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太鼓と空腹 [Diary]

そんなわけで、学芸大学のライブハウス「アピア40」にて「冬のどどんが団」ライブ。

おなじみのメンバー(K2、はんまる、楽丸、ジミー)が抜けてしまったのは寂しいけど、残ったメンバーの演奏はすごくまとまってる感じがして(ときどき感じる、今にもバラバラになりそうな感じがなくて)、たぶん今までアピアで聴いた中ではいちばん良かったかも。

※ちなみに、今まで聴いた全ての演奏でいちばん良かったのは、もちろん初めて見た第12回コンサート。あれを録音しなかったことを、今でも悔やんでいる。

Tomo.さんも「今回は突出して引っ張ろうとする人がいなかった分まとまってた」という感想をもらしておられた。

まとまりが良かったといっても、誰も力をセーブなんかしてなくて、一日二回公演の一回目にこんなにやっちゃっていいの? と思ったけど、もちろん観客が心配することじゃない。リアルアンコールも一曲あったし。

いいね!

ライブが終わって外に出たら二人ともすごくお腹がすいたので、地元に帰って「つかさ」でとんかつを食べた。それから隣駅まで歩いてお茶を飲んでる。

太鼓のリズムがずっと体の中に残っていて、そのリズムに乗って体を揺らしながら自分のシゴトをする。自分もがんばらないとな。そんな風に素直に思えるのは、なかなか幸せなことだ。

ライブについて詳しくは、たぶんまた後日。

※ところで団長が、打頭ぜろこの欠点を「地味であること」と言ってたけど、職場でのぜろこは割に派手です。
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揺れる太鼓、跳ねる太鼓 [Diary]

先週のことになるけど、すごく久しぶりに「冬のどどんが団」の演奏を聴いた。春恒例「お花ミニコンサート」@南町田。

「冬のどどんが団」は、南町田を拠点に活動する和太鼓グループ。元々は同僚が属してるからという理由でコンサートに行ってすっかりファンになってしまい、私設ファンサイトを起ち上げたくらいなんだけど、よく考えてみると彼らに会うのはほぼ2年ぶりだ。

久しぶりのどどんが団は、おなじみのメンバーが何人か抜けていて、少し寂しい感じもしたけど、相変わらずとても魅力的な集団だった。

ちなみに今回は多摩美術大学和太鼓研究会「鑓水太鼓」とのコラボ。実はこの両団体は、団長のほしのあきらさんを共有してるのだ。両団体とも主にほしのあきらさんのオリジナル曲を演奏し、メソッドもたぶん同じ。そして偶然か必然かメンバーに女性が多い。だからよく似ている。そして、似ているからこそ余計に違いが目立って面白かった。

若くて(全員大学生だからね)音も動きも衣装も粒の揃った鑓水太鼓。
年齢も衣装も動きもおかしいほどバラバラのどどんが団。

はじけるような鋭い音の鑓水太鼓。
音に丸みがあって、その分重たいどどんが団。

跳ねるタテノリの鑓水太鼓。
ヨコに揺れてスイングするどどんが団。

個人的な印象としては、鑓水太鼓の方がより和太鼓っぽく、冬のどどんが団は「たまたま楽器に和太鼓を用いている国籍不明打楽器グループ」みたいな感じがする。

どっちもとても魅力的だけど(鑓水太鼓の方も、一度演奏会に行ってみたい)、やっぱり個人的に惹かれるのはどどんが団の方だ。

それは善し悪しじゃなく、なんだろう。あのバラバラな人たちが生み出すバラバラな音が、1つの曲になるあの感じそのものの魅力だ。

いちこさんの、あくまでも真っ直ぐな立ち姿と真っ直ぐな音とか。
マンナカさんの、手首のスナップの効いた軽やかさと、上半身をねじこむような力の入れ方の対照とか。
銀次さんの、気が優しすぎて力持ち!な音とか。
打頭・ぜろこ(敬称略)の、「この辺までかな」と思った後から、これでもかっていうくらい「行こうとする」感じとか。
そしてもちろん団長・ほしのあきらさんの和太鼓とは思えない音の作り方とか。

たぶんそういうのって、単にメソッドやテクニックだけの問題じゃなく、それぞれの生き方とか、生きてきた時間とか、迷いとか決意とか、つまりその人そのものなのだ。そんなあれこれが合わさってつくり出す、他では再現できない何か。それが冬のどどんが団の最大の魅力だ。メンバーは変わっても、そこだけは変わらない。

