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終わりの気持ちの相似形 [Thoughts]

一日の終わりの気持ちと人生の終わりの気持ちは、相似形なんだろうなと思っている。人生が一日一日の積み重ねなら、一日の終わりと人生の終わりは決して無関係ではないはず。

一日の終わりに、時間はたっぶりあったはずなのにと思うことが多いなら、きっと人生もそうなる。

一日の終わりに、言いたいことが言えなかった、伝えたいことが伝えられなかったと思うことが多いなら、きっと人生もそうなる。

一日の終わりに、人から理解されない自分の(本当の)実力や、自分の(本当の)賢さや、自分の(本当の)正しさや、自分の(本当の)優しさや 、自分の(本当の)努力について反芻していることが多いなら、きっと人生もそうなる。

一日の終わりに、自分以外の誰かのせいであることを頭の中で証明しようとしていることが多いなら、きっと人生もそうなる。

一日の終わりに、不満や怒りや嫉妬や後悔が頭の中に満ちていることが多いなら、きっと人生もそうなる。

そんな気がする。違うかも知れないけど、そう思っておいた方がいいというか。そしてたぶん、そんなに大幅には違っていないと思う。

最近、そういうことをよく考えるようになった。それほど真剣にではないけど、自分も残り時間のことを意識し始めてるのだ、と思う。意識したところで実際にどのくらいの時間が残っているかなんてわからないのだけど。

うむ。

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