酸素がうすい [Diary]
昼間、ちょっとした仕事上の用事があって神田まで出かけたついでに、神田駅前の文教堂書店にふらっと入っただけで、まるで酸素を吸ったみたいに元気になる。
以前は職場の近くにそこそこ大きな本屋があったんだけど、一年前に閉店。それ以来、平日に本屋に入るということがまずできなくなった。一日一回は本屋に入らないと息が詰まってくる体質としては、これはかなりつらい。
お昼を食べに出たついでとか、ちょっと早めに退社して帰る途中とか、打ち合わせの帰りとか、そういうちょっとした時間に入れる本屋がない街は、酸素が少しうすい。
以前は職場の近くにそこそこ大きな本屋があったんだけど、一年前に閉店。それ以来、平日に本屋に入るということがまずできなくなった。一日一回は本屋に入らないと息が詰まってくる体質としては、これはかなりつらい。
お昼を食べに出たついでとか、ちょっと早めに退社して帰る途中とか、打ち合わせの帰りとか、そういうちょっとした時間に入れる本屋がない街は、酸素が少しうすい。
本日の引用 [Diary]
「ベルリンの壁が崩壊して、確かに世界の行き来が自由になった。しかし、人間は肉体と心のアクセスの方法の前に僅か0.03ミリや0.05ミリの壁の出現で本当の意味で一つになれない苦悩を背負うことになるのです。」(辻仁成)
タグ:引用
パワポ嫌いですか? [アウトライナー]
いや、別にパワーポイントが嫌いなわけじゃない。年賀状は毎年パワポでつくるし(笑)。
でも、パワーポイントは、あくまでもプレゼンテーション用のスライドを作るためのソフトです。今、話している内容のポイントを、ビジュアルに見せるためのソフトです。そのためにはよくできていると思う(Keynoteの方が良くできているとは思うけど)。
そのかわり、ストーリーを持った長大なレポートとか、逆に1枚、2枚の会議用資料をつくるには、本来まったく向いていない。向いてない用途に無理に使おうとするから、結局みんなのやっていることは、紙に紙面のイメージを下書きしてから、パソコンで清書するということです。それって、なんだか時代が20年くらい逆戻りしているような気がする。
改めて思うんですが、ぼくが始めてパソコンに触れた80年代末〜90年代初めは、いわゆる個人の文系的作業(好きな言葉じゃないけど、知的生産ってやつ)に限っていえば、いちばんパソコンが高度に使われていた時代だったのかもしれないと思う。
WEBもクラウドもウィキペディアもYouTubeも無かったけれど、ホワイトカラーの中心的な仕事=広義の文書作成については、実際に今よりもはるかに高度なことが行われていたような気がする。
アウトライナーももちろんそうだし、一太郎なんかも「ビジョン機能」なんていう、テキスト分析のための機能を持っていた。MS-DOSには、UNIXから各種のテキスト処理ツールが移植されていて、その使い方が一般読者を対象とした書籍に紹介されていたりした(たとえば、安田幸弘著 『ワープロ・パソコンで「書く」技術―「快適・スマート・ラクチン・かしこい」ワードプロセッシング入門 』 日本実業出版社 、1991年など)。
当時からは考えられないくらいパソコンは普及したけど、使われ方はむしろ退化している。日本での、アウトライナーに関する最も初期の論客のひとりである奥出直人さんが、以前「季刊・本とコンピューター」に同じようなことを書いていました。
その後、GUIとデスクトップ・メタファーが、思考の道具としてのパソコンの進化を止めてしまった、と奥出さんは続けます。そして、当時普及し始めていたLinuxが、その流れを変えるきっかけになるのではないかと期待する。
でも、それからまた10年たって、ブロードバンドの普及とか、Googleやブログの登場といった進化もあったけど、ホワイトカラーの仕事の環境という面では、残念ながらそんなに変わっていないと思う。そして、その象徴がパワポのような気がするだけです。
でも、パワーポイントは、あくまでもプレゼンテーション用のスライドを作るためのソフトです。今、話している内容のポイントを、ビジュアルに見せるためのソフトです。そのためにはよくできていると思う(Keynoteの方が良くできているとは思うけど)。
そのかわり、ストーリーを持った長大なレポートとか、逆に1枚、2枚の会議用資料をつくるには、本来まったく向いていない。向いてない用途に無理に使おうとするから、結局みんなのやっていることは、紙に紙面のイメージを下書きしてから、パソコンで清書するということです。それって、なんだか時代が20年くらい逆戻りしているような気がする。
改めて思うんですが、ぼくが始めてパソコンに触れた80年代末〜90年代初めは、いわゆる個人の文系的作業(好きな言葉じゃないけど、知的生産ってやつ)に限っていえば、いちばんパソコンが高度に使われていた時代だったのかもしれないと思う。
