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タスク管理アプリとタスクエディタ [アウトライナー]

長い間、タスク管理のツールや手法を遍歴してきました。

大学生の頃にブームだったシステム手帳。カードや付箋を使ったシステム。パソコンのスケジュール管理ソフトやPIMソフト(ロータスオーガナイザー、覚えてますか?)。Palmに代表されるPDA。GTD(Getting Things Done)。そしてその影響下にある各種タスク管理アプリ。

その手のことが趣味的に好きだということもありますが、あちこちふらふらするというのは、要するにひとつのことが続かないということです。

気持ちが乗っていたり、余裕があったりするときには、様々なツールや手法を学び、生活の中に実装していくこと自体が楽しいものです。でも、切羽詰まった緊急事態になると、そんなことは言っていられなくなります。



ときおり、タスクやスケジュールが破綻に瀕することがあります。

ミスやクレームによって作業の手戻りが発生した。スケジュールの見積もりが甘かった。クライアントや上司が無理を言った。人が足りない。能力が足りない。理由はさまざまですが、追い込まれる状況はだいたい同じです。

山のようにやるべきことが積み重なって、出口が見えない。こなしてもこなしても作業が増える。何から手をつけたらいいかわからない。そもそも何が優先かすらわからない。不安と焦燥感だけがある。

経験的に、こういう状態に陥ったら「タスク管理」はお手上げです。

というか、そもそもこうした事態を避けるためにタスク管理があるわけです。でも、現実の生活や仕事の中では、折に触れてこうした状況に見舞われるものです。個人的には、そういうときにこそツールや手法の力を借りたいと思います。

そしてそんなときに私が頼るのは、名のあるツールでもアプリでもなく、いつもアウトライナーでした。



飽和状態になってしまった頭を冷却するために、できれば数分でいいので夜風に当たり(そう、それはたいてい夜です)、水を一杯飲んで何回か深呼吸。そしてアウトライナーを開く。

無理に考えようとせず、やるべきことやそれについて頭にあることを片っ端から打ち込む(フリーライティングです)。

タスクに限定せず、細かいことも、具体的なことも、抽象的なことも、ポジティブなことも、ネガティブなことも、事実も、憶測も、人の意見も、自分の思いも、区別せずに書き出す。

(※もっともそういう状況では時間に余裕はないので、「今から12時間以内にやること」などに限定するようにすることが多かったです)

次に書き出したことをグルーピング。優先度とか重要度とかはあまり考えず、ただ整理する。分類しながら新たに思いついたことがあれば書き足し、また分類することを繰り返します(「シェイク」です)。

徐々に、今抱えていることの全体像が形になって目に見えるようになる。頭の中でもつれ、絡み合っていた糸がアウトライナーの中でほぐれていくような感覚があります。

不思議なことに、この段階で「大丈夫、乗り切れる」と感じることが多かったです。問題は複雑にもつれた状況を処理できずに頭が飽和していたことで、頭がクリアになれば実は対処可能だったということがほとんどでした(国家間の厳しい交渉ごととかだったらそうはいかないでしょう)。

頭がクリアにさえなれば、後はただひたすら実行していけばいい。そして気がつくと(それは多くの場合朝方だったりします)、なんとか山を越えています。

これは、もともとは文章を書くためにやっていた方法です。特に意識していたわけではありませんが、ごく自然に(そして苦し紛れに)その方法を応用していたわけです。



不思議なことに、こうした経験を何度となく繰り返しながら、状況が落ち着くとまた別のタスク管理アプリを試してみたくなってる自分に気づきます。

これが遍歴を繰り返す理由なわけですが、なぜそうなるのか長いこと不思議に思っていました。

切羽詰まっているときに自然に取る方法がいちばん自分に合ってるのだから、ずっとその方法でいけばいいのにと思ったりもします。

でも、もちろん緊急事態でのアウトライナーの威力を何度も経験しつつ、タスク管理アプリに戻ってしまうのにはちゃんと理由があります。それがわかってきたのは最近のことです。



タスク管理アプリには、締め切り日設定やタグやコンテクストやリピート設定などの便利な機能がたくさんあります。

一方で、タスク管理アプリを使うとき、事前に作った構成案(≒アウトライン)に合わせて文章を書くことに似た不自由さともどかしさを感じることがあります。タスクを〈考える〉ことをしようとすると、頭が硬直してしまうのです。

タスク管理アプリは、文字通りタスクを「管理」することに主眼を置いているので、タスクを自由に〈考える〉道具としては不自由なのです。

なぜ切羽詰まるとアウトライナーを使ってしまうのか。それはアウトライナーを使うと〈考える〉ことが楽だからです。楽だからこそ、自然にその方法を選択するのです。

アウトライナーを使うと〈考える〉ことが楽なのは、自由に自分の思考に合わせてアウトラインの構造を変えられるからです。ツールに合わせるのではなく、自分の思考の流れに合わせて使えることです。

そして気づくのは、「タスクを管理する」ことと「タスクを考える」ことは少し違うということです。



タスクを〈考える〉際には、タスクでないこともいっしょに扱えることが決定的に重要です。タスクを〈考える〉ことと、タスク以外のもろもろ(仕事上の、そして生活上の)を〈考える〉ことは一体なのです。

頭の中にある(タスクに関わる)もやもやを自由に書き出し、自由に編集できること。もやもや編集する中からタスクが生まれ、タスクを整理する中からまたもやもやが生まれる。それらがしかるべきところに位置づけられ、クリアになっていく。

そのプロセスをきちんと扱う機能を持っているツールは、今のところプロセス型のアウトライナーだけです(頭の中のもやもやが文章として形になっていくプロセスをきちんと扱えるのが、プロセス型アウトライナーだけなのと同じように)。

ここで本来必要とされるのは、タスク管理ツールというよりもいわば「タスクエディタ」というべきものなのです。



でも、もちろんいわゆる「タスク管理」が不要なわけではありません。それは頭がクリアになった後の段階で意味を持つのです。

だからこそ、事態が落ち着いてひと息つくと、またタスク管理ツールに頭が向くのです。

そして、このことに気づくと、逆にアウトライナーの中でいわゆる「タスク管理」の部分まで扱うための考え方も見えてきます。


(※「ライフ・アウトライン(仮)」こぼれテキストより)

10/5追記:
フリーライティングとアウトライナーについてはgo fujitaさんの以下のサイトの一連の文章がとても参考になります。
Free writing

10/6追記:
この記事に関連して、倉下忠憲さんに以下のアンサー(?)エントリーをいただきました。
タスク管理とフリーライティング あるいは電源としての混沌

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