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かいま見た何かの素敵サイド [Diary]

中学生になったばかり80年代初め、近所の本屋さんでは子どもの手の届く棚に普通にエロ本が売られていて、店主と他のお客さんの目を盗みながら(実際はバレバレだったと思うけど)、ビニールの切れ目や袋とじの間から何かをかいま見るというのが、男の子の通過儀礼のようなところがあった。

通学路沿いの電柱には、駅裏の映画館で上映されるポルノ映画のポスターが貼られていて、その毒々しい写真とフォント(なぜか筆文字っぽい)から横目で凝視しつつかいま見る何かもまたそうだった。

じゃあその何かが素敵だったかというとそんなことはなく、多くの場合歪んでいて偏っていて、おじさんたちのヤニ臭い不健康な欲望の匂いしかしなかった。



その年齢のときは、いろんなところからそれをかいま見る。そういうものが子どもの目に簡単に触れるのが良いことだとは思わないし、世界に自慢できたことでもないけれど、それでもいろんなところからかいま見る。

そのひとつひとつではなく、そこに含まれる不健全なものや健全なものや素敵なものやロクでもないものの総合的なあり方を少しずつ。



本屋さんや通学路でいろいろかいま見ていたのとちょうど同じ頃。

友人のKにはきれいなお姉さんがいた。誰もが密かにお姉さんに会えることを期待してKの家に遊びに行っていた。ぼくもそうだった。

お姉さんは当時大学二年生だった。

今思うと、共働きでいつもいなかった両親にかわって、Kの親代わりを果たしていたのだと思う。でもとっつきにくいところはどこにもなく、遊びに行けばまるで友だちのように話したり、お茶やお菓子を出してくれたり、ときにはゲームに付き合ってくれたりした。

ある日曜日、いつものように友人たちとKの家に行くと、お姉さんの彼氏という人が来ていた。彼氏さんもとても気さくでやさしい人で、みんなでコタツに入ってやっぱりいっしょにお菓子を食べたりテレビを見たりゲームをしたりして過ごした。

お姉さんと彼氏さんはこたつに並んで座っていた。二人とも楽しそうにしていたけれど、ふとしたときに彼氏さんと視線を交わすのお姉さんの表情に、見たことのない何かが含まれていることにぼくは気づいていた。

夕方になって、Kとぼくらはゲームセンター(だったか模型屋さんだったか)に行くためにKの家を出た。お姉さんと彼氏さんは、わざわざ玄関まで出てきて見送ってくれた。

自転車をちょっと走らせてふと振り返ると、ちょうどお姉さんと彼氏さんが玄関に入っていくところだった。

二人はちょっと目を合わせ、それから軽く手を取り合って玄関の中に消えた。



たとえばそれが、かいま見た総合的な何かの素敵サイドの一例だ。

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