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太鼓中毒 [Diary]

太鼓を叩いていると、たとえ本人が意識しなくても、その人がむき出しになってこっちに伝わってくる。その人がどんな人なのか、今どんな状態なのか。

このむき出し加減は、本人にとってある場合にはけっこうしんどいことだと思うのだが、一方で一種の中毒性があるんじゃないかと思う。一度その感覚を知ってしまうと、やめられなくなるような。

「森のももんが団(仮名)」で長い間太鼓を叩き続けている人を見ていると、そんな気がする。Tomo.さんも同じことを言っていたので、たぶん自分だけの感覚ではない。

どんな楽器にもそういうところはあると思うけど、打楽器というのは特にそうなのかもしれない。


ところで、Googleで「森のももんが団」を検索すると、ちゃんと仮名ではない正しい名前がヒットする。Googleって、すごい。


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いさぎよい看板 [Diary]

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こういうの好き。
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ワイナー、エンゲルバート、アウトライン [アウトライナー]

Renji Talkのアウトライナーのページに、ワイナーの二つの記事の日本語訳をアップしました。
エンゲルバートとの食事」(2000年9月24日)
OPML1.0」(2000年10月6日)

古い記事なので実用的な情報は何もありませんが、昨日書いた通り、ワイナーとエンゲルバートという二人の「アウトライナーの元祖」との関係(そして面会)の様子を、ワイナーの側から見ることができます。

「OPML1.0」の方では、ワイナーが当時描いていた壮大な「インターネット・アウトライナー」のビジョンがかいま見えます。
HTMLによるウェブと同じように、そこでキーとなるコンセプトはリンクだ。しかし、表示は違う。アウトラインの「ノード」から他のアウトラインへとリンクするとき、リンク元の文書とリンク先の文書の境界は目に見えない。読者がリンクをダブルクリック。すると一瞬の間を置いた後、リンク先のアウトラインがインターネットを通じてロードされ、まるで元のアウトラインの一部であるかのように、その場で展開する。HTMLによって作られたベージにおけるリンクが、あなたを別の文脈へと移動させるように、我々のそれもあなたを別の場所に移動させる。ただし、HTMLによるウェブとは異なり、そこには連続性があるのだ。
デイブ・ワイナー「OPML1.0」

このコンセプトは、アウトライナー好きにとってはかなり衝撃的です。インターネットを介して、自分のアウトラインと他人のアウトラインを接続してしまおう、そしてあたかも一本の巨大なアウトラインのように表示しよう、というのです。アウトライナーの用法としては、多分他の誰も思いついたことのないものだと思います。その後も形を変えて繰り返しワイナーの文書の中に登場するので、また別に紹介したいと思っています(いや、こんなことに興奮するのはぼくだけか?)。

ちなみにOPMLとは、Outline Processor Markup Language=アウトライン・プロセッサー・マークアップ言語の略で、文書のアウトライン構造の情報を交換するためのXMLベースの規格です。ワイナーが中心になって、opml.orgによって策定されました。今は主にマックのアウトライナーでサポートされている他は、むしろRSSリーダーのために利用されているOPMLですが、本来はインターネット・アウトライナーを実現するための規格だったのだ、ということがわかります。現在は2.0に向けた作業が進んでいるようです。OPMLについてはhttp://www.opml.org/を参照してください。
※このあたりはぼくも実はよくわかってないので、勉強中です。

あと、Renji Talkトップページの目次では、これまでアップしてきたアウトライナー関連の翻訳文書は、原著者や話題とは関係なく、全て時系列(原文発表順)に並べ替えました(今となっては実用目的には役に立たない古い記事が多いので、逆に時代順の位置づけが見える形にしました)。

ワーキングリスト [アウトライナー]

アウトライナー関連で今やっているいくつかのことを、忘れないように書いときます(次の週末が来るまでに何やってたか忘れちゃうもんで)。

1)まず、アウトライナー関連の新しい訳を何点か。
ダグラス・エンゲルバートとの面会について、2000年にワイナー自身が書いた文章をいくつか抜粋すると思います。

ワイナーは一般的にアウトライナーの生みの親と言われ、ぼくもそのように書いてきましたが、実はその二十年も前に、コンピューター上でアウトライン操作を行うという概念を発明したのがダグラス・エンゲルバート。

