こぼれ落ちていくもの、五感を使うこと、ネガティブではないこと [Thoughts]
多くの楽しそうなことや興味深いことや期待や要請や義理が「今日やること」からこぼれ落ちていく。でも自分にとってより重要なことでマスを埋めた結果であればそれで構わないし、有限な時間の使い方とはそういうものだということに、人生のどこかで気づかなければならない。
— Tak. (@takwordpiece) 2014, 4月 26
全てをやることはできない。全てを手に入れることはできない。これはマンダラートから学んだことといってもいいかもしれない。
マンダラートほど、自分の持ち時間が有限だということをはっきりと(ある意味では残酷に)カタチとして見せつけてくれるものはない。その点ではどんなタスク管理ツールよりも、どんな自己啓発本よりも強力だ。
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スペースが有限ならば、重要なのは何を残すかということだ。だけどあらためて「何を残すか」考えようとしても、なかなかうまくはいかない。
何かを残すためには基準が必要だ。たとえば「7つの習慣」で紹介されている「ミッション・ステートメント」などはそのための方法だ。でも、自分にとって嘘のない、有効なミッション・ステートメントを作成することは、ちょっと考えるほど簡単なことではない。
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それでも日々生活していると、何かが一瞬頭をよぎることがある。今とても大切なことに気がついたという感覚がある。これから生きていくために指針になる何かがが見えたような気がする。
それは言葉になってることはほとんどなくて、むしろ風景だったり匂いだったり手触りだったり、そんなものの記憶としてやってくる。
書きとめなければ、と思う。でも言葉にしようとした瞬間にそれは消えてしまう。あるいは無理に言葉にしてもやはり嘘になってしまう。
たぶん、言葉にしてはいけないことがあるのだ。
最大限に感覚を研ぎ澄まして、五感の全て使って生きるしかないのだろうと思う。それは、これから生きていく上でどんなハックよりもどんなテクニックよりもどんなツールよりも、重要なことかもしれない。
そしてこれはネガティブな話ではない。
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たとえ基準を見つけ出せたとしても、こぼれ落ちていくものがあるというのはつらいことだ。
こぼれ落ちていくものの中にも大切なものがある。大好きなものがある。愛しいものがある。それでもこぼれ落ちていく。有限なスペースには入りきらない。なのに愛しいのだ。それが「歳をとる」ということの意味なのだと気づいたのはつい最近のことだ。
くり返すけど、これはネガティブな話ではない。
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