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編集された言葉 [Thoughts]

ある人の印象が、ブログとツイッターでは全く違うということがよくあるけど、その印象の違いはたぶんより大きな文脈の中で編集された言葉とそうではない言葉の違いだ。

ツイートはより上位の文脈の中に位置づけるということがない分、生に近い状態を保っている。

一方、ブログでは言葉の断片がより長い文章の流れの一部として位置づけられ、機能するためにリズムやトーンが調整される。その過程で言葉は生まれたままの生の状態から変化する。単にニュアンスだけじゃなく、時には内容そのものまで。

(より正確にいうと、ツイートはタイムラインの中に位置づけられ、リズムとトーンを調整・編集された言葉なんだけど)

そう思えば、どうしてああなんだろうといつも思う政治家の言葉っていうのは、政治家的なシチュエーションと文脈の中に位置づけられるよう編集された言葉なんだということがわかる。だからそうではない言葉を期待しても、その文脈の外に出ない限り、期待するような言葉は出てこない。

官僚の言葉も会社員の言葉もみんな同じ。

そして、一対一で言葉を交わしているときに好意を抱いたり親近感を持ったりした人が、ある集団の中に身を置いたとたん、自分にはわからない言葉を話す「知らない人になってしまう」という、昔から幾度となく味わってきた苦い思いの理由が突然わかったような気がする。

その人の言葉は、その場の文脈(空気といってもいい)の一部として位置づけられ、機能するためにリズムやトーンが調整される。その過程で言葉は生まれたままの生の状態から変化する。単にニュアンスだけじゃなく、時には人格そのものまで。
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