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ただ「決める」しかないことの根拠(ループ) [Thoughts]

誰も教えてくれず、考えてもわからず、話し合っても結論は出ないというものごとがある(たくさんある)。それはただ「決める」しかないことなのだ。

でも、ただ「決める」ことの背景には、
関わった人とか
読んだ本とか
感じたこととか
愛とか
分からなくても考えてきたこととか
間違ってきたこととか
切り捨てたこととか
じたばたしながらなんとか生きてきたこととか
そういうものの蓄積がある。
ああ、それから自分の「意思」が。

根拠はちゃんとある。
言葉で説明できないだけだ。

その種のことを誰かに「決めてもらう」ことを繰り返していると、きっと後悔する。後悔しないとしても、そうと知らずに少しずつ不幸になる。
そのことを忘れないようにしよう。

それでもなお、「決めた」ことが正しいかどうかはわからない。誰も教えてくれない。考えてもわからない。話し合っても結論は出ない。

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春のリスト [Thoughts]

理由を問わず
説明しようとせず
証明しようとせず
心配せず
答えを探さず
勝とうとせず
損得を考えず
懐かしまず
好かれようとせず
謝ろうとせず
わかってもらおうとせず
ひとりで
しずかに
注意ぶかく
確実に

→ 結果的に →

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フリーライティングからある基準で抜粋した何か [Thoughts]

選べばひとつは手に入る(もしかすると)。
選ばなければひとつも手に入らない(確実に)。
選んでも選ばなくても人は老いる。
そして選ぶことは捨てることだ。



もうワクワクするという理由だけで何かを始めることは困難だ。
だからと言ってこれから何も始めずに生きていくという意味ではない。
始めるということは選択するということであり、捨てるということだ。
そして捨てることにはいろんな形がある。
見た目は変わらなくても、
そのことを強く意識するようになった自分とそれ以前の自分は違う。



不向きなことはしない姿勢と
新しい何かを求める姿勢は
見た目ほど矛盾していない。
新しい挑戦を避けるということではないし、
苦手なことを避けるということでもない。



はじめて曲がってみた川沿いの道は、
想像していたよりずっと気持のちのいい道だっただけでなく、
ずっと行ってみたいと思っていた
(けれどもどこにあるのかわからなかった)
お店は実はその道沿いにあった。



知り合いの名言「おれは坂道があったら下る」
そこに同居しているある種の意思と姿勢。

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弱さと口笛 [Thoughts]

Aさんに対して精一杯誠実であろうとした結果として「傷つけられた」とAさんに言われたとき、どのように振る舞い得るか。



ところでその誠実さは本当に誠実さだろうか。



大切な人Aと大切な人Bが憎み合っている場合、どのように振る舞い得るか。



その場にいないCついて何の気なしに話題にしたところ、いつの間にかCの悪口大会になってしまった場合、どのように振る舞い得るか。



(容易に予想される通り)そのことがCの知るところとなったとき、どのように振る舞い得るか。



露見した自分の弱さを大切な人に受け入れてもらえなかったとき、どのように振る舞い得るか。



これらの問いはまるで青年期のそれだが、では年齢を重ねた人でこれらに正面から向き合い消化してきたという人はどのくらいいるだろうか。



( ˘_˘ )



自分と他人の弱さに正面から向き合っている人がどのくらいいるだろうか。



それは可能なことなのだろうか。



(人生はオープンエンド)



( ˘ .˘ )~♪

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人生の初心者 [Thoughts]

当たり前のことだけど、人生の中で人はいつまでたっても初心者だ。

どれほど大人になっても、あるいは経験を積んでも、たとえば47歳の自分を体験することは初めてだからだ。

文字どおりの意味で、なんの誇張もなく、人生を前にすれば人は常にそして永遠に初心者だ。

読んだことのない本は無数にある。
読んだことがある本を読んだ自分は今の自分と別の自分だ。
勉強するほど知らないことが増えてくる。
積んだ場数は狭い世界だ。
はじめて書く文章は書いたことがない。
はじめて会う人とは会ったことがない。
知っているあの人は自分の目を通したあの人にすぎない。
(わたし)は(あなた)を知らない。

初心者であり続けられるというのは、素晴らしいことのはずだ。少なくとも「自分は既に多くを知っている」と思っている人より幸福なはずだ、と思う。

それでも、初心者であることの怖さは年々増してくる。

なぜだろう。
やり直す時間が減ってくるからだろうか。

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希望(みたいなもの) [Thoughts]

あなたは、わたしの知らないことを知っている。
そのうちのあるものを、わたしは永久に知り得ない。

わたしは、あなたの知らないことを知っている。
そのうちのあるものを、あなたは永久に知り得ない。

わたしもあなたも知らないことを知っている人がいる。
そのうちのあるものを、わたしもあなたも永久に知り得ない。



わたしたちはいつか出会うかもしれない。
知り得ることと出会うことは、あまり関係がないとしても。

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無駄と枯渇 [Thoughts]

