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奇跡の持続可能性 [Diary]

「丁寧な仕事をする」ことはとても大切なことだと思うけど、現実には丁寧な仕事をすることは年々難しくなり、今ではほとんど不可能に近くなっている。

そもそも仕事の予算とかスケジュールとか人員なんていうものは、必要なだけ充分に与えられるということはまずないもの。だけどそれが限度を超えて加速度的に少なく、短くなっていくのは、一度奇跡を起こすと次からはそれがデフォルトになってしまうからだ。

「前回はこのスケジュールでできたじゃない?」
「前回はこの予算でやってくれたじゃない?」

と言われれば確かにそれは事実。反論できない。

こうして繰り返し奇跡を起こしているうちに、奇跡を前提にあらゆる物ごとが進行するようになり、誰もがそれを当然と思うようになり、1年くらい経つと経緯を知らない別の人から、あろうことか「ここのスケジュールなんですけど、もう少しなんとかなりませんか?」なんて言われる。

そうやって、丁寧な仕事をしたいと願ってもそれができない世界をぼくらは作り上げてきたのだね(もちろんそこには時代の変化とか業界の変化とか環境の変化とか効率性とか生産性とかいろんな問題が絡んでるんだけど、「だからしょうがないんだ」ということにはならない)。

でもたぶん、奇跡はそうやって使うものではない。無意味な奇跡を起こすことに必死になって良い仕事をした、あるいはがんばった気になってると、おそらく誰も幸せにならない(奇跡を要求している側も含めて)。そして何より、奇跡を起こし続ける生活は、持続不可能だ。

同僚が「私たちだけでも変えていきましょう」と言ったけど、それはとても重要な言葉だと思っている。何よりそのことを言葉にする人が、ほとんどいない中では。
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