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深さと暗さと便利と効率 [アウトライナー]

昔、職場の同僚や仕事仲間にアウトライナーの普及を試みたことがある。若かったから。

書いたことを後からいくらでも組み替えられるんだ(すばらしいでしょ?)。

そう説明すると、多くの場合「なぜわざわざ組み替える必要があるのか」という疑問が返ってくる。

「組み替えるくらいなら最初からそのように書けばいいではないか。自分は事前にきちんと考えて下書きをするから、後から組み替えることなど不要だし非効率だ」と。

そう言われてしまえば、それ以上何も言うことはできない。そして、彼らは何も間違ってなどいない。



「事前にきちんと考える」こと。それは今立っている場所から見える風景だ。その地平線の向こう側にある深淵の深さと暗さは、覗いてみた人にしかわからない、と言ってみたりはしない。

それが一般的な意味で「便利」だったり「効率的」だったりすることを保証できないし、軽い気持ちで覗いた淵の深さと暗さが求められているとは限らないのだから。



でも、今いる場所からは見えない深さと暗さの中にこそ可能性があり、発見があり、自覚がある。そして想像できる「便利」や「効率」から得られるのとは成り立ちの違う喜びや楽しみや快楽がある。

何よりも、その深さと暗さを求めることを通じて、少し違った形の「便利」や「効率」が与えられるのだということを、わたしたちは知っている。



これはたぶん、アウトライナーに限った話じゃないんじゃないかと最近思っている。

なんとなく。

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そうじゃない人 [Thoughts]

1)
そうじゃない人になりたいと願っていた。
逃げ切れるような気がしていたときもあった。

2)
そうじゃない人になることは、思うほど難しいことじゃなかった。
逃げ切ることは、思うほど意味のあることじゃなかった。

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(ねこ)のてつがく [Talks]

(さかな)がすきです

(とり)がすきです

(ねずみ)がすきです

(ひなた)がすきです

(はこ)がすきです

(こたつ)がすきです

(ふとん)がすきです

(ひざ)がすきです

ひとりがすきです

いまがすきです

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アウトライン操作の制約、セットリスト、スライド [アウトライナー]

以前も書いたけど、『Piece shake Love』ではアウトライナーを全面的に使いながら(アウトライナーがなければ絶対にできなかった)、いわゆる「アウトライナーを使う」ことからイメージされるような作業(階層化して分類したり整理したり構造化したり)を一切せず、断片=ブログの記事を「配列する」作業に徹した。

正確に言うと、最初は分類や構造化を試みたけれど、その結果できあがったものがあまりにもつまらなかったので放棄した。

そして記事を「気持ちいい順番」に配列することに集中した。

この記事のエンディングに続けてこの記事が来たら気持ちいいだろう、こんなふうに並べたらびっくりするだろうみたいな。

頭の中でイメージしていたのはコンサートのセットリスト(曲順)を作る作業なんだけど、それとは別にこの「平面上に並べていく」感じが何かに似ていると思っていた。

思い至ったのは、プレゼン用のスライドを作る作業に似ているということだ。



PowerPointやKeynoteには「アウトライン」と呼ばれる機能がある。

最初にそれを見つけたときはすごく嬉しくなっちゃったけど(アウトライナーフリーク的に)、実際にはPowerPointやのKeynoteのアウトライン機能を本格的なアウトライン・プロセッシングに使うことは難しい。アウトライン上で折り畳み・展開できるのが第1階層だけだからだ。

たとえば第1階層から第3階層までを表示する(第3階層以下を隠す)ということができない。第2階層以下は、アウトライン表示上では隠すか表示するかという選択しかない(スライド上では、第1階層がスライドのタイトル、第2階層以下がスライド上の箇条書きとして表示される)。

もともとスライドの「配列」を決めるための機能だからなのだけど、いつもちょっと残念な気がする。

アウトラインとスライド表示の対応関係は今のままでいいから、アウトラインモード上だけでも各階層の折り畳み・入れ替えが自由にできたら(せめてWordのアウトラインモードと同じように動作してくれたら)、プレゼンの内容を「考える」ところから使えるのにな、と思う。

ついでに言えば、アウトライン上でWordの「本文」に該当する領域に書き込んだテキストをスライド表示上では発表者ノートとして表示してくれたりすると完璧(妄想)。



話を戻す。

階層化せずに「配列」だけをするという『Piece shake Love』での作業が、その横に動いていく感じが、スライドづくりに似てるなと思ったのだ。

断片から断片へのつなぎのフレーズは、スライド間のトランジションに似ているし、異なる断片での同じフレーズのリフレインは図表の再掲に似ている。

こういうのを考えるのはけっこう楽しいし、決して嫌いじゃない。

アウトラインの操作としては制約があってもどかしいのだが、結果的にその制約があったからこそ生まれた何かがある、と思う。


関連記事:
思考のアウトラインと語りのアウトライン
アウトラインと目次
『Piece shake Love』について
『Piece shake Love』について2(配列と創作と構造)

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成長すると良いでしょう [Diary]

「成長」について考えている。

ビジネスの成長とか経済成長とかアウトラインの成長(!)とかではなく、文字どおり人間として「成長」することについて。

(おそらく)過労とストレスで体調を崩したぼくに対して、Y先生は言った。

「人生には辛いことが多いです。それは当たり前のことですから、そのようなことの影響を受けないよう、より一層成長すると良いでしょう」

日本語が少し不思議な感じなのは、Y先生が台湾の人だからだ。

この歳になって、フツーの人にそんなことを言われてもふふんと思うだけだけど、Y先生は違う。こんな(ある意味陳腐でさえある)言葉を、これほどの説得力と重みを持って口にできる人は、そんなにはいない。