ただし、エンゲルバートのアウトライナーは、NLSという巨大かつ実験的なシステムの一部であり、とても個人の手に触れられるようなものではなく、初めて一般人の手に入るアウトライナーを作ったワイナーが、アウトライナーの元祖と目されるようになります。

NLSはアウトライナーだけでなく、ハイパーテキスト、マウスなど今日のパソコンの持つ要素を、1968年の時点で実現していたというもので、そのデモは伝説化しているものの、あまりにも時代を追い越しすぎていたために、彼は長い間正しく評価されてきませんでした(エンゲルバートがいちばん有名なのは、たぶんマウスの発明者としてです)。

Renji Talkに書いた「最初のアウトライナー」の中で、ワイナーがアウトライナーを作ったとき、どの程度エンゲルバートを知っていたのかわからないと書いたんですが、その後ワイナー自身がエンゲルバートとについて言及していた記事を見つけたわけです。ちなみにワイナーは2000年にエンゲルバートと面会しています。

2)アウトライナー有害論争のまとめ。
前に、ワイナーやローゼンバーグをはじめとする、アメリカのブロガーの間で行われたアウトライナーに関する論争を、時系列に並べて訳しましたが(多くはないけどコンスタントにアクセスがあるのは、けっこううれしい誤算)、これはけっこう大事なことだと思うので、自分で一度きちんと整理したい。

3)これまでの訳文の修正。
これは先の二つと平行して。もともと早くアップすることを優先していたので、日本語としてこなれてないところが多いのです。これは、数日前からじわじわとやっています。
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シンクロ [Diary]

和太鼓グループ「森のももんが団(仮名)」初の有料コンサート。

彼らの演奏を見るのは、大小あわせて4回目。いつもは小さいながらもホールでみてるんで、ライブハウスはすごく狭く感じました。ライブハウスとしては、決して小さい方じゃないと思うんだけどね。

今まで見た中ではいちばん狭い空間で、ステージの広さに対して人数が多すぎて、動きづらそう。客席も近いし、同僚Z子は見るからに緊張していた。なんだかこっちまで身内のように緊張したんですが、なんなんでしょうか、この感覚(笑)。

でもとても良いライブでした。1500円で買えるものとしては、なかなかの素敵さではないかと。いつも寸前で行けなくなってしまうことが多かったTomo.さんは、今回が初体験でしたが、とても良かったと言ってました。

こっちは4回目ともなるとメンバーも曲も覚えてくるし、「あの子うまくなったなあ」とか「おお、彼女は今日は気合いが入ってる」とか「あれ、今日はちょっと調子が悪いかな?」とか、いろいろと視点も変わってきます。

でも、それはそれとして、彼らの演奏をきいていると、不思議なほどいろんなことが伝わってきます。いいことも悪いことも、生々しいくらい。もちろん、そういう気がするだけなんだけど、でもたぶんそんなに間違ってはいないはずなんです。4回目になっても、その「異常に伝わってくる」ところだけは変わらない。たぶん、それがライブということなんだけど、彼らは特別そうなんです。

それは、以前も書いたけど「プロではないけど遊びでもない、でも本気」という姿勢からくる「不均質さ」がいちばんの理由かもしれない。

プロでないのにこれだけ叩いてるということはそれだけ練習してるはずであり、つまり太鼓が好きなはずであり、でも後ろには太鼓とは関係のないもろもろの現実があり、そういったものが混じり合った個々人の浮き沈みがあって、その中での今日というタイミングがある。

その結果として、「開こうとしてるのに開ききれない」ように見える人とか「最初から全開で自分の中身を投げ出してる」ように見える人とか「はじけてるよう見えるけどクール」とか「そこまで行きたいのに行けない」ように見える人もいて、そんな人たちが一瞬のアイコンタクトでひとつにつながったり、逆に空振りしたりしていて、そういう様子を見ていると、ときどき何かがシンクロするみたいに伝わってくるのです。ポジティブなこともネガティブなことも。