WEBもクラウドもウィキペディアもYouTubeも無かったけれど、ホワイトカラーの中心的な仕事=広義の文書作成については、実際に今よりもはるかに高度なことが行われていたような気がする。
アウトライナーももちろんそうだし、一太郎なんかも「ビジョン機能」なんていう、テキスト分析のための機能を持っていた。MS-DOSには、UNIXから各種のテキスト処理ツールが移植されていて、その使い方が一般読者を対象とした書籍に紹介されていたりした(たとえば、安田幸弘著 『ワープロ・パソコンで「書く」技術―「快適・スマート・ラクチン・かしこい」ワードプロセッシング入門 』 日本実業出版社 、1991年など)。
当時からは考えられないくらいパソコンは普及したけど、使われ方はむしろ退化している。日本での、アウトライナーに関する最も初期の論客のひとりである奥出直人さんが、以前「季刊・本とコンピューター」に同じようなことを書いていました。
まだMacintoshやWindowsのようなGUI(Grafical User Interface)のパソコンが普及していなかった、十五年ほど前の話だ。当時もいまも、コンピュータを利用した知的生産活動において、もっとも成果が出ているのはテキスト処理の分野である。その頃主流であったキャラクターベースのオペレーティング・システムであるMS-DOSのもとで、「一太郎」や「VZエディター」をつかって文書処理をしたり、パソコン通信にアクセスしてコミュニケーションが可能になったときの感覚こそが、思考の道具としてのコンピュータの真骨頂だったのではないだろうか。奥出直人「コンピュータは本当に思考の道具か」
(「季刊・本とコンピュータ」1999年冬号)
その後、GUIとデスクトップ・メタファーが、思考の道具としてのパソコンの進化を止めてしまった、と奥出さんは続けます。そして、当時普及し始めていたLinuxが、その流れを変えるきっかけになるのではないかと期待する。
でも、それからまた10年たって、ブロードバンドの普及とか、Googleやブログの登場といった進化もあったけど、ホワイトカラーの仕事の環境という面では、残念ながらそんなに変わっていないと思う。そして、その象徴がパワポのような気がするだけです。
タグ:アウトライナー
ストーリー [Thoughts]
ときどき、〈ストーリー〉に飲み込まれるような気がすることがあります。
集団の力学の中で、人の行動を読み、その意味を考え、根回しをし、裏と表を使い分け、情報をコントロールし、結果的に他人を操作する。仕事を動かすということは、ある意味では人を動かすことだから、高度な仕事には、多かれ少なかれそういう要素がつきまとう。
ここでいう〈ストーリー〉とは、そういう意志と能力のあるところに(それは個人であったり組織であったりします)その過程で作り出される、何だか得体の知れない感情と行動の流れのようなもののことです。
でも、他人の〈ストーリー〉に飲み込まれるというのは、あまり気持ちのいいことじゃない。そして、人を操作することがどれほど有効に見えたとしても、ぼくは正面からぶつかるタイプの人間が好きです。もちろん、〈ストーリー〉に正面からぶつかったところで粉砕されるだけだから、そうならない方法を考えなければならない。
結局自分が大人になってからずっとやろうとしてきたことって、「正面からぶつかっても玉砕しない方法を考える」ことなのかもしれない。
もしあなたが〈ストーリー〉に飲み込まれそうになっているなら、たとえばその人の言っていることをメモして、アウトライナーに取り込んでみよう。〈ストーリー〉の流れをつかみ、見通し、理解し、把握することを助けてくれます。
〈ストーリー〉にひねりつぶされないための最低限の方法は、把握することです。
「あなたが正面からぶつかるタイプで、彼の言っていることを大げさだと思うなら、あなたはおめでたい」(正体不明)
集団の力学の中で、人の行動を読み、その意味を考え、根回しをし、裏と表を使い分け、情報をコントロールし、結果的に他人を操作する。仕事を動かすということは、ある意味では人を動かすことだから、高度な仕事には、多かれ少なかれそういう要素がつきまとう。
ここでいう〈ストーリー〉とは、そういう意志と能力のあるところに(それは個人であったり組織であったりします)その過程で作り出される、何だか得体の知れない感情と行動の流れのようなもののことです。
でも、他人の〈ストーリー〉に飲み込まれるというのは、あまり気持ちのいいことじゃない。そして、人を操作することがどれほど有効に見えたとしても、ぼくは正面からぶつかるタイプの人間が好きです。もちろん、〈ストーリー〉に正面からぶつかったところで粉砕されるだけだから、そうならない方法を考えなければならない。
結局自分が大人になってからずっとやろうとしてきたことって、「正面からぶつかっても玉砕しない方法を考える」ことなのかもしれない。
