ランダムなバイリンガルではなかったこと(あるいはモードチェンジ) [Diary]
翻訳の気持ちよさって、日本語モードと英語モードの間を行き来することそのものだ。何度も行き来しながら、その両方で生じる違和感を徐々に削っていく。それぞれに移ったときに感じるでっぱりやひっこみが、徐々に削られて滑らかになっていく快感。
で、ふと思ったのは、この行きつ戻りつしながら頭がシャッフルされる快感て、おそらくランダムなバイリンガルの状態では味わえないんじゃないかということ。
「ランダムなバイリンガル」というのはぼくが勝手に作った言葉だけど、いわゆる日本語と外国語(ぼくの場合は英語)を「ちゃんぽん」で使うこと。
「McDonald's好きだけどさ、Lunch timeだとstay in the rowしなきゃならないからI hate to」みたいな。
この状態だと、英語と日本語の間を行き来するということがそもそも必要ないのではないかと想像する。
というのは、ぼくは子どもの頃英語ネイティブだったけど(今は違う)、ランダムなバイリンガルだったことは一度もないから。
■
当時から、頭の中では英語モードと日本語モードが明白に分かれていた。英語モードのときは思考も含めて英語に切り替わる。日本語が入る余地はない。日本語モードのときはその逆。混ざることはない。
でもそれは周囲の期待とは違ったみたいだ。
アメリカに住んでいたのは1975年から1980年の間。で、その時代のいわゆる「帰国子女」のイメージが、まさにランダムなバイリンガルだった。でも、ぼくはまったくそうではなかったので、周囲はかなりとまどった、らしい。
ランダムなバイリンガルにならなかった理由はいろいろあると思う。英語に触れた年齢が6歳と比較的高く、既に日本語がある程度固まっていたこと。そして一人っ子で家に帰れば話し相手が両親しかいなかったこと。
でも、なにしろ子どもはすぐに英語ペラペラになって、日本語とまったく区別せずちゃんぽんでしゃべるようになるものだというイメージのせいで(さすがに今はそんなのないよね)、両親は(特に父親は)、ぼくの言葉にいつまでも英語が交じらないことを本気で心配していたふしがある。家で突然「今話していたことをもう一度英語で言ってみろ」なんて言われたりして(言うかよ)。ようやく安心したのは、友だちと実際に英語で会話しているのを耳にしたときだった、と後からきいた。
日本に帰ってきてからも「本当に帰国子女なの?」とよく言われた。ここでまた閉口したのが、授業中に「これは英語で何というのかみんなに教えてやってくれ」とか「先生より発音がいいだろうからTak.に読んでもらおう」とかしばしば言われたことで、日本語モードのときにそんなこと言われても単語も浮かばないし発音も切り替わらないわけで、だから沈黙してると反抗的な態度と受けとられて、まあいろいろあったわけだけど以下略。
とにかくそんなことがあって、ずいぶん長い間、英語というものが愛憎半ばするというか、どっちかというと憎の方が多いというか、あんまり関わりたくないというか、そんな存在だった(それでいて英語の力を借りてなんとか大学に入れたんだから勝手なものだけど)。
英語に対して素直に向き合えるようになったのは、二十代の半ばになってからだ。
■
でも今になって、誰に頼まれたわけでもないのに翻訳なんかしていてつくづく思うことは、自分の言葉の使い方とか思考のベースには間違いなく英語があるんだということだ。というよりも、日本語モードと英語のモード切り替えそのものにあるんだということ。
英語の感覚と日本語の感覚を行き来することが、考えたり言葉を選んだりする行為と切り離せなくなっていること。日本語で文章を書くことも、英語的な思考やリズムを日本語に置き換える作業として行っていること(もちろん英語で考えてるわけではないけど)。
ランダムに混じることはなかったけれど、だからこそお互いに行き来し、置き替え、シャッフルすることで、より深く、分ちがたく、避けがたく自分のコアに刻みこまれてること。
■
そして今になってみればそれはやはり宝物だということ。
で、ふと思ったのは、この行きつ戻りつしながら頭がシャッフルされる快感て、おそらくランダムなバイリンガルの状態では味わえないんじゃないかということ。
「ランダムなバイリンガル」というのはぼくが勝手に作った言葉だけど、いわゆる日本語と外国語(ぼくの場合は英語)を「ちゃんぽん」で使うこと。
「McDonald's好きだけどさ、Lunch timeだとstay in the rowしなきゃならないからI hate to」みたいな。