打楽器というのはリズムだけだから、そしてリズムというのは生きることそのものだから、よけいそうなのかもしれないけど。

毎回おんなじことを違う言葉で書いてるだけのような気がするけど、何度書いてもうまく言えないな。

でもまた来たくなるのはわかる、とTomo.さんも言っていました。そう、また来たくなるんだよ。

関連記事:
太鼓の季節(2)
太鼓の季節
太鼓の午後
太鼓の夜

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本当の道具 [Diary]

ようやく、新しいマック(MacBook Pro 15インチ)を購入。

結局買い替えを思い立ってから一年以上。5年目に突入したPowerBookG4が、あまりにも手足の一部のように思い通りに動くので、なかなか腰を上げる気になれなかったわけです(壊れてからじゃ遅いので、がんばりました)。

でも、ずいぶんたくさんのパソコンを使ってきたけど、「使えば使うほど使いやすくなる」という、道具として本来あるべき姿を示してくれたのは、このPowerBookG4が初めてかもしれません(もちろん、まだ使います)。

新しいMacBook Proがこのくらい馴染むまでに、どのくらい時間がかかるやら。
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デイヴ・ワイナーのビジョン [アウトライナー]

アウトライナーの実質的な元祖であるデイヴ・ワイナーのことを繰り返し取り上げてきたんですが、最近いろいろと探検しているうちに、ワイナーによるアウトライナー関連の興味深い文書をまたいくつか見つけました。

これが本当に面白い。ワイナーのアウトライナーについてのビジョンは、ぼくも含めて、従来のアウトライナーの用途からはちょっと考えられないところに及んでいます。実現しなかったもの、実現したけどうまくいかなかったものも含め、その辺りをもう少し掘り起こしていきたいと思っています。

で、今またいくつかを訳してるんですが、その中の一節が面白いので、抜粋して引用します。
Lotus Notesの開発リーダーであるレイ・オジー(Ray Ozzie)は、コンピューター・スクリーンの中に、ネットワークによるコラボレーションの環境を見いだした。

マクロメディアの創業者であるマーク・カンター(Marc Canter)は、同じスクリーンの中にインタラクティブなテレビジョンの姿を見いだした。

ワールド・ワイド・ウェブを発明したティム・バーナーズリー(Tim Berners-Lee)は、お互いにリンクされたページの姿を見いだした。

マックやWindowsのアイコンをデザインしたスーザン・ケア(Susan Kare)は、解像度を下げた状態でかわいらしく見えるような、引き伸ばされたビットマップ画像を見いだした。

Apple IIを開発したスティーブ・ウォズニアック(Steve Wozniak)は、ディスクコントローラーが様々な状況における最適な効率性を持って、ビットをあちこち動かす様子を見いだした。

フリーソース運動の哲学を牽引するリチャード・ストールマン(Richard Stallman)は、彼のコードを盗もうとする怪物たちを避ける方法を見いだした。

全てのクリエイティブな人々が、コンピューターとは何であるか、それは何を、どのようにするものかについて、独自の意見を表明している。互いにリスペクトをもって望むならば、私たちは助け合うことができる。私自身が見いだす夢は、ここにあげた人々とはまた違ったものだ。それでも、私はレイ、マーク、ティム、スーザン、スティーブ、リチャードたちがスクリーンの輝きの後ろに見いだしたビジョンの実現にに協力することができる。

私がコンピューター・スクリーンを眺めるとき、そこに見いだすのはアウトラインの姿だ。
デイヴ・ワイナー、2000年9月24日の文書「OPML1.0」より


ワイナーが自分自身をどのように見なしているかがわかります。ちなみにワイナーはアウトライナーだけでなく、ブログの実質的な元祖(少なくともそのひとり)でもあります。そう考えると、ワイナーが今日のパーソナル・コンピューターの利用に与えた影響は計り知れないもので、上のようなそうそうたるメンバーと並ぶ資格は充分にあると思います。

愛の定義(案1) [Diary]

(愛情×友情×生活×性欲×現実×尊敬/日数)×0.5
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