フリーライティングから始まるライティングでは、アウトプットした多くの内容を捨てることになる。

フリーライティングは、その結果の大半を捨てる前提での行為だ。これを「無駄」「非効率」と捉えることはとても正しいと思う。

その意味ではきわめて今日的ではない行為だという気がする。

でも、効率性を無視してフリーライティングを続けていると、自分の中にたくさんの未発見の何かが存在することが見えてくる。

フリーライティングはアウトプットのようでいながら、感覚としてはインプットでもある。

その無駄と非効率がなければ、たぶん(わたしの)人生は枯渇する。



ここでフリーライティングと言っているのは、例です。

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再確認、安心感、ゆるやかな共感と連帯 [Thoughts]

実務的なことや技術的な知識は別にして、結婚とか恋愛とかついて他人の意見やアドバイスが直接的に「役に立った」ことは一度としてない、と思う。

せいぜい反面教師も含めた広い意味で「参考になることもなくはない」という程度。

それは、自分(たち)で考えて自分(たち)で選択しなければならないことだ。

たとえ他人の意見やアドバイスと結果的に同じ選択をするとしても、それは自分(たち)で考えて自分(たち)で選択した結果でなければ意味がないし、有効でもない。



それでも、実際に自分(たち)で考えて自分(たち)で選択している人たち、少なくともそうしようという意思を持っている人たちの話を聞くことには、とても価値がある。

たとえその人(たち)のやり方が、自分(たち)のそれとは明白に異なるものだったとしても、価値があるという点は変わらない。

それは、参考になるかどうかとか、その人(たち)の選択が最終的にうまくいくかどうかとか、そういうこととは違うレベルの問題だ。

そこには、物ごとのあり方はみんな違うしそこに正解などないという、当たり前すぎることについての再確認がある。

正解のないことを考え続けている人(たち)がいるという、安心感がある。

そしてゆるやかな共感と連帯。



考えてみれば、結婚や恋愛に限らず生き方に関わる全てについて同じことが言えるんだけど、結婚や恋愛について特別強くこのことを感じるのだよね。

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知らない間にまたいだ何かのライン [Thoughts]

20分の半身浴が苦痛でない
かつて普遍的だと思っていたものごとは一時的な事象にすぎなかった
現在進行形の何かは昔でいう○○に相当する
若い人の熱い言葉を黙って聴く
本当に下心がない
年上のプロスポーツ選手がプロレスにしかいない
あの人も怖くて不安で孤独なのだ
直接手で触れて感じた温かみの記憶だけは
強く見えることと強いことは関係ない
心から尊敬できる年下の人がいること
しょうが焼きよりがんもどき

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大きな声で始まり口笛で終わる [Thoughts]

たとえば仕事の場に大きな声で話をする人がいて、常に声をかけられ、常に電話が鳴り、常に呼び出され、常に思考が中断されることが、切実に苦手。

自分が中断されることだけではなく、他人が中断されてるのを目にすることすら苦手。

だからそういう場所にはなるべくいたくない。避難する。



人と共同で仕事をするものの態度として、わがままで自分勝手である(と言われた)。
そういう場所でこそコラボレーションが生まれるのだ(と言われた)。



どちらがわがままか答えよ。

A)頭に浮かんだことをすぐ大きな声で口に出し、それに対して他人の反応があって当然のように振る舞う態度。

B)すぐにひとりで会議室やミーティングスペースにこもろうとする態度。



(-_-)



たとえばホワイトボードを前にああでもないこうでもないと方針を検討する。意見ははっきり言う方だし、議論も嫌いじゃない。楽しいとさえ思う。

でも、そうしていざ結論が出た何かを自分の中で消化するためには、一度ひとりで形にしてみないとならない(アウトラインとか作ってみたりして)。

形にしてみる。
全然ダメだと思う。
壊す。
また形にしてみる。
あんまりよくない。
壊す。
また形にしてみる。
少し良い。
壊す。
さらに形にしてみる。
だいぶ良い。

そうして少しずつわかってくる。

気がつくと、議論して出した結論とはまったく違う方向性への確信が生まれている。



「人と仕事をすること」が極度に苦手ということに、コンプレックスがないと言えば嘘になる。



最初から最後まで、息を殺してひとりで隠れるようにして仕事をする。ある仕事をそんなふうにしてやった。

でも、その仕事ができあがるまでのプロセスで、どれだけの(意図しない)コラボレーションが起こったか、関わった人はみんな知っている。それは仕事の中に有形無形に反映されている。

そして、その仕事がカバーできなかったり足りなかったりした部分が、別の誰かの仕事によって埋められる。あるいは、同じジャンルで思ってもみないような別の何かを生み出す人がいる。

ちゃんと「人と仕事をしている」のだ、と思う。



「これはポジティブな話ですよね?」
「もちろんです」



( ˘ .˘ )~♪

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