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ハロウィンとは無関係な老人と古き良き時代の終わり [Diary]

週末、初めての駅で降りて商店街を散歩していたら(趣味)、ハロウィンのイベントをやっていた。子どもたちが仮装をして商店街の店を順に巡る。それぞれのお店ごとにお菓子などをもらえるらしい。

自宅の近所では最近ちょっと見たことのない数の子どもたちを見ながら、衣装もぜんぶ準備するんだよなあ、親御さんは大変だよなあとか思いつつ、でも子どもたちは楽しそうだよなあなどと思いつつ、でもきっと何人かはいるに違いない、楽しそうな顔をしながら内心ちょっと居心地悪く思っている子どもに共感と連帯。

しかしとても不思議に思えるのは、これが昼間だということ。
ハロウィンと言えば夜だよ。



ハロウィンというものを初めて知ったのは、70年代のアメリカの小学校だった。

「アメリカにはカボチャのおまつりがあります、お化けやヒーローの仮装をしていろんな家をまわってお菓子をもらいます」なんて祖母に手紙を書いたのを覚えている。

当時、日本で「ハロウィン」というものはほとんど知られていなかったと思う。それが今や。

(※ハロウィンはカボチャのお祭りではありません)



初めての年は確か1976年で、ぼくも両親もシステムがよくわからず、とにかく仮装をするらしいということで、母が古いトレーナーにカボチャの刺繍をしてくれた。

暗くなってから近所の子ども何人かと連れだって界隈の家を回り、「Trick or Treat」をやる。小さい子はだいたい年長の子にくっついていって、やり方を学ぶ。そして翌年には年下の子に同じように教える。そうして受け継がれるシステム。

最初の年は年少な上に英語もまだあんまりわからなくて、とにかく友だちの動作を真似て友だちの発する音を出す。するとちゃんとお菓子がもらえた(音を発することとその結果によって言語の回路が形成されていくのだ)。

ただし、カボチャの刺繍入りトレーナーについてはちょっとコンセプトが間違ってる感じがしたので(というかものすごく間違ってる感じがしたので)、翌年には郊外のショッピングセンターで正しい(?)衣装を買ってもらった。

当時のハロウィンは伝統的なシーツやお面をかぶったお化けの仮装がすたれ、テレビ番組やハリウッド映画のキャラクターの仮装が主流になりつつあった。

二年目はちょうど「スターウォーズ」の第一作が公開された年(1977年)だったので、ぼくも含めて誰も彼もがスターウォーズの衣装を着たがった。

光るライトセーバーは買ってもらえなかったけど、とにかく正しい(?)仮装でだいぶしゃべれるようになってきた英語も合わせて一人前になった気分(年下の子をリードさえした)。



そこはサンフランシスコのサンセット地区というところで、比較的治安のいいエリアだったとは言え、子どもたちだけで夜暗くなってから近所の知らない家の呼び鈴を押しても回るというのは、今考えるとけっこう大胆な気もする。

まだそれなりに古き良き時代だったのか。今は大人が同伴したりするのだろうか。あるいは当時も実は大人が隠れて警戒監視していたりしたのだろうか。

それでも、ハロウィンが近づくと学校で保護者向けに配られたプリントは、古き良き時代が終わりつつあることを示していた。

「もらったお菓子のうち、食べてもよいのは包装された市販のお菓子のみ」
「開封された形跡のあるもの、果物、ホームメイドのお菓子はもらっても決して口をつけないこと」



「Trick or Treat」にはひとつルールがあった。

子どもたちは好きに近所の家を回るのだが、呼び鈴を押していいのは例のカボチャをくりぬいて作ったランタン(ジャック・オー・ランタン)を窓辺に飾って灯をともしている家だけだということ。

ジャック・オー・ランタンは、その家がハロウィンという祭りに参加している(したがって子どもたちのためにお菓子を用意して待っている)目印なのだ。

当然、全ての家がランタンを灯して子どもたちの来訪を待ち受けているわけではない。



ランタンを灯してない家の玄関から顔を出したのは、まさに偏屈で孤独を絵に描いたような老人だった。

もちろんランタンを灯してない家には行ってはいけないのだが、たまたまその家の玄関は隣の家の玄関と紛らわしいつくりになっていて、間違えてしまったのだ。

それは、ハロウィンとは無関係な家なのだ。ダースベイダーもC3POもバットマンも誰も間違いに気づかなかった。

三回か四回呼び鈴を押して誰も出てこないのでおかしいなと思い、そういえばこの家ランタンないじゃん、何やってんだよ、最初に入ったのお前だろなどと言い合っていると、ドアの向こうでかちゃかちゃと鍵を外す音が聞こえた。

玄関がゆっくりと開き、痩せた老人が顔を出した。

今までTrick or Treatした家は例外なく、明るくて温かくて賑やかでフレンドリーだった。健全なアメリカの家庭だった。子どもたちを歓迎するために自分たちで仮装してる人だっていた。

でもその家は違った。中は暗く、何の音もしなかった。家の中からは湿った冷気とともに不思議な匂いのする空気が流れ出してきた。冷蔵庫に似た匂いだった。

老人の不自然なほど青白い顔には幾筋も深いしわがきざまれていた。外から微かに差し込む街路灯の明かりで余計そう見えたのだろう。暗い眼窩の奥の方にかろうじて濁った目を確認できた。



老人は玄関のドアに手をかけたまま、何も言わず、身じろぎもせず、こちらをじっと見ていた。

ダースベイダーもC3POもバットマンも「Trick or Treat」とは口にできなかったが、だからと言って黙って立ち去ることもできなかった。硬直したままずいぶん長い時間が流れた(気がした)。

老人は唐突にばたんとドアを閉めた。ドアが閉まってしまうと、もうその家に人の気配は感じられなかった。

すごく怖かったのに、なぜか走って逃げるというようなことは思いつかなかった。あの老人は本当に本物の老人だったのだろうか。誰からともなく(お面越しに)顔を見合わせた。

そして再び唐突に、しかも勢いよくドアが開いて全員が飛び上がった。

老人はしわくちゃのビニール袋をぼくの鼻先に突きつけた。目の前の毛深い腕の質感で本物の老人であることはわかったが、その分よりリアルに恐ろしかった。

思わず後ずさりしたけれど、よく見るとどうやら受け取れということらしかった。ぼくはおそるおそる袋を受け取った(位置的にぼくが受け取らざるを得なかったのだ)。

老人は何も言わずにばたんと玄関のドアを閉めた。中からがちゃがちゃと鍵をかける音が聞こえた。

ドアは二度と開かなかった。



そのビニール袋には誰も手を触れようとしなかったので、結果的にぼくが持って帰ることになった。

中には半分残ったハーシーの板チョコ(包装紙ごと割られている)、オレンジ色の飴玉が数個(包装してない、むき出し)、リグレーのチューインガム(スペアミント)数枚、そして胡桃が入っていた。

老人は幻覚でも亡霊でもなく、恐ろしい人でもなく、偏屈で孤独なのかもしれないけど普通のおじいさんだったんだと思った。



それで老人のくれたお菓子を食べたのかというと、やっぱり食べなかった。もはや古き良き時代ではないことをぼくは知っていたから。

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