そういえば、鑓水太鼓とどどんが団を掛け持ちしている女の子がいたんだけど(名前がわからない)、彼女は鑓水太鼓の方で叩くと鑓水太鼓っぽいのに、どどんが団の方で叩くとちゃんとどどんが団ぽい演奏になる。集団て不思議。



明日になりますが、4月14日(日)、学芸大学駅そばのライブハウス「アピア40」で、冬のどどんが団のライブがあります。14時からと18時からの2回公演。興味のある方はぜひ。学芸大学に翻る「南町田」の旗がステキだよ。
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アウトライナーについてクリアに説明する(断片) [アウトライナー]

ある目的で、アウトライナーとは何か、クリアに説明する文書を作成中。でもこれが簡単そうで難しいんだ。ワイナーによるLittle OutlinerのHowtoはとても参考になったけど。

以下はその出だしの部分。
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アウトライナーとは「文書の構造を理解するテキストエディタ」だ。

通常のエディタやワープロが、はじめから終わりまで順に流れるように文書を扱うのに対して、アウトライナーは文書の構造を扱う。文書の構造とは、わかりやすくいうと見出しと本文の関係だ。あるいは章、節、項と本文の関係だ。

この構造を「アウトライン」という。アウトラインはもともと欧米の作文教育の中で、文章を書く前に構成を検討する方法として教えられていたもので、日本でも学術論文やレポートなどの書き方として紹介されてきた。

アウトライナーは文書をアウトラインの形式で扱う。アウトラインの表示レベルを切り替えることで、文書の概要から詳細なテキストまで自由に行き来しながら編集することで、極めて効率よく文書を扱うことができる。

アウトライナーを使うことにより、文章を書くことはもちろん、「考えること」全般を効率的に行うことができる。
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2割減らすよりもゼロにする方が簡単だった [Diary]

一週間の間に職場のプリンターを一度しか使わないという、画期的な偉業(当社比)を達成。プリントアウトした総枚数、1枚。それも、ハンコ押して総務に提出しなきゃならない社内申請書。後はいっさい無し。

自宅ではもうずいぶん前から年賀状以外いっさいプリンターを使ってないけど、職場では今どき毎日大量の紙を出力し、結果として膨大な量の紙を机に積み上げる生活が続いていた(そしてしばしば雪崩を起こして同僚から白い目でみられていた)。

その有様に心の底からウンザリしたので、三週間ほど前から紙を一切使わないことに決めた(ぼくはどうも極端から極端に振れる傾向がある)。

クライアントでの会議や報告会のときも、特に指示がないかぎり紙の資料は持たないことにした。今までだって実際にはプロジェクターを使うことの方が多かったし、ハンドアウト用のペーパーと言いながら余って持ち帰る量の方が多く、つまりは心理的バックアップの意味合いが大きかったわけだから。

今のところまだ誰にも怒られてない。「もしPCが起動しなかったらどうしよう」的恐怖感もだいぶやわらいできた。

1回だけ、プロジェクターに映した資料が小さすぎて自分でもよく見えず、しかもPCの操作は同僚がやっていたのでそれもよく見えず、自分史上指折りのダメな会議になったけど、それは慣れと運用の問題、ということにして。

それ以外には、出力して(紙詰まって)、出力して(紙切れて)、そろえて(指切って)、綴じて(指切って)、抜けがないかチェックして(終わった頃に修正が入って)という手間もないし、荷物も軽いし、自分だけで月平均2万円以上かかっていた印刷コストもなくなるし、良いことずくめ。

おそらく本当に紙が必要なのって、
A アイデア出しをしたりメモを取ったりするとき
B 真剣に校正するとき
C テキストベースの長文を再構成するとき
くらいじゃないかと思う。

このうちAはペンとノートを使えばいい。Bは今のところ紙と赤ペンとポストイットが必要。Cは自分の仕事ではまず発生しない(発生しても、構造的な文書であれば、アウトライナーで再構成できる。文章がずっと流れていくタイプの長文を再構成するには、どこかで紙を使う必要がある)。



何よりも、紙の山のない机 、紙の入ってない鞄は気持ちがいい。贅肉落ちたみたい。気持ちいいことは正しいことだ。そしてもちろん、資源の節約になる。

不思議なことに、「なるべく紙を減らそう」とはこれまでもずっと思っていたということ。でも紙を半分どころか8割に減らすことさえ不可能に思えた。

「ゼロ」にする方がずっと簡単だった。これって、いろんなことに当てはまるような気がする。
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