アドバルーン [Diary]
電車の中からアドバルーンが見えた。
アドバルーンなんか見るのは何年ぶりだろう。5年以上は見てない気がする。少なくとも気づかなかった。
子どもの頃は、週末になると実家からアドバルーンが見えたような気がするけど。たぶん地元の駅ビル(昔は単に「駅ビル」という名前だった)のもの。
よくよく考えてみると、アドバルーン(=広告風船)というくらいだからこれは広告なんだろうけど、今「広告」といって頭に浮かぶものとはずいぶん趣が違う。
駅ビルの広告を、駅ビルの屋上から風船であげる。
昔、地元で駅ビルより高い建物はなかったから、少なくとも駅ビルに買い物に来る範囲の人たちにはそれで充分メッセージを伝えることができた。
メッセージといっても何も複雑なことはなく「本日特売」とか「今月は休まず営業」とかそんな程度の。
マーケティングもブランドもへったくれもない。原始的。
でも、そのシンプルさとクリアさって、実は今いちばん欠けている(そして必要な)もののような気がする。
そして、広告の複雑さと世の中の複雑さはおそらく比例してると思う(決して広告が世の中を複雑さの「要因」ではないとしても)。
アドバルーンなんか見るのは何年ぶりだろう。5年以上は見てない気がする。少なくとも気づかなかった。
子どもの頃は、週末になると実家からアドバルーンが見えたような気がするけど。たぶん地元の駅ビル(昔は単に「駅ビル」という名前だった)のもの。
よくよく考えてみると、アドバルーン(=広告風船)というくらいだからこれは広告なんだろうけど、今「広告」といって頭に浮かぶものとはずいぶん趣が違う。
駅ビルの広告を、駅ビルの屋上から風船であげる。
昔、地元で駅ビルより高い建物はなかったから、少なくとも駅ビルに買い物に来る範囲の人たちにはそれで充分メッセージを伝えることができた。
メッセージといっても何も複雑なことはなく「本日特売」とか「今月は休まず営業」とかそんな程度の。
マーケティングもブランドもへったくれもない。原始的。
でも、そのシンプルさとクリアさって、実は今いちばん欠けている(そして必要な)もののような気がする。
そして、広告の複雑さと世の中の複雑さはおそらく比例してると思う(決して広告が世の中を複雑さの「要因」ではないとしても)。
コメント 0