。だけど身につまされる。ワイナーがときどき書く、こういう文章が好き。
これを読むと、アメリカで「男」であるというのは大変なことなんだなあと思う。男は思っていることを口にしてはいけない。悲しかったり傷ついたりしてもいけない。そういうマッチョな意識は、日本よりもアメリカの方がおそらくずっと強い。
「男は」「女は」という表現が受け付けない人もいるかもしれないけど、個人的にはけっこういろんなことを考えされられた。大人であることとか、強さについてとか。
ワイナーの文章に出てくる「男」は実はそのまま「大人」に入れ替え可能だ。そして、英語のmanhood(男らしさ、男性性)という言葉には「おとな」という意味もあるのだよね。
以下、本文。
この記事を読む前に、コーヒーでも淹れてきてはどうだろう。
ながああああくなるはずだから。
この記事は、数年の間書きたいと思っていながらどう書けばいいのかわからなかったものだ。新年をきっかけに書くことができた。さて、どんな真実が明らかにされるのだろうか。
それでは楽しむことにしよう!
男の子の涙
数年前、私の家のプールでパーティをしていたときのことだ。大人も子どもも集まっていた。
6才の男の子が父親の元にかけより、抱きついて大粒の涙をこぼして泣きはじめた。
私は自分がそのぐらいの年だったときのことを思い出した。野球をしていてボールを取り損ねたとき、あるいはテストで悪い点を取ったとき、私は泣き出しては恥ずかしい思いをした。
何年もの後、私は友人の息子を眺めながら、感情をコントロールできないことに対して同情した。
若い女性の涙
長く付き合った恋人と別れる数週間前のこと、私たちはベッドの中にいて、私は突然夫を亡くした彼女の友人の話を聞いていた。
車には女性ばかり四人、車に乗っていた。前に二人、後ろに二人。彼女は車のフロントシートに座っていた。後席にい彼女の友人が抑えられず、声をあげて泣きはじめた。
自分を制御できなくなるほどの深い悲しみを感じるというのは、なんと恐ろしいことだろう。私はその話を聞きながら当時の自分に問いかけた。そこまで弱さをさらけ出さざるを得ないほどの痛みにどのように対処すればいいか、私には想像できなかった。
デイブの涙
数ヶ月後、テレビのメロドラマにもならないような別れの後、私は兄といっしょにジムでエクササイズをしていた。みっちりウェイトをやって、息を切らしながら私たちはサウナに入った。
そして、私にもそれが起こったのだ! 私は泣きはじめた。止めることができなかった。あらゆる感情が交じり合い、吹き出してきた。その涙は、もっとずっと大きな何かが爆発しそうになっていることの目に見えるサインだった。
数ヶ月前の私と同じように兄は動揺した。「やめろ、こんなところで!」と彼は言った。私は泣きながら笑いはじめた。素晴らしい気分だということを兄に知ってほしかった。その逆、つまり泣かないことよりもはるかに素晴らしかった。封じ込めておくことには膨大なエネルギーが必要だ。それを解放することの安心感といったら。
男は沈黙する
この歳になっても、私たちは男らしさを感情のコントロール能力で定義している。それが私たちを苦しめているし、私たちはそのことを知っている。
この問題には二つの側面がある。男性は自分の気持ちを表現してもいいのか、そして女性や他の男性はそれを許すのかということだ。
私は男性の話を聞くことが苦手だ。男性が自分の感じていることについて、あるいは目にしているものについて口にするのは、どこか妙な感じがする。私はその妙な感じを気にしないでいることを学んだ。話す気があるのなら、私は男性の話にも、女性の話と同じように耳を傾ける。
女性は自分について本当に自由に話す。話を整理し、教え、しつける。「男」になる方法を男の子に教えさえする。
男性は説明が下手だ。個人として輝くことができるが、自らのジェンダーに対するイメージを改善するために私たちは何もしていない。
コインの両面
男性は自らをもっと表現して欲しいという声を女性から聞くことがある。その点については言いたいことがある。
あなたたちが男性の言うことをもっと聴く姿勢を持てば、男性はもっと表現するだろう。
全てのコインには裏と表がある。私を含む多くの男性が、自らについての真実を、あるいは自分の目にしている物ごとを、口にすることを許されていないように感じている。このバリアはあらゆる場所にあるようだ。
考えるべきこと
さて、この記事についてどう感じただろうか?
あなたを不安にさせてしまっただろうか?
次に何がくるのかと思っているだろうか?
購読を止めようと思うだろうか?
でも、このことについて考えてみて欲しい。
私はここに書いたようなことを言いたいとは思わない。だからこそ言っているのだ。あなたは聴きたくないかもしれない。だからこそ聴くべきなのだ。
男は、沈黙する
男は、沈黙する。私たち男は、自らを表現するための言葉を操作する。自分たちの真の姿を封じ込める。そして、自分たちに対して世の中が抱いている幻想を実現しようとする。それが真実であろうとなかろうと。
要するに、私たちは自らを嘘で固める。言いたいことがあっても人々は耳を傾けようとしない。だから沈黙する。一部には怒りを爆発させる者もいるが、いずれにしても、私たちの本当の姿は見えなくなってしまう。
そして生気のない目で、死んだように生きる。
神話
男は強い。
男は恐れを知らない。
社会は男のためにある!
現実的になろう
全ての男には母親がいる。
男と女は互いを創り、共に世界を創る。
黙っているべき人などいない。
デイブ・ワイナー
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