自らに対する脳内でのささやかな称賛 [Thoughts]
何か問題や課題を抱えているとき、いつも頭の中で「そうじゃないやり方があるはずだ」とつぶやいているような気がする。
あまりにも当たり前でほとんど意識することもないけど、たぶん子どもの頃から。
「人と同じことはしたくない」とか「常識を疑ってみる」などと言えばすごくかっこいいけど、そういうのとはちょっと違う。
もっとずっと余裕がなくて、切実なニュアンスを持ったフレーズだ。
それは、昔から「普通(とされる)のやり方」や「指示されるやり方」にどうしても適応できなかったり、違和感があったりしたことと対応している。
つまり、元々はネガティブな感覚だった。
でも、最近気づいたのは、「そうじゃないやり方がきっとあるはずで、それを見つけなければならない」という感覚自体が、自分にとって何かを考えたり、前に進めようとしたりするモチベーションになってきたということだ。
「そうじゃないやり方があるはずだ」という言葉に伴う感覚は、人生のある時点で少しだけポジティブなものに変化した。心の中で起こったほんの小さなニュアンスの変化だけど、結果は小さくはない。
それがなかったら、生きることは今よりずいぶん(より一層)難しくなっていた気がする。
変化のきっかけが何かは知っているけど、誰にも言わない。ただそこに自分の「意志」が関わっていることについて、自らに対する脳内でのささやかな称賛を惜しまない。
あまりにも当たり前でほとんど意識することもないけど、たぶん子どもの頃から。
「人と同じことはしたくない」とか「常識を疑ってみる」などと言えばすごくかっこいいけど、そういうのとはちょっと違う。
もっとずっと余裕がなくて、切実なニュアンスを持ったフレーズだ。
それは、昔から「普通(とされる)のやり方」や「指示されるやり方」にどうしても適応できなかったり、違和感があったりしたことと対応している。
つまり、元々はネガティブな感覚だった。
でも、最近気づいたのは、「そうじゃないやり方がきっとあるはずで、それを見つけなければならない」という感覚自体が、自分にとって何かを考えたり、前に進めようとしたりするモチベーションになってきたということだ。
「そうじゃないやり方があるはずだ」という言葉に伴う感覚は、人生のある時点で少しだけポジティブなものに変化した。心の中で起こったほんの小さなニュアンスの変化だけど、結果は小さくはない。
それがなかったら、生きることは今よりずいぶん(より一層)難しくなっていた気がする。
変化のきっかけが何かは知っているけど、誰にも言わない。ただそこに自分の「意志」が関わっていることについて、自らに対する脳内でのささやかな称賛を惜しまない。
コメント 0