Y先生から見たら、ぼくなんか本当に未熟なのだろう。

だから、素直にその言葉を受け止めた。

それ以来、体調を回復するべく徐行運転しながら、「成長」について考えている。

「成長」するとは、どうなることなのだろう。

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自分の場所にあってひとり [Thoughts]

自分の場所(だと思える場所)があるというのは大事なことだ。

でも、オトナになったら自分の場所に他人を巻き込むべきではないし、他人の場所に巻き込まれるべきでもない、と思う。

あなたもわたしも、それぞれの自分の場所にあってひとりだ。

ひとりだからこそ、(※)でいられる。


=ふたり
=みんな
=なかま
=ともだち
etc.

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桜の森の満開のタクシー [Diary]

去年の今ごろ、父を病院に送り迎えするタクシーの中から、たくさんの桜を見た。
 
満開の桜について会話ができる。それだけのことにずいぶん救われた。

桜はもちろん公園にある。
それから学校、河川敷。
そして工場。

そう、工場の敷地には、意外なほど多くの桜が植えられているのだ。

実家は京浜工業地帯のど真ん中にある。たくさんの工場がある。そこに桜が咲くことを、この歳になるまでぼくは知らなかった。

「工場には、桜がたくさんある」

タクシーの中で、父がそのことを指摘した。

父からの最後の指摘だ。

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春のアウトライナー散歩 [アウトライナー]

春のいいところは「アウトライナー散歩」ができること。

夏は暑いし冬は寒いし秋はいつまでも蚊がいるから、アウトライナー散歩に最適なのはやっぱり春だ。

アウトライナー散歩といっても、特に難しいことは何もない。考え事をしながらぷらぷらと散歩して、公園のベンチにでも座ってアウトラインを作るだけ。

今日やらなければならないこと。
当面抱えている仕事のこと。
解決しなければならないあの問題のこと。
頭に引っかかっている懸案のこと。

場所の影響ってとても大きくて、陽の光や木の匂いや鳥の声や水の流れる音の中では、思考はいつもとは少し違うルートを流れる。いつもより少しだけポジティブに。あるいは少しだけディープに。

本当はどうしたいのか。
本当は何が欲しいのか。
本当はどっちに行きたいのか。
本当は何が重要なのか。

昔から、散歩しながら思いついたことを小さなノートに書き込んだりしていたけれど、いまは本物のアウトライナーをポケットに持ち歩くことができる。

しかも、コンビニやドトールで、安くてそこそこおいしいコーヒーをテイクアウトできるのだ。

( ˘ .˘ )~♪

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フリーライティングについてのフリーライティング(生)と成果 [Thoughts]

頭を使うな。体を動かせ。心を動かせ。指を動かせ。何をするべきかは体が知っている。だから体を動かせ。なぜなのか考えてはいけない。答えてくれという言葉は人には届かない。答えてほしくても誰も答えてはくれない。本当に答えがほしいときには誰も答えてくれない。そもそもそこには誰もいないはずだ。答えが欲しいときどうすればいいか考えろ。考えれば何か頭には浮かぶ。答えかどうかはわからないけれど。頭に何か浮かべば動くことができる。そこから何かが動き出す。動き出せば何かが変わる。変われば少なくとも今ある状態ではなくなる。それを求めているだろう。今ある状態ではなくなればどうなる。答えを探すことが必要だ。探すとどうなるということではない。探すその行為が重要だ。意図しなくても動いていれば何かが見つかる。今があるのはそうやって見つけてきたからだ。見つけようとして見つかったものがどれだけある。

成果:
見つけようとして見つかったものがどれだけある?

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思考のアウトラインと語りのアウトライン [アウトライナー]

自分も含めて、人はアウトライナーを使う(つまりアウトラインをつくる)ときに、ついつい「構造化」に向かいがちだ。

ここでいう「構造化」は、そんなに厳密な概念ではなくて、階層化しながら考えを整理すること、ぐらいの意味。

アウトライナーは確かに「構造化」を助けてくれる。でも、それが落とし穴になる場合がある。特にアウトライナーを使って作ろうとしているのが、リニアな(初めから終わりまで順番に流れていく線的な)語りである場合。

リニアな語りには「順序」がある。

文章であれば、どうはじまって、どう進んで、どう終わるか。そこには流れがあり、起伏がある。これが必ずしも考えを整理した結果としての「構造」とは一致しない。

だから、内容を自分で理解するために「構造化」することが必要だとしても、その「構造」に沿って語りを作ろうとすると行き詰まる。

プレゼンでしゃべる内容をアウトラインとして整理したのに、スライドに展開しようとしたらうまくいかない、というのもこれと同じ現象(アウトライナー使いの多くが経験してると思う)。プレゼンとはまさにリニアな語りだからだ。

思考の「構造」と語りの「構造」は違う。思考のアウトラインと語りのアウトラインは別にある、と言いかえてもいいかもしれない。それは場合によっては並行して存在し、場合によっては前者から後者へと変化する。

例えていうなら、考えを整理したアウトラインの「構造」を串刺しにして、つまみ出したパーツをリニアに配列したものが語りだ。



そしてこれは、「アウトライン=目次ではない」というあの話とも、たぶん微妙につながっている、気がする。

関連記事:
『Piece shake Love』について2(配列と創作と構造)

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