この状態だと、英語と日本語の間を行き来するということがそもそも必要ないのではないかと想像する。
というのは、ぼくは子どもの頃英語ネイティブだったけど(今は違う)、ランダムなバイリンガルだったことは一度もないから。
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当時から、頭の中では英語モードと日本語モードが明白に分かれていた。英語モードのときは思考も含めて英語に切り替わる。日本語が入る余地はない。日本語モードのときはその逆。混ざることはない。
でもそれは周囲の期待とは違ったみたいだ。
アメリカに住んでいたのは1975年から1980年の間。で、その時代のいわゆる「帰国子女」のイメージが、まさにランダムなバイリンガルだった。でも、ぼくはまったくそうではなかったので、周囲はかなりとまどった、らしい。
ランダムなバイリンガルにならなかった理由はいろいろあると思う。英語に触れた年齢が6歳と比較的高く、既に日本語がある程度固まっていたこと。そして一人っ子で家に帰れば話し相手が両親しかいなかったこと。
でも、なにしろ子どもはすぐに英語ペラペラになって、日本語とまったく区別せずちゃんぽんでしゃべるようになるものだというイメージのせいで(さすがに今はそんなのないよね)、両親は(特に父親は)、ぼくの言葉にいつまでも英語が交じらないことを本気で心配していたふしがある。家で突然「今話していたことをもう一度英語で言ってみろ」なんて言われたりして(言うかよ)。ようやく安心したのは、友だちと実際に英語で会話しているのを耳にしたときだった、と後からきいた。
日本に帰ってきてからも「本当に帰国子女なの?」とよく言われた。ここでまた閉口したのが、授業中に「これは英語で何というのかみんなに教えてやってくれ」とか「先生より発音がいいだろうからTak.に読んでもらおう」とかしばしば言われたことで、日本語モードのときにそんなこと言われても単語も浮かばないし発音も切り替わらないわけで、だから沈黙してると反抗的な態度と受けとられて、まあいろいろあったわけだけど以下略。
とにかくそんなことがあって、ずいぶん長い間、英語というものが愛憎半ばするというか、どっちかというと憎の方が多いというか、あんまり関わりたくないというか、そんな存在だった(それでいて英語の力を借りてなんとか大学に入れたんだから勝手なものだけど)。
英語に対して素直に向き合えるようになったのは、二十代の半ばになってからだ。
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でも今になって、誰に頼まれたわけでもないのに翻訳なんかしていてつくづく思うことは、自分の言葉の使い方とか思考のベースには間違いなく英語があるんだということだ。というよりも、日本語モードと英語のモード切り替えそのものにあるんだということ。
英語の感覚と日本語の感覚を行き来することが、考えたり言葉を選んだりする行為と切り離せなくなっていること。日本語で文章を書くことも、英語的な思考やリズムを日本語に置き換える作業として行っていること(もちろん英語で考えてるわけではないけど)。
ランダムに混じることはなかったけれど、だからこそお互いに行き来し、置き替え、シャッフルすることで、より深く、分ちがたく、避けがたく自分のコアに刻みこまれてること。
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そして今になってみればそれはやはり宝物だということ。
宝物、少しうらやましい..。
Tak.さんの訳が好きな理由も分かった気がしました。日本語モードだけでなく、英語モードのぼくも納得しているだと思います。
ぼくは日本で生まれ育ち、外国語は大人になって使うようになりましたが、それでも英語で読んで英語で考えて英語で書いたことと、日本語でそうしたときのギャップの大きさに驚くことが、たまにあります。同じ自分なのに。英語のときの出来事は英語じゃないと思い出せない (とくに数字) ことが多いのも、似た感覚です (これはぼくだけ? 笑)。
by gofujita (2014-08-17 07:01)
gofujitaさん
逆に大人になって日本語モードと英語モードを使い分けられるようになるっていうのがすごいです(もちろん研究者にとってはそれが必要だとしても)。
英語モードと日本語モードでは人格が違う、というのはありますね。そしてこのコメントを読んでて思いましたが、確かに記憶領域も少し違うかもしれないという気がします。
by Tak. (2014-08-17 11:43)