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内向的であることについて [Thoughts]

「内向的でも成功するために必要なもの: Jonathan Fields・Susan Cain対談 #WDS | Lifehacking.jp」

少し古い記事だけど、当時電車の中で読みながらいろいろ考えさせられたことを覚えている。ここに出てくる出てくる「成功」ってそもそも何なのかという問題はさておき、自分が「内向的」だと思う人は読んでみるといいと思う。

この中に、子どもの頃サマーキャンプでアグレッシブになることを要求されて衝撃を受けたという話が出てくる。

アメリカの子どもというのはなぜか夏休みにサマーキャンプというのに参加させられて、「リーダー」なるお兄さんに率いられて山や森の中で寝袋で一晩過ごす。ぼくにも何回か経験がある。日本でいう3年生と4年生のときだったと思う。

役割を決めて薪を集めたり食事を準備したりキャンプファイヤーを作ったりすることを通じて、協調性とリーダーシップと独立心を養うってことなんだろうね。まさにアメリカの子どもが大人になる過程で身につけることを要求される物ごとだ。

一応要求されることは(それなりに)こなしながら、心の中で「早く終わらないかなあ」と思っていたのを覚えている。そして、その「早く終わらないかなあ」的感覚が、大人になってもまったく変わってないのがおかしい。

想像がつくと思うけど、ぼくは(非常に)内向的な人間だ。

会議やブレストで発言できないわけではないし、やれと言われれば(得意とはとても言えないけど)人前でプレゼンだってやる。でもそれは、あくまでも振る舞い的にそれができるようになったというだけのこと。

内向的な人間も外の世界で生きていかなければならなず、そこには内向的な人間の居場所が用意されていないことを、ずっと痛感してきたわけだから。←外向的発想

そんな振る舞いの底の浅さは、自分がいちばんよくわかっている。そして、その後にやってくる、自分の生命資源が浪費された感覚は、あんまり気持ちの良いものではない。

だから、本来内向的な人間が、外向的(に見えるように)振る舞おうと努力している姿を見ると、とても心が痛む。そうしなければならないことは、とてもよく理解できるけど。



個人的に、これまで手にしてきた価値のあるものはすべて、自分の内向的な面とつながっていると思う。もし内向的でなかったら、自分にはほとんど何も残らないとさえ。

自分が好きになる人は、あるいは個人的に深く関わりたいと思うような人は、分類するとすればたぶんみんな内向的な人間だ。

まったく「外向的」ではないけど、内側からじわじわと人を変えていくようなタイプの「内向的」な人が存在することも知っている。長期的に考えれば、そういう人こそ本当に深く強く、周囲に影響を与えるということも知っている。

そしてもうひとつの疑問。本当に純粋に「外向的」な人なんて存在するんだろうか。もちろん極論だけど、それでも今世の中に存在している(ように見える)ほどの数の「外向的」な人がいるとは、ぼくには思えない。

今の世の中の、居心地悪く底の浅い感じの少なくとも一部は、本当は外向的でない人間が無理に外向的に振る舞い、そして他人にもそれを押しつけているからだとぼくは密かに思っている。

「人は自分以外のものにはなれない」ということは、人が大人としてある程度幸福に生きていくために、最低限知っておくべき真理だ。

組織運営と若手の育成に関する会議で、積極的に攻めの姿勢のコミュニケーション能力がリーダーシップを発揮して的ワードが飛び交うのを聞きながら。



ちなみに、ぼくはマイヤーズ・ブリッグス性向指数テスト(MBTI)をきちんと受けたことはないけれど、簡易診断によると、ぼくは「INTP型」だそうです。はい、内向的ですね。
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