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アウトライナーとの(本当の)出会い [アウトライナー]

文章を書くことがとても苦手だった。正確にいうと、文章を書くこと自体はぜんぜん苦にならなかったけど、完成させることが苦手だった。

これは性格的な傾向にもよっていて、文章に限らず目の前のひとつのことに集中することが子どもの頃から苦手。

今考えるべきこととは関係ないことが次々に頭に浮かんで、意識が拡散してしまう(単に机の前にじっと座ってられないということもあるけど)。

だから、まとまったひとつのものを集中して仕上げることが大変に苦手。これは今でもあまり変わらない。

原稿用紙を埋めろと言われればいくらでも埋められるけど、ちゃんと始まってちゃんと終われと言われると途方に暮れて固まっちゃうかパニックになる。



アウトライナーがこの状況を救ってくれたのだけど、最初はうまく使うことができなかった。

初めて触れたアウトライナーは、ワープロ専用機OASYSにオマケみたいについていたアウトライン機能。

機能的にかなり制限があったということもあるけど、何よりも多くの人と同じように、アウトライナーはアウトラインを組み立ててから書くためのものと捉えていた。

それをやろうとすると、やっぱり途方に暮れて固まっちゃう。まずアウトラインをうまく作れない(へんにちんまりしてたり逆に妙に壮大になったり)。なんとか作っても今度はアウトラインの通りに書けない。

それでもどこかに可能性を感じていたから、アウトライナーについて書いた本や雑誌の記事を読みあさっていた(当時はそういう本や記事があったのです)。



奥出直人さんの『思考のエンジン』を読んで、アウトライナーのイメージが一変した。

『思考のエンジン』の中で奥出さんは、論文を書く作業にアウトライナーを使う様子を詳細に説明する。そこで行われるのは「書く」作業ではなく「書き直す」作業なのだ。

アウトラインを組み立てるのではなく、あらかじめ普通のワープロで書いておいた論文をアウトライナーに取り込んでアウトラインを作る。できたアウトラインを元に議論の構造を検討し、リライトする。奥出さんは次のように書く。
これはアウトラインを操作して文章の構造を決定する作業とは少し質が違う。というのも、すでに文章は書かれているのである。ディスコースはゆっくりと流れる河のようなものであり、点と点を結ぶだけのアウトラインからでは、議論が実際にはどう流れるか見当がつかない。だが、すでに書かれている文章がある場合は、アウトラインの検討はまさに高いところからディスコースの流れを見下ろしていることになるのである。

(※)ここでの「ディスコース」は、「論じている内容」というくらいの意味。

いったん書いた文章の内容を、アウトラインの形で細部まで細かく検討する。「書いてしまったこと」を俯瞰し、分析し、解体し、再構築する。その作業の中から新しい仮説、新しい議論が生まれ、元の議論にフィードバックされていく。それは、アウトラインをつくってそれに合わせて何か書いていく作業とは本質的に異なるものだ。

(そして、そのときに感じた希望)



解体し、再構築する。はじめて自分自身で試みてみたときのことは忘れられない(文字通り、気がついたら夜が明けていた)。

これが、アウトライナーとの(本当の)出会いだったと思う。

(※『アウトライン・プロセッシング入門』こぼれテキストより)

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