もしあなたが〈ストーリー〉に飲み込まれそうになっているなら、たとえばその人の言っていることをメモして、アウトライナーに取り込んでみよう。〈ストーリー〉の流れをつかみ、見通し、理解し、把握することを助けてくれます。
〈ストーリー〉にひねりつぶされないための最低限の方法は、把握することです。
「あなたが正面からぶつかるタイプで、彼の言っていることを大げさだと思うなら、あなたはおめでたい」(正体不明)
パワーポイントという名の病 [アウトライナー]
クライアントから、会議の議事録を作ってほしいと頼まれました。
それ自体は大したことじゃないけど、ちゃんとした議事録を作るのって、けっこう面倒なものです。それで、普段職場ではあんまりやらないけど、ワードのアウトライナーを使いました。
方法はRenji Talkに書いた「ヒアリング結果を報告書にする」方法を単純化して応用。
全体の作業時間は1時間もかからない。とても楽で早くて、何のストレスもない。でも、よくある形ばかりの議事録にはない、生きた議事録になります。
もちろんそれだけじゃなくて、アウトライナーを使って資料をつくることのメリットは(このブログやRenji Talk本館を読んでいただいてる方はご存知の通り)たくさんあります。
で、その議事録をクライアントに送ったら「内容は、完璧です(笑)」という言葉とともにパワーポイントに書き換えられて送り返されてきました。内容は完璧だけど、ワードだったからダメってことね(やっぱり)。
ワードのアウトライン形式のままだったら、次の会議の議事録を後ろに追加していくことも簡単にできるし、アウトラインを折りたたんで、何回も続く会議での、一連の議論の流れの記録まで、一目で見渡すこともできたんだけどね(「アウトラインを折りたたむ」ことの威力は、想像以上のものです)。
パワーポイントにした瞬間に、紙で配るか、壁に映すかしか使い道がなくなってしまう。そして、せっかくみんなが使えるようになっている、コンピューターの恩恵を、大幅に減らしてしまう。それって、長い目でみると、労力と精神力と時間の大きな無駄だと思う。
そういう無駄の蓄積が、人を壊すこともある。個人的に、これを「パワーポイントという名の病」と呼ぶことに勝手に決めました。
関連記事:
「アウトライナーで幸せになろう」
「アウトライナーとしてのWord」(Renji Talk本館)
※いつも「ワード」と表記するべきか「Word」にするべきか、悩みます。ワードはどっちでもいいような気がするけど、「PowerPoint」という表記は、なんかしっくりきません。
それ自体は大したことじゃないけど、ちゃんとした議事録を作るのって、けっこう面倒なものです。それで、普段職場ではあんまりやらないけど、ワードのアウトライナーを使いました。
方法はRenji Talkに書いた「ヒアリング結果を報告書にする」方法を単純化して応用。
- ワードのアウトラインモードを使って、
- 何も考えずに会議中のメモを片っ端から打ち込み、
- 見出しをつけ、
- 会議のアジェンダ順に内容に分類して
- 文章を整える。
- だいたいできたら会議に参加していたメンバーに見せて、
- 抜けや漏れを指摘してもらい、それも追加。
- ついでにちょっとしたコメントも加えて、
- 完成。
全体の作業時間は1時間もかからない。とても楽で早くて、何のストレスもない。でも、よくある形ばかりの議事録にはない、生きた議事録になります。
もちろんそれだけじゃなくて、アウトライナーを使って資料をつくることのメリットは(このブログやRenji Talk本館を読んでいただいてる方はご存知の通り)たくさんあります。
で、その議事録をクライアントに送ったら「内容は、完璧です(笑)」という言葉とともにパワーポイントに書き換えられて送り返されてきました。内容は完璧だけど、ワードだったからダメってことね(やっぱり)。
ワードのアウトライン形式のままだったら、次の会議の議事録を後ろに追加していくことも簡単にできるし、アウトラインを折りたたんで、何回も続く会議での、一連の議論の流れの記録まで、一目で見渡すこともできたんだけどね(「アウトラインを折りたたむ」ことの威力は、想像以上のものです)。
パワーポイントにした瞬間に、紙で配るか、壁に映すかしか使い道がなくなってしまう。そして、せっかくみんなが使えるようになっている、コンピューターの恩恵を、大幅に減らしてしまう。それって、長い目でみると、労力と精神力と時間の大きな無駄だと思う。
そういう無駄の蓄積が、人を壊すこともある。個人的に、これを「パワーポイントという名の病」と呼ぶことに勝手に決めました。
関連記事:
「アウトライナーで幸せになろう」
「アウトライナーとしてのWord」(Renji Talk本館)
※いつも「ワード」と表記するべきか「Word」にするべきか、悩みます。ワードはどっちでもいいような気がするけど、「PowerPoint」という表記は、なんかしっくりきません。